1.尾行する者、される者
欅共和国の官邸『欅ハウス』は、ただならぬ緊張感に包まれていた。
行方不明の渡邉理佐に続き、長濱ねるからの連絡も途絶えてしまった。
携帯電話、無線機など、何度、応答を求めても返事がない。
(まさか、ねるまでやられたというの…!?)
見え隠れする反抗勢力の影。
その影は、こちらに被害が出るたび、より大きく見えてくる。
だが、負けるワケにはいかない。
ここ、欅共和国は女性上位の独立国家。
その統治メンバーを食い物にしようと目論む不貞の輩たちは、ただちに粛清する他ない。
音信が途絶えたねると最後に交信したのは昨日の夕方。
G街区のスラムの大衆酒場で見つけた男を尋問するため、ホテルに連れ込んだというところまでは聞いている。
その直後に音信が途絶えたとなると、そのホテルで反抗勢力の一団に襲われたか、もしくは、その連れ込んだ男が手引きした罠だったに違いない。
すぐに小林由依、土生瑞穂の二人がタッグを組み、救出班として問題のホテルへ向かったが、中は既にもぬけの殻で、ねるの姿はおろか、従業員の姿もなかった。
こうして仲間が来ると見越して、何者かの入れ知恵で姿を消し、辿る糸を無くしたに違いない。
「なかなかムカつく連中ね…こんな小細工までして、上等じゃん?」
と、ぶつぶつ苛立ちを口にする『狂犬』小林。
その様子に土生も少しヒヤヒヤしながら、
「例の大衆酒場に行ってみる…?」
と伺いを立てるように聞く。
怒りに任せて二つ返事で応じるかと思ったが、小林は少し考えてから、急に、
「少し歩こう」
と言った。
言われるがまま、無人のホテルを出て、あてもなくスラム街を歩く。
「お、おい…!あれ…」
「小林だ…」
「土生もいるぞ」
「何でヤツらがこんなスラム街に…?」
「捕まったら何されるか分かんねぇぞ…」
「隠れろ…!」
スラムを住み処にするならず者たちが、こぞって畏怖し、蜘蛛の子を散らしたようにいなくなる。
女性上位のこの国では当たり前の光景なのだが…。
(そのパワーバランスを壊そうとするヤツらがいる…!)
その輩に仲間が三人やられた。
石森虹花、渡邉理佐、長濱ねる。
(この代償は高くつくということを、バカな男どもに教えてやる…!)
小林は、沸き立つ怒りを秘めながら黙々と歩く。
土生が、
「ねぇ、ゆいぽん。どこへ行くの…?」
と聞くと、小林は前を向いたまま、
「歩きながら聞いて」
と小声で言い、
「尾けられてるよ、私たち…」
と言った。
「尾けられてる!?」
反射的に後ろを振り返りそうになるのを慌てて抑え、小林と同様、前を向いたまま、小声で、
「いつから…?」
「このスラムに入った時から。おそらく仲間が来ると踏んで待ち伏せしてたのよ」
「相手は?」
「見たところ二人」
「そっか。それで少し歩こうって言ったんだ。あえて気づいてないフリをするために」
抜け目のない小林に感心する土生だが、当の小林は飄々と、
「問題は、そいつらをどうするか、だけど…」
と歩きながら作戦を練り、
「よし、あそこのT字路で二手に分かれよう」
と提案した。
そのT字路は右へ曲がるとスラムのメインストリートへ、そして左は細い裏道となっている。
小林は自分は右へ、そして土生を左へ行かせた。
二手に分かれ、しばらく進んでから気づかれないようにチラッと振り返ると、案の定、二人組の追跡者も、一人はこちらへ、そして、もう一人は向こうと、二手に分かれていた。
(よし…!)
それを確認して小林は、何食わぬ顔で少し歩き、細い路地を見つけると、突然そこへ素早く駆け込んだ。
それを見て慌てて走り出す追っ手の男。
追うのに夢中で飛び込んできたところを、曲がってすぐの角で待ち伏せし、その美脚から放つハイキックで一撃卒倒、難なく仕留めた小林。
「ぐっ…!」
鼻血を噴き出して昏倒した男の胸ポケットを探ると、やはり、隠し撮りに適した小型カメラが出てきた。
それを奪い、何事もなかったかのように路地を出る小林。
獲物は二人もいらない。
来た道を戻り、分かれた土生の元へ急ぐ。
(いた…!)
打ち合わせ通り、土生は、わざとゆっくり歩いて、追跡者を上手く引きつけてくれていた。
土生を尾け回す男の背後にぴったりとくっつき、次は自分が追跡者として後を追う。
さっきの男もそうだったが、パッと見たところ、屈強には見えないし、武器を所持してる様子もない。
(本当に、ただの見張り役か…)
さしずめ金を貰って頼まれたゴロツキだろう。
その程度の付け焼き刃の関係の方が尋問して口を割らせるには好都合だ。
土生が、バーの看板が出ている雑居ビルへ入っていく。
追っ手の男も慌てて小走りでそのビルの中へ飛び込んだ。…が、すぐに目を見開き、驚いて小さく声を上げる。
細いビルの廊下で、その土生が立ち止まり、振り返って待ち構えていたからだ。
「チッ!」
尾行していることを看破されたと気付くやいなや、血相を変え、回れ右をして逃げ出す男。
一目散に外へ飛び出そうとした時、さっきと同様、看板の裏に身を潜めた小林の鋭い蹴りが飛ぶ。
突然、目の前に出てきた美脚を避けきれず、その鋭い蹴りをモロに脇腹に食らった男。
「ぐわっ!」
もんどりうって転倒したと同時に素早く男の腕を固める小林。
囮作戦による挟み撃ちが見事に成功した。
「く、くそっ…!」
「立ちなさいよ、ほら!」
小林が乱暴に引っ張り上げ、人目につかないよう、再びビルの廊下へ戻り、土生と囲む。
「くっ…!」
「アンタ、何者?」
「私たちのこと、尾けてたでしょ?」
「つ、尾けてた…?さ、さぁ…?何の事かな?ハハハ…」
「とぼけてんじゃないわよ!」
男の髪を掴み、ひねり上げる小林。
「もう一人の仲間は既に片付けた。そいつのポケットにこんなのが入ってたわよ?」
と奪い取った小型カメラを取り出し、撮影された写真を突きつける。
スラムを闊歩する二人の姿や、先ほどのホテルへ入っていく瞬間、そしてムッとした顔で出てきたところなどが、連写で何枚も撮影されている。
「━━━」
「あそこのホテル出たところからずっと尾けてたのは分かってんの!アンタが何処の誰で、誰に頼まれたのか、洗いざらい教えてもらうわよ!」
「ぐっ…!くそっ!」
激しく身体を揺すり、二人を突き飛ばして逃げようとする男をその高身長で押さえつける土生。
「ふふっ、逃がさないよー」
と笑みを浮かべる土生。
「ほら、さっさと教えなさい!」
「━━━」
「ふーん…私たちを目の前に、黙秘するつもり?上等じゃない」
小林は不敵に笑うと、ポケットから取り出したハンカチで、素早く、男の鼻と口を押さえつけた。
「んぐぅっ…!ぐぅっ…!」
「少し痛い目に遭わなきゃ分からないみたいね。望み通りにしてあげるわ」
ニヤリと笑う小林、そして土生。
激しく暴れる手足も、やがて力が抜け、意識朦朧とする男。
こうして二人は、クロロホルムで眠らせた男を担ぎ、その雑居ビルを後にするのだった…。