1.パイプ
一方その頃…。
「なに…?」
まさか、そんなことに発展しているとは露知らず、自身が経営するソープランド『N46』のマネージャーから、本日出勤予定の樋口が開店時刻になっても店に現れないという報告を受けた柴崎。
スマホを耳に当てたまま眉をひそめ、
「本当に来ていないのか?」
「ええ。さては寝坊でもして開店ギリギリになるのかと思って待ってたんですが一向に現れず、とうとう開店時刻になっても音沙汰無しです。こちらから連絡しても一向に繋がらないので、一度、オーナーから連絡してもらえませんか?」
とマネージャーが言って丸投げしてくるのは、おそらく彼も、薄々、オーナーである柴崎と樋口がひそかにいい関係になっていることに気付いているからだろう。
それを言われて妙な気まずさを覚えつつ、
「…分かった。こちらで確認する」
とだけ言って電話を切った柴崎。
(チッ、あのバカ…何してやがる…)
と、この時点では、まだ、特に何の疑いも持っていなかったし、ましてやそれが只野の仕業だなんて発想は頭の片隅にもなかった。
異変に気付き始めたのは、マネージャーに代わって自分が電話をかけても一向に繋がらないのを確認してからだ。
(…おかしいな)
コールは鳴る。…が、いくら待っても樋口が電話に出ない。
それは二度、三度と鬼電しても同じだった。
次に柴崎が電話をかけたのは『N46』に勤める泡姫たちを軟禁する仮設寮の管理人を任せている別の幹部。
店舗の近くに借り上げたアパートで、そこに、脱走しないよう定期的に束縛の催眠をかけながら住まわせている。
「…はい。こちら、アクチュアリー新富町」
とぶっきらぼうな応答も、
「私だ。柴崎だ」
と言っただけで、すぐさま態度一変し、
「オ、オーナー…!ご苦労様ですッ!…何か御用で?」
「樋口の外出記録を教えろ」
「は、はい…少々お待ちください…」
電話口から帳簿をめくるような音がして、
「えっとですね…樋口でしたら、本日、16時23分に下のエントランスを通って外出しています」
「……」
店への出勤は17時。
寮から店までは徒歩10分程度だから、出勤のための外出と考えれば時間的にもちょうどいい。
(ということは、寮から店に着くまでの間に消えた…?)
愛人関係ゆえ、樋口のことはよく知っているつもりだが、少なくとも、与えている仕事をサボってどこかへ行ってしまうような気分屋の女ではない。
柴崎は少し考えて、
「最近、何か変わったことはないか?」
「変わったこと…ですか…」
管理人は復唱し、少し考えてから、
「…あ、そういえば…」
「何だ?何があった?」
つい勢い込んで聞き返す柴崎に、
「いや、樋口のことではないんですが、最近、与田の帰宅時間が妙に遅い時があります。同じ出勤日のメンバーから二時間以上、遅れて帰ってくる時もありまして、しいて言うならそれが…」
「与田なんかどうでもいいッ!私は今、樋口の話をしてるんだッ!」
と、つい声を荒げた柴崎。
電話口の管理人は慌てて平謝りし、
「ひ、樋口に関しては特に何も異常は…」
「分かった。もういい」
と、不機嫌な顔で一方的に電話を切った柴崎。
ひとまず寮を時間通りに出たことだけは分かった。が、それなら問題ないというワケではない。
いや、むしろ、それで行方が分からなくなっているのだから、そっちの方が問題だ。
そして、そこでふと、柴崎の顔が渋くなる。
(もしや、とうとうヤツらに嗅ぎつけられたか…?)
ヤツらというのはもちろん『乃木坂46』の連中…。
いわば問題のソープランドで働かせる商売道具の輸入先でもある組織で、無論、これまで彼女たちにだけはバレないようにと細心の注意を払ってきたつもり。
そのためにわざわざ近くのアパートを借り上げ、そこを仮設寮にして軟禁状態にしたり、定期的に催眠術をかけ、捜査官時代の記憶を消した上で支配下に置いているワケだが、それでもやはり、彼女らにも執念というものがあるし、何より、女の勘というのは男には計れないぷん、厄介この上ない。
事実、その第六感によるものか、これまでに計三度、ソープの経営において冷や汗をかいたことがあった。
まず一回目、伊藤純奈と鈴木絢音のペアが非常階段から控え室に侵入してきた時。
幸い、あらかじめ泡姫たちに「侵入者は、見つけ次第、捕らえろ」という旨の催眠術をかけていたこともあり、同士討ちの末に難なく捕縛できた。
その後、二人には、それぞれにしっかり制裁を与えてやった上、怪しまれないよう、記憶を消して帰したので、この時点ではまだ傷口としてはたいしたものではなかった。
続いて二回目。
今度は、切れ者の山崎怜奈が、賀喜遥香、早川聖来の後輩二人を引き連れ、真っ正面から乗り込んできた時だ。
もっとも、この時は『乃木坂46』内部にいる某本部長の“ある秘密”を握っている上、それをネタに前もって密かに圧力をかけておいたことで、間一髪、事前に三人が来ることを知らされていたので、急造ではあったものの罠を張り、待ち構えることが出来た。
そこで捕らえた三人の処遇は、信頼している幹部・片桐に任せた。
のちの報告によると山崎怜奈は、現在、片桐が副業として立ち上げたAVメーカーの看板女優に転身して稼ぎ頭になっているようだし、同じく捕らえた賀喜遥香と早川聖来は裏社会の性奴隷オークションに出品し、とある金持ちに売り払ってメーカー設立の資金に充てたという。
その後、立ち上げたばかりのAVビジネスが思った以上の速さで軌道に乗り出したため、それ以来、片桐とはあまり連絡が取れていないが、あの男のことだから、アシがつかないように上手くやっている筈だ。
そして三回目。
これはつい先日の話。
今度は、堀未央奈が向井葉月という後輩を連れ、営業中の店のバックヤードにまで密かに潜入していた件。
その報告を聞いた時、さすがの柴崎も慌てたが、この堀未央奈という女が功名心に駆られ、本部への報告を後回しに突っ走ってくれたのがこちらにとって不幸中の幸い。
至急、応援に車三台分の若い衆を店に送り込み、客もいる中、店内を引っくり返すような大捕り物の末、どうにか二人を捕獲できたと報告が来て一安心。
その後、堀未央奈は完成間近の拷問施設に連行し、快楽漬けにして二度目の屈服を与え、現在は施設の地下室にて幽閉中。
一方、向井葉月には催眠術をかけ、操り人形にして狂言を演じさせてまんまとヤツらをケムに巻いて捜査の目を遠ざけた。
その向井葉月は今もこちらの支配下にある。
この女を利用してもう一人ぐらい罠にかけることも出来そうだが、先述の内通している某本部長いわく、最近、どこかの療養施設に匿われていた白石麻衣が戦線に復帰したらしく、帰ってくるなり陽動だと看破されたというから、そうなるともうこの女は使えないので、どう始末するかは、現在、熟考中だ。
(片桐が新人のAV女優として引き取ってくれないなら、堀未央奈と同様、快楽漬けにして性奴隷ショップに並べるか、それともソープか…)
もっとも、今それは後回し。
そんなことよりも、今日、出勤するためにアパートを出た樋口が店までの道中、神隠しのように消えたことの方が柴崎にとっては“公私ともに”重大なインシデントだ。
二度あることは三度あると言うぐらいだから、それが三度あれば、当然、四度目だってありえる話。
もし樋口が連中に奪回されたとなると、いよいよ本格的にあのソープにも捜査の手が伸びてくる。
今もなお貴重な資金源だけに店を畳むのは実に惜しいし、何より惜しいのは樋口という存在そのもの。
(おのれ、乃木坂46…!)
元々はこちらが拉致して調教した女だが、それを手塩にかけて愛人にまで育てた以上、柴崎にしてみれば逆に自分の可愛いワイフが拉致されたようなもの。
次第に、ふつふつと怒りが込み上げてきた柴崎が次にダイヤルしたのは、例の内通関係にある某本部長のケータイ…。
3コール目で応答があった。
「…私だ」
と、妙に事務的な口調なのは、おそらく周りに捜査官の連中がいて、捜査に関する電話にカモフラージュしているからだろう。
柴崎は、
「5分後にかけ直す。その間にどこか気兼ねなく話せるところへ移動しておきたまえ」
と早口で伝えて一旦切り、それからキッチリ5分後に再び電話をかけた。
「…もしもし」
「聞きたいことがあるんだがね」
「…何だ?」
警戒している様子の声色だが、柴崎は構わず、
「君たちの本日の成果を教えてもらおう」
「…今日は特に何もない」
という相手に、すかさず、
「ウソは為にならんよ?私は、君の一大スキャンダルを握っている。これが世に出回れば君は職を追われて無一文で路頭に迷うことになるだろう。君の歳で今から再就職なんてほぼ不可能…それをよく考えて発言したまえ」
と圧をかけるも、相手もムスッとした声色になって、
「ウソじゃない。アンタを脅かすような成果なんて、ここ数日、一つもない」
と投げやりの回答が返ってくる。
それでもまだ信用できなくて、
「では、もっと腹を割った話をしよう。今日の夕刻、女を一人、救出したんじゃないのかね…?」
「していない。もしそんなことがあれば、当然、現場を仕切っている白石から私に報告が入る。そういう報告が入っていれば、今この電話でアンタに伝えている筈だ」
「うむ…」
不機嫌な口調ではあるものの、ウソをついているようには聞こえない。
柴崎は少し考えて、
「しかし、もし仮に白石をはじめ、捜査員たちが君への報告を怠っていたら、君だけが知らない可能性もあるだろう?」
「…何が言いたい?」
「10分やる。戻って、報告忘れをしている者がいないか、また、君だけが蚊帳の外にされていないかを、至急、探ってきたまえ」
と言って電話を切った柴崎。
そして10分後。
これもまたキッチリ時間通りに電話をかけ直し、
「どうかね?」
「さっきも言った通りだ。本日の成果など特に無いッ…!」
と怒ったような口調の本部長に、思わず、
「そんなバカな…」
と、電話中にもかかわらず、独り言をこぼしてしまう柴崎。
たまらず本部長が、
「だから、さっきも言ったろうッ!妙な二度手間をかけさせるなッ!怪しまれたらどうするんだッ!」
と声を荒げるのを無視して、
「私の経営するソープランド…以前の山崎怜奈のように、最近あそこに目星をつけたような捜査員はいないか?」
質問を変えると、本部長の声のボリュームが下がって、それこそ密告するようなトーンで、
「…二人いる」
「誰だ?教えろ」
「久保史緒里と田村真佑…」
本部長は補足するように、
「正確に言うと、秋元真夏が、過去三回、君が店を構える繁華街付近で被害が出ていることに目をつけ、そのことについてを調べさせるために久保と田村を抱き込もうとしているということだ。まだ具体的な行動には至っていないが、まもなく動き出すと見ている」
「━━━」
今の話もウソだとは思えない。
事実だとすれば、近々、本格的に捜査の手が伸びてくるということだ。
(突入部隊なんて組まれたら誤魔化しきれん。仮設寮ごと、別のところへ移転させるしかないな)
と電話口では黙りつつ、脳内はスーパーコンピュータのごとく対策を練る柴崎。
そんなこともあろうかと、既に用地は別の場所に押さえてある。
配下の男たち総動員でやらせればどうにかか一晩で移転し、何食わぬ顔で新天地からリスタートできるだろう。
(それを機に、この際、人気が伸びない中田や星野はクビにしてしまうか…)
送られてくる日々の営業実績を見ても伸び悩みが顕著なベテラン二人…。
星野はオークションに並べればまだ売れそうだし、中田に関しては、以前から片桐が、
「ソープで需要なくなったら、是非、俺に回してくださいよ。アイツの顔と身体、AV撮ったら絶対に売れますぜ!」
と新たな専属女優候補として欲しがっていたから、一度、聞いてやるとしよう。
そんなことを考えているところに、ふと電話口から、
「…おい」
「ん?何だ?」
考え事の邪魔をされ、面倒くさそうに返事をする柴崎に対し、
「申し訳ないが、私に連絡してくるのはもうこれっきりにしてもらいたい。でないと、そろそろ私も危ない気がしてきた」
と言う本部長の口ぶりに、
「もしかして…バレそうなのか?」
と聞くと、本部長は少し間を置いて、
「一人…ここ最近、明らかに私に疑いの目を向けている者がいる…」
「誰だ?」
「清宮レイ…何を手掛かりに勘づいたのか知らんが、疑われていることは間違いない」
「なるほど…確かにバレそうならそれは考えものだな」
「そういうことだ。よって、君と秘密裏にやり取りを交わすのもこれっきりにさせてもらう。さもないと…」
「さもないと…だと?」
柴崎は苦笑して、
「まるで私のことを白石に売るとでも言いたげだな。さもないと…というのは君の大事な秘密を握っている私のセリフだと思うがね」
「━━━」
「若い女に軽蔑され、後ろ指を差されながら今の地位を追われて無職になりたいというのなら好きにしたまえ。それが嫌なら間違っても私に逆らわんことだ」
「……」
それを言われては分が悪いというように押し黙る本部長。
一方、柴崎も、こうして握っているスキャンダルをネタに脅したものの、この秘密のパイプが途絶えるのは彼にとっても大きなマイナス。
連中の捜査状況を密かに聞き出して裏をかくことが出来なくなってしまうからだ。
それもあって、
「確認するが、今のところ、君のことを怪しんでいるのは清宮レイ一人だけなんだな?」
「…そうだ」
「分かった。それに関しては、こっちで作戦を練るとしよう。それと、ソープランドのことを調べようとしている久保史緒里と田村真佑に新たな動きがあったらすぐ私に知らせろ。このご時世、ネットの海は広い。出し抜こうなんて妙な気は起こさんことだ」
と、しっかり釘を刺して電話を切った柴崎。
これから手を打たなければならないことがいくつか増えたが、それでもまだ風向きが変わったとは思っていない。
あのスネに傷を持つ本部長との秘密のパイプが活きているかぎり、連中に主導権を取られることは絶対にない。
それよりも依然として不可解なのは樋口の行方…。
(連中ではないとすると、いったい…?)
切れ者で自信家の柴崎にとって、幹部の謀反など頭に浮かばないのも当然だ。
(つづく)