前編1
某月某日。
市街地から少し離れた郊外にある『ひなたサーキット』。
オンロードとオフロード、二種類のコースを併設し、この国におけるモータースポーツの聖地と呼ばれているサーキットで、そこで、この日はモトクロスのイベントが開催されていた。
著名なプロのライダー数名をゲストに呼んでのトークショーや私物の抽選会、そして彼らが大会に出た際に使用したバイクの展示と、モータースポーツ好きが楽しめるイベント内容。
そして一番の目玉は、アマチュアライダーたちによる疑似モトクロスレース。
疑似といっても、賞金10万円がちゃんと設定され、プロが実際に使用するオフロードコースを走るという本格的なもの。
それゆえにレースの参加者も、アマチュアながら歴戦のバイク乗りのような男たちばかり。
賞金目当てというより、ここで自慢のライディングテクニックを見せつけ、それがプロの目に留まって、あわよくば自分のプロに…と考えている者がほとんどの様子。
レースは、まずミニコースで予選を行い、それで規定タイムをクリアできた者で本戦という形で行われる運び。
アマチュアながら颯爽と走り抜ける者もいれば、舗装された道路とは勝手が違うオフロードに苦戦して思うような走りが出来ずに悔しがる者、はたまたタイヤを取られて転倒してしまった者と、悲喜こもごも。
そして、予選をクリアし、本戦出場への切符であるゼッケンを着けた者がちらほら見えだした中、場内放送のスピーカーから、
「会場内の皆様に連絡します。ただいまをもって、全予選が終了いたしました。本戦は一時間後、14時より開催いたします。本戦出場のゼッケンをお持ちの方は、出走10分前の13時50分までにスタート位置にお越しくださいますよう、お願いします。…繰り返します。レースは14時開始。出場される方は10分前の…」
その放送を聞いて、出走に向けてマシンチェックに余念がない者や、出場を勝ち取った仲間同士で談笑している者。
さらにはゼッケンを着けた姿で記念写真を撮っている者など、出場者たちは各々の過ごし方で時を待つ。
すると、そんな中、ライダーたちの溜まりのエリアに突如ぞろぞろと現れた女性の集団。
周りがライダースーツだらけの中、少し場違い感のある日傘を手に先頭を歩くサングラスがお似合いの長身の女の名は佐々木久美。
彼女をはじめ、その一団全員が知り合いを探すようにキョロキョロと周囲を見渡し、
「…あ、いた!あれだ!」
「すずちゃーんッ!」
目に留まった一人のライダーめがけて、また、ぞろぞろと大移動。
彼女らが声をかけたのは、他の出場者が軒並み男性の中、唯一の紅一点となる女性ライダー。
しかも、この女性…ちゃんとメカニックらしく上下ツナギ姿の仲間も連れていて、
「どう?いけそう?」
「そうですね。ひとまずエンジン系統は大丈夫そうですけど、さっきの走りを見てると、ここのカウルの角度がちょっと微妙かな、って…」
と、二人で入念にマシンチェック中。
彼女の名は富田鈴花。
女性でありながら大のモータースポーツ好きで、実際に車、バイクとも華麗に乗りこなし、その腕前も一流。
こうして本戦出場のゼッケンを着けていることが何よりも証明だ。
そして、そのゼッケンを見て、一団の中の一人、松田好花が、
「それ、ゼッケン着けてるってことは予選突破したってこと?」
と声をかけると、鈴花はグッドサインを示し、
「当たり前。てか、何なら、私、予選B組をトップ通過だから♪」
と会心のドヤ顔。
それを聞いて、
「ほぇー、すっごい…」
「すごいね。さすが、鈴花!」
と感心する加藤史帆に小坂菜緒。
さらに、
「すずちゃん、こっち向いて!ほら、カメラ、カメラっ!いい顔してよ、ちゃんと」
と、まるで運動会を見に来た親戚のようにカメラを向けるのは高本彩花。
どうやら彼女が今日のカメラ担当らしいが、そのグイグイっぷりには、たった今までドヤ顔していた鈴花も、
「ちょ、ハズいハズい…ハズいですって、あや姐さんっ…周り、人いますから…」
「なに言ってんの。これは記念なんだから。ほら、笑顔作って」
と強引な彩花に、
「もぉ…どうせなら走ってるところ撮ってくださいよぉ…」
「もちろん!ちゃんと走ってるところもたくさん撮ってあげる♪」
と言いながら普段は見ないライダースーツ姿でキメた鈴花をパシャパシャと連写。
その鈴花を見て、
「…いいじゃん。すごく似合ってる」
と褒めた久美が、
「で、どう?自信ある?」
と聞くと、鈴花は饒舌に、
「任せてくださいよ。ヒナタレンジャーの名にかけても必ず優勝してみせますからッ!」
「こ、こらっ!バカっ…!」
「あっ…!」
意気込むあまり、思わず、自分がヒナタレンジャーの一員であることを匂わせる失言をして叱られる始末。
幸い、周囲のライダーは、みんな、自分のマシンのチェックに夢中で聞き耳を立てていた者はいなさそう。
安堵の溜め息の後、
「まぁまぁ…そうやって意気込むのは結構だけど、くれぐれも怪我だけは気をつけてよ?無理しないでね?」
腕が確かなのは知ってるだけに、心配はレースの内容よりもむしろそっち。
それでなくても鈴花は自他ともに認める負けず嫌いな性格だし、加えて、ちょいちょい調子に乗るクセもあるから尚更だ。
そして、なおも談笑中、鈴花から、
「あれ?そういえば、ひよたんと陽菜は?あと、みーぱんさんもいなくない…?」
と指摘されると、途端に菜緒は言いにくそうにして、
「いや、その…あの…あっちでパン売ってるキッチンカーが出ててさ…その…お腹すいたから三人でそれ食べとくって…」
「えー!私の応援よりパンってこと?ひどくなーい?」
とスネる鈴花。
そして、肩をすくめ、
「もぉ…そもそも、みーぱんさんが言い出しっぺなのにさぁ…」
とボヤキも。
事の発端は3日前。
本拠であるヒナタベースにて、佐々木美玲が、
「ねぇ、すずちゃん。こんなのあるらしいよ〜♪」
と一枚のチラシを持ってきたのがキッカケ。
「え、何ですか?」
と、そのチラシを受け取り、目を通して、
「へぇ…♪アマチュアのモトクロスレース…しかも賞金10万円…面白そうですね」
と、最初はその程度の返しだったが、続いて美玲が、
「出てみなよ。すずちゃん、バイクの運転も上手だし、けっこういい線いけるんじゃない?」
と、その場のノリで言いだし、続いて、珍しく久美からも、
「いいじゃん。すずちゃんが出るなら、私たちも、みんな総出で応援に行くよ?たまにはそういう息抜きも必要だしね」
と言われてしまい、引くに引けなくなってしまったのがキッカケ…。
「もぉ…そのパン、私のぶんも買ってきてくれなかったら怒ってやるんだからっ…」
と膨れっ面の鈴花だが、いざ出ると決めたら、ここ数日、試走を重ね、ゆうべも入念にマシンのメンテナンスをしていたあたりが、普段おちゃらけてるわりに根はちゃんとマジメな鈴花らしいところ。
そして、そのメンテナンスにずっと付き合ってきたのが、今も黙々とマシンチェックをしている山口陽世。
久美たちが来ても軽い会釈だけして、工具を手に、熱心にカウルの角度を直している。
そしてようやく、腰を上げ、
「はい。これでバッチリです」
「ありがとう、陽世」
そして整備完了とともに、ちょうど時刻も13時50分。
レース出場者が集合する時間だ。
「じゃあ、鈴花。頑張ってね!」
「期待してるよ!」
「鈴花さーん!ファイトでーす!」
「いい写真、いっぱい撮ってあげるからねぇ♪」
と、久美、先輩、盟友、そして陽世からも口々にエールを送られた鈴花。
仲間と別れて集合すると、まず主催者からルールの説明を聞かされた。
レースはコースを二周し、そのタイムを競う。
万が一、マシントラブルや負傷などで続行不可能となったライダーは棄権扱い。
そして次に予選でのタイムを元に、インコース、アウトコースとスタート位置の調整が行われる中、鈴花は、ふと、一人のライダーに目を留めていた。
(あの人…確か予選A組の…)
B組で予選を行った自分の一つ前の組で走っていて、ブッチギリの独走だったライダーで、優勝を狙っている鈴花にすればおそらく競り合うであろう強敵だが、それ以上に、
(どんな顔してるんだろ…ずっとフルフェイス着けてて顔が見えない…)
予選の時は当然だが、その後も、そして主催者が説明をしている今も、周りで一人だけずっとマスクのまま。
身体つきからして男なのは間違いないが、上下とも黒というライダースーツの色味も相まって、良く言えばツワモノの雰囲気を醸し出す孤高のライダーといえるが、普通に考えれば少し非常識…せめて主催者が喋っている時ぐらいは外せばいいのに、と思う。
(何だか不気味だな…)
という気持ちもある一方、
(あれで、実は、マスクの下の素顔はめっちゃイケメンとかだったりしたらキュンとしちゃうかも…♪)
と、意外に乙女な妄想も…。
そして、そんな余計なことを考えているから、
「…さーん!予選B組で走った富田鈴花さーん、いらっしゃいませんかぁ?」
「…え?あ、はいっ…はいっ!」
と名前を呼ばれているのにうつつを抜かしてしまう凡ミス。
そして、その声を聞いて、周囲のライダーたちからは、ボソボソと、
「すごいな…女性だってよ…」
「いや、あの娘、予選で一緒の組だったんだけど、ヤバかったよ…すげぇ速い…」
「にしても珍しいよな。モトクロスで女性って…」
「コケても知らねぇぞ…」
そんな会話がうっすら耳に入り、
(ふんっ…女だからってナメないでよね。スタートと同時に全員ぶっちぎってやるんだからっ…!)
と発奮材料に。
そして、いよいよ、各ライダー、決められたスタート位置に愛車を持ってきて出走スタンバイ。
幸い、鈴花にとって悪くない位置だった。…が、それと同時に、
(…3つ隣か…)
とチラチラ横目に気にするのは、やはりあの黒ずくめのライダー…。
もはや彼しかマークしていないと言ってもいいぐらい、妙に気になる。
そんな中、ふいに、
「鈴花ァ〜!」
「いったれーっ!」
「ファイトーっ!」
と、コース脇から自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
目を凝らすと、そこには手を振って応援してくれている菜緒たちの姿が。
それに対し、自信満々のVサインを掲げつつ、頭の中は冷静で、
(とりあえず様子見で、スタートから少し飛ばしてみるか…)
と決めた鈴花。
そして、いよいよシグナルが点灯。
横一列、自分も含めてエンジンを吹かす音が周囲に轟き、そして、シグナルの灯りが、赤…赤…青…!
ピストルから撃ち出された弾丸のごとく、一斉にスタート!
それと同時に、
(…よし!悪くないっ!)
思い通りのスタートが切れた鈴花。
それには、スタートライン横で見ていた久美も、思わず、
「OK!完璧ッ!」
と声が出てしまうほど。
そして、スタートして早々、果敢なインコース狙いで頭一つ抜き出ると、そのまま一番乗りで第1コーナーへ。
それを曲がっていったところで、鈴花を筆頭に、飛び出していったライダーたちの姿はスタート位置からは見えなくなっていった。
なおも巻き上げられて漂う土煙に
「え、迫力ヤっバぁ…!」
「めっちゃスタート良かったよね」
「あのままトップをキープして戻ってきてほしいな…♪」
と口々に言っている菜緒たち。
彼女たちはもちろん、出場している鈴花でさえ、これが死を呼ぶモトクロスレースだとは、この時まだ誰も知る由もない…。
(つづく)