寺田蘭世との思い出 -プロローグ-
「おらぁッ!」
ドゴッ!ドゴッ!
「ぐっ…」
夕暮れの公園。
ヤンチャそうな高校生同士の喧嘩…。
周りには遊具で遊んでいる小さな子供たちがいるにもかかわらず場をわきまえない野蛮な光景に、先にいたママさん連中は肩をすくめ、
「あっちの、もう一つの公園に行きましょ…」
「ホント嫌ね。あーゆーのは」
「親の顔が見てみたいわ…」
と肩をすくめて足早に去っていく。
やがて終始優勢だった方の男子の会心の蹴りが決まり、木に叩きつけられる相手。
「い、いってぇ…く、くそっ…」
痛みに顔をしかめ、蹴られた箇所をさすっている彼に、
「どうだ、参ったか!これに懲りたら二度と俺の前で偉そうな顔すんじゃねーぞ!」
と吐き捨て、勝利の余韻とともに肩で風を切って去っていく彼の名はリョウ。
この春から近所のR高校に入学したばかりの不良生徒だ。
中学までのスクールカーストが一度リセットされる高校進学。
そこで、ちょうど今、新たなピラミッドが構築されていく中で着々と勢力を伸ばしている真っ最中で、今しがたの勝利もまさしくそれ。
「へっ…どいつもこいつも弱いくせに粋がりやがってよ」
と舞い上がった土で汚れたズボンの裾を払い、意気揚々と帰路につくリョウだが、その途上、必ず通らなければいけない三叉路で、とある女生徒と鉢合わせした。
「げっ…ら、蘭世っ…」
その存在に気付くなり、思わず声に出るリョウ。
一方、その女生徒、寺田蘭世も、歩いてくるリョウに気付くと呆れたように溜め息をついて、
「なに?そのカッコ…泥々じゃん…」
と払いきれていない土の汚れを指摘し、
「またケンカしたの…?」
と肩をすくめる。
「いや、その…まぁ、いろいろあって…」
と、ついさっきまで取っ組み合いのケンカをしていたリョウが、なぜかこの娘の前では途端に毒気を抜かれてしまったが、それもその筈。
リョウと蘭世は中学まで同じだった同級生で、しかも、お互い家が隣同士の幼馴染というまさにマンガのような間柄。
校区が同じなので幼稚園、小、中とずっと同じ。
特に幼稚園の頃なんて、たった今ケンカをしてきたあの公園でよく一緒に遊んでいたものだが、それもお互いが成長していくにつれてだんだん減り、今では進学した高校がそれぞれ別なこともあり、むしろ少しよそよそしいぐらいの関係…。
思春期というのは本当に不思議なもので、あれだけ仲良しだった幼馴染でも単に異性というだけで、今、改めて相対すると妙に気まずくなってしまう。
それでも帰り道が同じ、もとい、帰る家が横同士なんだから、こうしてたまにばったり鉢合わせしてしまったら最後、走って置き去りにでもしないかぎり、一緒に帰らざるをえない。
蘭世は少し足早に歩いては、振り返りもせずに、
「ねぇ。もうちょっと離れて歩いてくれない?そんな泥々の男子と一緒に歩くの恥ずかしいから」
「な、何でだよっ!しょうがねーだろ、汚れたんだから…」
と、なおも裾の土を払いながら歩くリョウ。
蘭世は、依然として振り返りもしないまま、
「ケンカなんかして何が楽しいの?殴ったり殴られたり、痛いだけじゃん…」
「いや、楽しいっつーか…まぁ、男には男の事情があるんだよ」
「事情ってどんな事情?」
「それは、まぁ…ほら、気に入らないヤツとかがいたら、やっぱりムカつくじゃん?それにケンカってのは男の青春なんだよ。なんつーか…シメたヤツの数が増えてくたびに自分がレベルアップしていく感じ?この高校で一番強いのは俺だぞ、みたいなさ。…まぁ、この優越感は蘭世や女子連中には分からないだろうけど…♪」
と開き直ったように意気揚々と語るリョウ。
すると、それを聞いて前を行く蘭世の足が急にピタッと止まり、ようやく長い髪を靡かせて振り返ったかと思うと、その目は明らかに軽蔑の眼差しで、
「何か…高校生になってから変わったね、リョウちゃん…」
その冷めた視線に一瞬ギクッとしたのを、
「い、いつまでリョウちゃんって呼ぶんだよっ…!小学校で卒業しとけよ、そのダサい呼び方は…」
と誤魔化し、そして、
「な、何がだよ…か、変わってねーよ。別に…」
「ううん。変わったよ」
「ど、どこがだよ」
「だって、最近ケンカばっかしてるらしいじゃん。私たち家も隣でお母さん同士が仲良いんだから、そういう話は全部、筒抜けだよ?」
「━━━」
「昔はそんな子じゃなかったじゃん…むやみにケンカなんかしないで、優しくて、面白くて…」
「そ、そんなことねーよ…ケンカなんて昔からちょくちょくしてたろ…」
「でも、ちゃんと理由があったじゃん。昔のリョウちゃんがケンカする理由はいつも一つ…私がイジメられて泣いてるのを見て、その仕返しをしに行く時だけ…」
「━━━」
なんとなく心当たりがあるだけに黙ってしまうリョウ。
そして蘭世は、寂しそうな目で言う。
「あの時は私のヒーローだと思って見てたけど…そのリョウちゃんだって結局はただのいじめっ子じゃん…幼馴染として悲しいよ…」
(…!)
寂しそうにこぼしたのを最後に、スッと前を向いて再び歩きだす蘭世。
「ま、待てよ、蘭世…!」
と慌ててついていこうとするリョウに向かって一言、
「用もないのについてこないで…もう私の知ってるリョウちゃんじゃないんだから…」
それを言われて足が止まってしまうリョウ。
(つ、ついてこないでって…俺も帰り道がそっちなんだからしょうがねぇだろっ…!)
と思いつつ、その蘭世の低いトーンで放った一言があまりにも深く心に刺さり、金縛りに遭ったように足が動かなくなった。
その間にも、前を歩く蘭世の背中はみるみる小さくなっていく。
そして、その先の角を曲がって姿が見えなくなるまでの間、蘭世は二度とリョウの方を振り返ることはなかった。
……
翌日。
下校のチャイムとともに足早に帰路につくリョウ。
今日は朝からずっとテンションが低かった。
理由は言うまでもなく、昨日、蘭世から浴びせられたあの軽蔑したような眼だ。
幼き頃の蘭世をいじめっ子から守っていた自分が、気付くといつの間にか強さを誇示するために理由もなく暴力を振るういじめっ子の立場に…そんな蘭世の指摘に、
(何だよ、アイツ…久々に会ったと思えば、いきなり核心つくようなこと言いやがって…)
と不貞腐れたい思いもあれば、それがあまりにも正論すぎて響く部分も…。
そんなモヤモヤが頭から離れないまま、気付けば昨日ケンカした公園の前。
そして通り過ぎようとしたリョウに、公園の中から、
「おいっ!ちょっと待てよ、リョウっ!」
と怒声で呼び止められ、ハッとして顔を上げると、公園のベンチには昨日リョウがケンカして負かしたヤツをはじめ、ここ数日、リョウが勝利してきた連中が密かに手を結んで待ち伏せしていた。
さしずめ被害者の会…そいつらはまるで糸で身体が繋がっているようにゾロゾロと塊で寄ってきて、
「昨日はよくもやってくれたなぁ?」
「俺ら、まだ納得いってねぇからよ。もっかいやるぞ、コラ!」
「腕に自信あんだろ?当然、受けて立つよな?おいっ!」
と数の力を借りてリョウを取り囲む負け犬たち。
一瞬、
(上等だよ!お前らなんか束になってかかってこようが俺の敵じゃねぇんだよ!全員、もう二度と逆らえないようにしてやるよッ!)
と応戦して声を荒げそうになった。…が、それをぐっと飲み込んだリョウ。
同時に体の横に握った拳もゆっくりと解き、そして…。
「よーし、これぐらいで勘弁してやるよ!」
「お前こそ、二度とでけぇツラすんじゃねぇぞ!」
「行こうぜ!」
意気揚々と立ち去っていく昨日までの負け犬たち。
そんな彼らの背中をただただうらめしそうに睨むリョウ。
そしてその背中が見えなくなったところで、ようやく、
「いてて…」
と腫れて痛む頬をしかめっ面でさすって、
「ちきしょう…こっちがおとなしくしてりゃ、好き放題しやがって…」
殴られ蹴られ…昨日と打って変わり、寄ってたかってサンドバッグ状態にされたリョウ。
一人相手に数人がかりという、そもそもが不利な状況だったとはいえ、個々の力はてんでたいしたことがない連中。
それこそリョウが本気を出せば勝機も充分あったし、少なくともここまで一方的な結果になることは絶対になかっただろう。
では、なぜこうなってしまったのか…。
(ったく…アイツが余計なこと言うもんだから…)
殴られてる間もずっと昨日の蘭世の一言が頭から消えてくれなかった。
そのせいで一向に反撃する気が起きず、その結果、こんな一方的な形に。
多勢に無勢とはいえ、つい昨日までリョウが固執していたスクールカースト争いにおいては致命的な一敗。
これでまた登り詰めるにはイチから…そう考えると、
「やってらんねぇよ、くそっ…」
と吐き捨てるしかない。
そして、そのまま立ち上がろうとしたが、思いのほか脚に痛みがあって、立つのをやめ、身体を預けるように背中の木にもたれかかるリョウ。
(おい、蘭世…無意味なケンカ、お前がああやって言うもんだから我慢したぞ…?これでいいのかよ…?)
と思っていると、まるで、その脳内の問いかけが通じたかのごとく、
「…リョウちゃん…?どうしたの、リョウちゃんっ!」
と、たまたま通りがかった下校中の蘭世が木にもたれてへたり込むリョウに気付き、慌てて駆け寄ってくるではないか。
(チッ…タイミングの悪いヤツだな…こんな時に来るんじゃねぇよ)
と、やられてボロボロの姿を見られる恥ずかしさが勝ってしまい、苦笑いのリョウ。
照れ隠しの作り笑いで、
「よぉ、蘭世…いいとこに来たな。ちょっと引っ張って起こしてくんねぇか?一人じゃ立てねぇんだ…」
と手を差し出すと、その手を何の躊躇もなく掴み、懸命に引っ張る蘭世。
思わず笑ってしまうぐらいの非力…だが、それでもどうにか腰が浮き、立ち上がることが出来た。
蘭世は、リョウの全身についた土を小さな手ではたいて回りながら、
「またケンカしたの?しかも昨日あんなに威勢のいいこと言ってたくせにボロボロじゃん…」
「仕方ねぇじゃねぇか。負けちゃったんだから…」
「負けた…?」
「お前のせいだぞ?あんな、ずっと頭に残って離れねぇようなこと言いやがって…」
と苦笑いしながら吐き捨てると、蘭世は最初きょとんとしていたが、だんだん思い出すとともに顔色を変え、
「べ、別にそんな本気で言ったワケじゃ…!」
「気にすんな。おかげで目が覚めた…」
とだけ言い、痛みを押して歩き出すリョウにすぐ追いつき、肩を貸す蘭世。
小柄で華奢な女生徒に支えられる男子…ふと、そんな自分の姿を俯瞰で見た瞬間、リョウは急に恥ずかしくなって、つい、
「や、やめろよ…恥ずかしいだろ…」
「なに言ってんの!足ひきずってるくせに!」
と、公園を出てもまだ寄り添って歩く蘭世に、
「泥々のヤツと一緒に歩くの恥ずかしいんじゃなかったのかよ…?しかも今日なんて昨日の比じゃないぞ?」
「昨日は昨日!つまんないこと気にしなくていいのっ!」
と言って、必死にリョウを支えて歩く蘭世。
ありがたさ、恥ずかしさ、情けなさが混在する不思議な感情。
こんな時に帰る家が隣同士というのがまた全ての感情を均等に助長する。
「ほら、もうすぐ家だから。頑張って」
と声をかけてくれる蘭世。
そしてどうにか到着したリョウの家の前。
そのままスッと家に入れればよかったが、よりによって、ちょうどリョウの母親がポストに夕刊を取りに出てきたところだった。
「あー、蘭世ちゃん。おかえりなさい♪ホント見るたびに大人っぽくなるわねぇ」
と愛想よく笑顔を振りまいたかと思えば、
「で、何してんの?アンタ。肩なんか借りちゃって」
「う、うるせぇッ…少しは心配しろっ…」
と赤面するリョウの代わりに、
「ちょっと、なんか…ケンカして足を怪我しちゃったみたいで…」
と説明してくれる蘭世。
母親は呆れて、
「バカじゃないの?ホントいつもいつも…怪我して帰ってくるようなケンカするんじゃないよ、まったく」
とリョウには苦言を呈し、蘭世には、
「わざわざごめんね、蘭世ちゃん。どうせこのバカの自業自得でしょ?次からほっといていいから」
「は、はぁ…」
「ホント、このバカ息子はいつまでたっても蘭世ちゃんに甘えて…」
「いえいえ…全然…」
と謙遜した後に、蘭世は一言、付け加えた。
「リョウちゃんは、私の大切な幼馴染ですから」
と。
(つづく)