3.深層心理
思った通り、マークする幹部たち一行が走らせる黒のワンボックスカーは河口湖を行き着いた。
車窓に見える日本の象徴、富士山。
だが、今の彼女たちに富士山を眺めているヒマなどない。
足手まといになった人質、つまり捕らわれた仲間たちを殺し、キャリーケースに詰めて広い河口湖の湖底に沈めるつもりではないのか?…という桜井の嫌な予見がいよいよ現実味を帯びてきたからだ。
ヤツらの車は湖畔を走り、貸別荘が点在するエリアへと入っていった。
停車したのは、湖岸に近い一件の別荘。
少し離れて、桜井も車を停める。
フロントガラス越しに見据え、
「なるほど。あそこがヤツらの根城ってワケか」
と緊張した面持ちで口にする若月。
「モタモタしてる時間はないわね」
と、桜井はシートベルトを外し、胸ポケットに忍ばせた拳銃を確かめた。
続いて向井と阪口の車も背後に到着。
梅澤と久保の車は横を通過し、問題の別荘を通り過ぎて反対側で停まった。
先回りをした真夏と高山の車が湖岸へ降りていく道を塞いだのを確認して桜井は車載無線で、
「真夏と一実はそこで待機。私と葉月で玄関、若月と珠美で裏口を固める。ウメと久保ちゃんはウッドデッキからの逃走を警戒。みんな、くれぐれも油断しないように」
「OK…!」
「了解…!」
と、それぞれ緊張した声が返ってきて、行動開始。
向井と連なって別荘へ近づく桜井。
裏口を固める若月と珠美も、別れて、忍び足で雑木林を横切っていく。
ひとまず確認できているのは東京から来た四人。
それプラス、山崎、賀喜、早川が監禁されているとして、その監視役に三人ほど中にいると考えれば計七人。
(先制攻撃で先手を取るしかないな…)
と腹を決める桜井の隣で向井が、
「ヤツら、どう出ますかね?逃げ出すか、それとも向こうから撃ってくるか…」
「…怖くないの?葉月」
と聞くと、向井は頷いて、
「怖さは、珠美と二人で張りついていた時がMAXでした。今は不思議と落ち着いてます。心強い先輩たちと一緒にいるから…」
「……」
そう言われて黙ってしまう桜井。
(…そうね。私たち、先輩だったね)
ここで先輩である自分がしっかりしなければ、後輩の向井を不安にさせてしまう。
喝を入れるような向井の一言で、余計な緊張が消えた。
「…行くよ!」
「はいっ!」
木の陰から木の陰へ、忍者のように駆け、二人は別荘へと近づいた。
一方、裏の雑木林。
落ち葉を踏み鳴らさないよう、忍び足で別荘の裏口を目指す若月と珠美。
ふいに珠美が、背後で、
「きゃっ…!」
と小さな悲鳴を上げた。
ハッとして若月が振り返ると、珠美が木の根っこにつまずいて前につんのめっている。
「珠美…!」
慌てて駆け寄り、腕を掴んで引っ張り上げる。
「大丈夫?」
「は、はい。何とか…」
幸い、少し膝を擦りむいただけで大事には至らず、別荘の中の男たちに気付かれることもなかった。
近くの木陰に身を寄せると、若月は、まるで母親のように珠美のタイトスカートについた落ち葉と土を叩いて払いながら、
「油断しちゃダメだよ。ちゃんと落ち葉の下もよく見ないと。見えないところにこそ障害物がある…訓練の時に教えたでしょ?」
「はい、すいません…!」
こんな状況でも教官と生徒。
一時は捜査官の職を退くも、桜井に頼まれ、臨時講師として、当時、訓練生だった珠美に日夜スパルタで捜査官のイロハを説き、一人前に育て上げた若月。
珠美が正式に配属された後も、そしてこうして若月が再び捜査官に復帰してからも、その師弟関係は変わらない。
「さぁ、行くよ!」
「はいっ!」
愛弟子に発破をかけ、再び忍び足で木と木を縫って近づく若月。
師匠と慕う若月に、珠美も続く。
一方、ウッドデッキ側の雑木林。
梅澤と久保は、お互い、別荘がよく見える位置の大木の陰に身を隠し、様子を窺う。
「…くそっ!カーテンが閉まってる!中が見えない…!」
と、木陰から覗いて歯噛みをする梅澤。
「…どうする?」
「…よし!いいこと思いついた!」
「何する気…?無茶なことはしないでよ?ウメ…!」
「大丈夫、大丈夫。それよりちゃんと見ててよ?」
と、木と木の間で会話をする二人。
梅澤が、足元に転がっていた折れた枝を拾い上げ、ウッドデッキめがけて放り投げる。
ゴンっ…!
と音が立つと、途端に、
「何の音だ!?」
「外から聞こえたぞ!」
「調べろ!」
と閉じられたカーテン、そして窓が開き、子分が三人、ウッドデッキへ出てきた。
窓を開けっ放しで、ウロウロと音の正体を探し回る男たち。
部屋の中から幹部らしき男の声で、
「おーい、何だったんだ?」
と聞こえ、それに対して子分たちは苦笑して、
「アニキ。枝ですよ、枝」
「風で折れた枝がたまたまここへ落ちてきただけですわ」
「驚かせやがって…」
と肩をすくめて部屋へ戻っていく。
再びカーテンが閉じられるのを見てから、久保が、携帯無線で、
「…玲香さん。ヤツらは今、ウッドデッキに面した部屋、おそらくリビングですが、そこに固まっている模様です。確認できたのは四名。注視しましたが、それ以外に人がいる気配はありません」
「…了解。では手筈通り、これより玄関のインターホンを押す。裏口、ウッドデッキ、そして下の道も、逃げ出したら、各班、対応よろしく」
「分かりました」
と久保が答え、続けて、裏口に向かった若月、そして、下の道を固める真夏からも、同じく、
「了解…!」
と返事があった。
交信を終え、
(始まるよ…!)
というアイコンタクトをして拳銃を取り出す梅澤と久保。
二人とも真剣な眼差しで、相手の出方を待つ。
玄関に辿り着いた桜井と向井。
意を決して、別荘のインターホンを鳴らす。
少し間を置いて、
「…誰だ?」
「乃木坂46の者だけど」
と桜井が短く伝えると、一瞬、相手は無言になった。
(さぁ、どうする…!)
これで蜘蛛の子を散らすように別荘を飛び出してくれればこちらの思う壺。
裏口、もしくはウッドデッキが騒がしくなったのをキッカケに、この目の前のドアを蹴破って突進し、挟み撃ちにして主導権を握る算段。
(さぁ、うまくいくか…)
と固唾を飲んで見守る桜井。…だったが、返ってきた反応は予想外のもの。
「…はい。少々お待ちを」
(…!)
訪問に応じるという頭になかった展開に、豆鉄砲を食らったような顔になる桜井。
そして、玄関が開き、マークしていた幹部が平然と顔を出し、
「あぁ、捜査官さん。こんなところまでわざわざ来られて、どうしましたかね?」
「……」
一瞬、黙ってしまった桜井は、動揺を悟られないよう、毅然を装って、
「…二三、聞きたいことがあるわ」
「聞きたいこと?俺に?いったい何です?」
わざとらしく、きょとんとした顔を見せる幹部に、
「アンタたちが、今日、ここに来た理由は?」
「理由?言わなきゃなりませんか?」
「ええ。ぜひ教えてほしいわね」
と桜井が問うと、幹部は頭を掻いて、
「英気を養うひとときのバカンス…といえばいいですかね。都会の喧騒に疲れたので、可愛がってる舎弟を連れて河口湖まで遊びに来たんですよ。いけませんか?」
「……」
掴みどころのない返答に、ここからどう話を展開すべきか必死に頭を巡らせる桜井。
その間を埋めるように向井が、
「この別荘の所有者は誰なの?」
「ここ?ここは花田組…といっても組はアンタらのせいで既に解散したも同然だが、元々、組の所有で管理してた別荘でね。幹部以上なら誰で使えるんですよ」
「……」
向井も黙ってしまうと、幹部はさらに続けて、
「以前までは組長が独占して使ってたもんだから俺たちが『使いたい』って頼むのも億劫だったんだが、アンタらが組長をしょっぴいてくれたおかげで、今では無断で気が向いた時にいつでも使い放題。お礼を言いたいぐらいですよ。へっへっへ」
と笑った。
その余裕綽々の態度に、桜井の顔に消えた筈の緊張が戻る。
(まさか…陽動?)
現状、この幹部はマーク対象ではあるものの、抗争に直接的に荷担したという証拠はまだなく、現行犯でもないかぎり拘束できるほどの理由はない。
ただ遊びにきた…では何も出来ない。
(どうするんですか?玲香さん…?)
という目で見る向井。
桜井は、意を決して、
「ちょっと中を見せてもらいたい」
と切り出すと、幹部も好戦的な目になって、
「なるほど、家宅捜索ってワケですか。…令状は?」
「…令状はない」
「つまり任意ってことですか」
任意だから断られればそれまで。
幹部は弄ぶように、
「う〜ん…任意だったら、わざわざ協力する筋合いもねぇんだがなぁ…」
とニヤニヤしながら、
「理由は何ですか?」
「失踪した我々の仲間が監禁されている疑いがある」
「疑い?どういう経緯で?」
「…そういう通報があった」
「通報?誰から?」
「…それは守秘義務で教えられない」
桜井らしくない、ぼそぼそと喋る様に、
「おいおい、本当かよ?どうも怪しいなぁ…」
と馬鹿にしたような笑みを浮かべる幹部。
苦しい嘘だということが明らかに見透かされていると分かりつつ、桜井も退かずに、
「とにかく中を見せてちょうだい。それとも見せられない理由でもあるのかしら?」
と強気に切り返すと、幹部は、
「中ねぇ…まぁ、いいや。ゴネて変な疑惑を持たれるよりマシか」
と肩をすくめ、
「男だけの旅行だから行儀が悪くて散らかしてますよ?それでもよかったら…」
と二人を招き入れた。
「ど、どうします…?」
言われるがまま入って大丈夫なのかという視線を送る向井。
もし踏み込んだところを束になって襲ってこられたら…ということだろう。
確かにその危険はある。が、かといって退くワケにもいかない。
「…行こう」
と促し、先に足を踏み入れる桜井。
充分に警戒しながら、案内されるまま黙って奥へと進む。
リビングには、子分が三人、カーテンを閉めきり、咥え煙草でテレビゲームをしていた。
ニヤニヤしながら迎える子分たちに対し、
「常々、俺たちのことを厳しくマークしてくださっている連中のリーダーさんだ。くれぐれも粗相のないように」
と嫌味たっぷりに言う幹部。
そして自分もソファーにドカッと腰を下ろすと、
「さぁ、好きなだけ調べてください。東京からわざわざこんなところまで追いかけてきたんだから、気が済むまでね」
と声をかける。
(くそっ…証拠がなくて、こっちが手出しできないのをいいことに…!)
と歯噛みをしながら、室内の捜索を開始する桜井。
スッと向井の肩を抱き、小声で、
「葉月は二階を。とにかく、人質を隠せそうなところは全部、隅々まで調べて」
「はい」
「あと、もしかしたらコイツらの仲間が息を潜めて隠れている可能性もある。何かあったら、とにかく大声を上げること。分かった?」
「分かりました…!」
ドタドタと階段を駆け上がり、二階へ上がっていく向井。
桜井も、キッチン、洗面所、トイレに風呂場と、一階を入念に調べて回る。…が、不審な点はない。
隠し扉や地下室がある形跡もなかった。
二階に行った向井も、いろいろクローゼットを開けたりして調べている物音は聞こえるが、収穫は得られていない。
男たちは意に介す様子もなく、談笑しながらテレビゲームを続けている。
(まんまとしてやられたというの…?)
表情には出さずとも、苛立ちが隠せない桜井。
そんな神経を逆撫でするように、みたびリビングを横切った桜井に、
「桜井さん…でしたっけ?ここまでは何で来られたんですか?」
「…車」
「ほぅ。ってことは、俺たちの疑いが晴れたら東京へ日帰りですか?」
「…そうね」
「ええっ!日帰り!?そりゃ、大変だっ!東京に着いたらもう真っ暗ですよ!」
と幹部は大袈裟に驚くと、ニヤニヤして、
「もしよければ泊めてあげましょうか?ベッドはまだ余ってますから」
「…遠慮しておくわ」
「そう言わずに。いいじゃないですか、泊まっていけば。…あ、でも、桜井さんは美人だから、もしかしたらウチの若いのが変な気を起こして夜中に潜り込むかもしれませんがね。へへへ」
(くっ…バカにしやがって…!)
聞くだけ無駄の煽りを切り上げ、捜索に戻る桜井。
だが、いくら探しても、この別荘の中に捕らわれた仲間の姿はない。
桜井は、じわじわと増していく狼狽を必死に抑えて、
「荷物も見せてもらうわよ」
「荷物?」
「東京から持ってきた荷物っ!しらばっくれないでっ!」
と思わず声を荒げてしまう始末。
それでも幹部はヘラヘラして動じることもなく、
「おい、荷物を持ってきてやれ」
と子分たちに命じる。
続々と運ばれてくるキャリーケースにボストンバッグ、麻袋にクーラーボックス。
まずキャリーケース…中は着替えと洗面用具ばかり。
ボストンバッグも同様だ。
そしてクーラーボックス…これはカラッポ。
「明日は天気がいいらしいから湖にボートを出して、釣りでも楽しもうと思ってね」
と幹部が笑う。
さらに麻袋。
予想ではキャリーケースを湖に沈めるための重石の筈だったが、実際に中に入っていたのは大量の炭だった。
それについても、
「バーベキューするんですよ、今夜」
と、澄まし顔の幹部。
あとは、最も警戒していた細長いバッグ。
ここまで来ると逆に、
(頼むから中身はライフルであってくれ…!)
と思ってしまう。
もし予想通りに分解されたライフルが入っていれば、それを理由に拘束できる。
(頼む…お願い…!)
おそるおそるファスナーを開ける桜井。
だが、次に出たのは溜め息…中身は釣り竿だ…。
うなだれる桜井の背中に浴びせられる幹部の笑い声。
「へへへ…言ったでしょ?明日は釣りをするって」
結局、いくら探しても、捕らわれた仲間も、コイツらをこの場で拘束できる理由すらも出てこなかった。
二階から降りてきた向井も、残念そうに首を振る。
茫然と立ち尽くす二人に、
「疑いは晴れましたか?じゃあ、お引き取りください」
と、勝ち誇ったように玄関を示す幹部。
桜井は、無線で一言、
「警戒解除、撤収…」
と仲間に伝えて、追い出されるように背を向けた。
そんな背中に、幹部から一言。
「桜井さん…女捜査官ってのは綺麗な人が多いですねぇ?俺たち女好きだから、あまり周りをウロウロされるとムラムラしちゃってたまりませんよ。へっへっへ!」
警告ともとれる下品な嘲笑で神経を逆撫でされ、屈辱まみれの憮然とした表情で停めておいた車に戻る桜井。
そして、ちょうどそのタイミングで最悪の無線が車内に轟いた。
「玲香さん、玲香さん。こちら本部の矢久保です。金川、掛橋ペアと連絡が取れなくなりました…!」
……
そして、その夜。
まんまと陽動作戦に引っ掛かり、河口湖までノコノコついてきたマヌケな女捜査官たちが慌てて東京へ引き返していった夜のこと。
見回りに出た子分が半時間ほどして戻ってきて、
「…大丈夫です。一人残らず撤収した模様です」
「ふっ…今頃、慌てふためいているだろうからな」
と幹部は嘲笑うと、ケータイを取り出し、
「…もしもし。アニキですか?連中は東京に戻りました。もう来てもらっても大丈夫ですぜ」
と連絡を入れた。
それから10分ほどして、柴崎とその取り巻きが到着した。
「お待ちしておりました。ようこそ」
と迎える幹部。
この幹部とは違い、主犯格と見られている柴崎は、捜査官の連中と相対すれば、即、拘束されてしまう。
それゆえに目を盗む必要があった。
柴崎はソファーに腰を下ろすと、開口一番、
「私の教えは上手くいったかね?」
「ええ。アニキの目論見通り、血眼になってくっついてきましたよ。ここでようやく一杯食わされたと気付いた時の桜井のあのテンパったツラは、アニキにも見てもらいたかったですぜ」
「フフフ…それはよかった」
と、知恵を授けた柴崎もご満悦の様子だったが、すぐに表情を戻し、
「ところで、頼んでおいたものは?」
「ええ。それもバッチリです」
と、一本のテープをテーブルに置く幹部。
「玄関、裏の林、ウッドデッキ、そして湖岸へ下りる道…どれも鮮明に撮れてます」
「どれどれ…」
と、早速、ビデオデッキに入れて再生してみる。
映し出される高性能監視カメラの映像。
四分割の映像には、コソコソと別荘に近寄ったり、木陰に身を潜めて待ち伏せをしている捜査官たちの姿がしっかりと映っていた。
撮られていることを気付く様子はない。…当たり前だ。
傍に立つ木の幹の中に埋め込まれた監視カメラなど気付く筈がない。
「へへへ…アニキ。見てくださいよ、この滑稽さ!どいつもこいつもカメラから丸見え!これでまんまと俺たちを包囲した気になってやがったんだから、お笑いですぜ」
と上機嫌の幹部に対し、柴崎はクスッと笑っただけ。
「…ところで、アニキ。こんなものを撮って、いったい何をするんですかい?」
詳細までは聞いていない。
とにかくこの監視カメラを、彼女らがこの建物を包囲した時に固めるであろう玄関、裏口、ウッドデッキ、下の道の四ヶ所に仕掛け、陽動作戦で捜査官たちを引き寄せろという指示だった。
「この映像を使って何をするのか、そろそろ俺にも教えてくださいよ。アニキ」
「うむ…」
柴崎は答えるかわりに、連れてきた取り巻きの一人、初老の男を手で示し、
「こちらは亜門先生。私とは古い付き合いの心理学の権威だ」
「心理…学…?」
きょとんとする幹部に、
「まぁ、黙って聞いていたまえ」
と言って、
「では先生。お願いします」
「はい」
と言って、持参したノートを開き、撮れたビデオを順に再生していく亜門。
それまで柔和だった表情が急に真剣な眼に変わり、映る映像を凝視しては、時折、何かを書きつけているが、何を書いているかは想像もつかない。
見終わっては巻き戻し、もう一度、アタマから…それを何回も繰り返す姿は、真意が分からない幹部にとって、ただただ退屈な時間でしかない。
内心、
(何回、見直せば気が済むんだ?まどろっこしいジジイだぜ、まったく…)
と思っていたが、柴崎と古い付き合いだというし、その柴崎もいる手前、おとなしく見守るしかない。
その後、半時間ほどそれが続いて、やっと、
「…はい、オッケーです」
と言った亜門。
それをキッカケに柴崎が、
「おい。今から先生が言うことをノートか何かに書きつけろ。一言一句、逃さずにな」
「は、はいっ!」
子分の一人が慌ててペンを構える。
「いいですか?」
と前置きをして、再び録画テープを再生する亜門。
画面にペン先をコツコツと当てて、
「まず、この方…」
と、被写体の一人を示した。
すかさず、
「向井葉月…」
と、その指された人物の名前を言う柴崎。
「この方は、こうして、常に先輩の後ろをついて走ってますね?これは心理学でいうところの臆病者…つまり誰か頼れる仲間が前にいる時はその後ろでテキパキと動けるが、いざ自分が率先して前に立つ状況になると、借りてきた猫のように縮こまってしまう。そういう性格の表れです」
「━━━」
「続いて…」
亜門は、再びテープを巻き戻し、
「次は、この方…」
「コイツは…梅澤美波…!」
「この方は…これを見てください。横にいる仲間が慎重を期しているのに対し、足元の枝を拾い、躊躇なく建物に向かって放り投げてますね?これは俗にいう猪突猛進…危険を省みず、物事の答えや進展が気になって仕方がないということです」
「なるほど…じゃあ、たとえば、行動次第で事態が進展するような状況に出くわすと…?」
「躊躇なく突き進むタイプでしょう。ましてや、この女性は長身…長身の女性は往々にして気が強いですから、いざという時は仲間の制止も聞かずに突っ走るタイプだと思いますね」
と、被写体の梅澤の心理状態を的確に分析する亜門。
それを、
「ふむふむ…なるほど。梅澤美波は仲間の制止も振り切る猪突猛進タイプ…か」
と顎に手を添え、聞いている柴崎。
そこでようやく幹部も、
(なるほど、そういうことか…!)
と、柴崎の狙いが分かった。
彼は、誘い出した捜査官たちの行動や仕草を映像に収め、心理学の観点から癖や弱点を見破り、次の罠に生かすつもりなのだ。
(さすがアニキ!常にヤツらの一歩リードして、次の局面を考えている!)
と感心して見守る幹部。
その後も、久保史緒里、秋元真夏、高山一実と、カメラに収められた些細な行動から次々に深層心理を暴かれていく。
そして…。
「では、次は…この方いきましょうか」
「ふむ。若月佑美…ですね」
と呟いてから、柴崎が、これまでの誰よりも興味津々に耳を傾けている気がした。
まるで、若月の深層心理を暴くことが一番の目的だったかのよう。
そして亜門が分析する。
「ここですね。お連れの方が木の根っこに足をとられて転んだ際、すぐに足を止め、慌てて戻り、まるで我が子のように手をとって抱き起こしています。慌てて戻り、手を貸して起こす…これは、いわゆる母性の表れです。今も言ったように、こちらの方を我が子のように溺愛し、また、寵愛して可愛がっているのでしょう。この子が、この方にとってのアキレス腱のような存在といってもいいかもしれませんね」
「なるほど…」
それまで冷静だった柴崎の顔に不敵な笑みが浮かんだ。
(ついに見つけたぞ…!ヤツら『乃木坂46』の柱、若月の弱点を…!)
亜門の導きだした結果を参考に、恐ろしい回転を見せる柴崎の狡猾な頭脳。
(阪口珠美だ…!あの小娘を捕らえて餌にすれば、若月を攻略できる…!そして、若月を誘い出せば自然と桜井も一緒に…ククク、これはおもしろくなりそうだ…!)
かねてから若月に対しては一目置いていた柴崎。
ある意味、リーダーの桜井よりも難敵だと位置づけている。
その理由は、なんといっても、あのずば抜けた洞察力。
他の雑魚になら通用するような小手先の罠も、若月はすぐに怪しんで、そう簡単にかかってくれない。
かといって襲撃という強行手段に出て力任せに拉致しようにも護身術、棒術、さらには射撃の腕も達人級という隙のなさ。
訓練生相手の臨時教官まで務める女は伊達じゃない。
後輩たちから慕われ、秋元真夏や高山一実といったベテランからも頼られて、何より、リーダーの桜井の心の拠り所でもある女…。
そんな精神的支柱、若月を捕らえて堕とせば、ヤツら『乃木坂46』は、バランスを失ったジェンガのように脆く崩壊し、一気に崩れていくことだろう。
(ククク…待っていろ、若月!貴様には、この俺が、とっておきの舞台を用意してやる…!)
とうとう柴崎に目をつけられてしまったキーマン若月…!
果たして彼女は、柴崎の魔の手から逃れられるか…!
(つづく)