乃木坂抗争 ― 辱しめられた女たちの記録 ―





























































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第一部 第六章・若月佑美の場合
10.エピローグ…?
 翌日。
 事後処理の合間を見て、玲香は、若月の見舞いに訪ねた。
 病室の若月は、思いの外、元気だった。
 しかし、明るく振る舞ってくれてはいるものの、身体を蹂躙され、心に傷を負ったことは事実だ。
 玲香は、良きタイミングで、持参した錠剤を取り出し、若月に渡した。
「これは…?」
「私たちが開発した一時の記憶を消す薬よ。これを飲めば、今回のことは全て忘れることができる。鮫島なんて男はいなかったし、若月の身には何も起きていない。自分のアトリエで絵を描くことに精を出し、たまに絵画展を開く街の素敵な絵描きさんに戻れる」
「―――」
「若月…ごめん」
 玲香は、今になって、あの時、若月が拉致されるのを静観させた自身の判断を悔やんでいた。
 結果の話をすれば、その判断により、尾行して鮫島の隠れ家を見つけることができた。が、そのために、若月の身体は外道な男たちに汚されてしまった…。
 若月は、無言のまま、その錠剤を手に取り、
「これを飲めば、あの邸で起きたことは忘れられるというのね?」
「そう。何もかも忘れられる…」
「何もかも…か」
 若月は溜め息をつくと、その錠剤を何も言わずに玲香に返した。
「若月…?」
「いらないよ。私は大丈夫。ちゃんと自分で立ち直って見せるから」
「―――」
「それに、飲んだら何もかも忘れてしまうんでしょ?あの邸のことも、鮫島のことも、それに玲香のことも…」
「…うん」
「それじゃあ、私には必要ないよ。それに、私、玲香が助けに来てくれたこと、忘れたくないからさ」
 と若月は言った。
 彼女なりの気遣いだろう。
 だが、玲香は、その一言で自分も救われた気がした。


 一方、燃えた邸の跡。
 事後処理の一環で、中田花奈は、現場検証に来ていた。
 あの後、地下から出た炎は邸全体を包んで燃え上がった。
 場所が山間だったため、消防車が駆けつけるのに時間がかかり、鎮火が遅れた。
 結局、邸は無惨に燃え落ちたが、裏の林に延焼しなかったことだけでも奇跡といえるだろう。
 地下に下りる隠し扉があったワインセラーは跡形もなく、ガラスの破片が散乱する中に階段の入り口だけがポツンと口を開けていた。
「最善を尽くしたのですが間に合わず、中に残っていた人間は、全員、焼死が確認されました」
 と、消防隊員は言った。
(一歩間違えれば、私たちも同じ目に遭っていた…)
 そう考えるとゾッとする。
 消防隊員は資料をめくりながら、確認するように、
「逃げ遅れて焼死した男性の遺体が四体、これで間違いありませんか?」
「四体…?」
 中田は眉をひそめて、
「五体じゃないんですか?」
「いえ、四体です」
「そんなバカな!」
 中田を声を上げ、
「五人、残っていた筈なんです。鮫島という男と、その部下の男が四人」
「いいえ、確認できた遺体は四体です。鎮火した後に地下室の中は隅々まで確認しましたから間違いありません」
 と、消防隊員は言った。
 それだけ頑なに言うのは、自信があるからだろうし、消防隊員がウソを言う理由がない。
 となると、あの火の海の中から男が一人、消えてしまったのか?
 だが、玄関から出たのは中田たち四人だけだ。
 その後はずっとそこで邸が炎上する様を見ていたし、後から誰も出てこなかった。
(まさか…)
 中田は少し考えてから、
「地下室、降りれますか?」
「構いませんが、遺体は四体、既に運び出しましたよ?」
「それでも見たいんです」
 と中田は頼んで、地下室を見せてもらった。
 昨日、突入した時は薄暗い地下室だったが、今は、邸が倒壊してしまったことで少し日の光が差して明るい。
 コンクリートの壁には煤がつき、まだガソリンのニオイが充満していた。
 中田は懐中電灯を出して、くまなく中を調べた。
 放り捨てられた一斗缶、焼け焦げた拘束具、ちぎれた鎖が散乱している。
 昨日の光景が頭に浮かぶ。
 中田は、ゆっくりと一周、壁際を警棒で叩いて回った。
(…!)
 一ヶ所だけ、返りの音がおかしい箇所があった。
 そこの壁を押してみる。
(……!!)
 ギィィィ…と音を立てて壁を装った隠し扉が奥へ動き、その先には人間一人が何とか通れるぐらいのトンネルがあった。
 明かりもなくて真っ暗だ。
 中田は懐中電灯を前にして、身を屈めながら早足でそのトンネルを進んだ。
(まさか…そんな…!)
 嫌な想像が頭をよぎる。
 大きく曲がった先で行き止まりになったが、そのかわり、そこだけ天井が高くなり、壁にはハシゴがつけられていた。
 懐中電灯を口にくわえ、そのハシゴに飛び移って昇ってみる。
 天井の蓋のようなものを押し上げてみると、途端に外の光が顔を照らした。
 そこは、邸の裏の雑木林の中だった。
 サッと血の気が引き、中田の顔が強張った。
「何てことなの…」
 思わず声に出して呟いた。
(鮫島は…まだ生きている…!)


(つづく)

鰹のたたき(塩) ( 2019/12/16(月) 10:33 )