1.女たちの覚悟
「ただいま戻りました〜…」
と覇気のない声。
聞き込みから戻ってきた梅澤美波、久保史緒里ペアだが、その成果は、二人の疲れきった表情を見ただけで、特に収穫がなかったことが窺える。
それでも、
「ご苦労様。コーヒー淹れたから、これでも飲んでゆっくり休んで」
と労い、カップを配る秋元真夏。
二人は、
「ありがとうございます」
「すいません。わざわざ…」
と遠慮がちに受け取るも、口へ運ぶより先に、
「ふぅ…」
「はぁ…」
と溜め息をつく。
…無理もない。
次々に仲間が失踪するし、その行方が一向に掴めないからだ。
もどかしく、苛立ち、苦悩する日々が続く。
帰還した二人に限らず、ここ数日は本部全体のムードが沈んでいる。
それを示すように、まず会話がない。
話し声の代わりに、キーボードのタイピングの音、資料をめくる音、ペンの走る音…各デスクから聞こえてくるそれらの物音が主だ。
そのせいで、つけっぱなしにしているテレビの音がやけに鮮明に聞こえる。
「では、次のニュースです。軽井沢の別荘で自殺と思われる男性三人の遺体が発見されました。亡くなった三人のうちの一人は都内で本社を構える仮屋崎コンツェルン会長の仮屋崎大五郎さんで、関係者の間では困惑が広がり…」
とニュースが流れたところで、ふと高山一実が顔を上げ、
「また自殺…?最近、多いなぁ。この手のニュース」
と、ぼやくように言った。
それに乗っかる形で、真夏も、
「事情は知らないけど、きっと何か辛いことがあったんだよ」
「でもさ、辛いから死ぬってのもどうかと思うんだよね〜。辛くても頑張って生きてる人だっていっぱいいるじゃん?私だってそうだよ。生きてたら辛いことの方が多いんだから」
「まぁ、確かにね〜」
そんな他愛もない話をする二人を、
「ちょっと静かに」
と止めた若月。
シーンとする中、ペンを止め、テレビを睨んで流れてくるアナウンサーの声を真剣に聞いている。
「どうしたの?若月…」
「なに?もしかして知り合い?」
と不思議そうな顔をする二人に答えず、なおも詳細を聞いてから、一言、
「…似てる」
「似てる…?」
首を傾げる真夏を押し退けるようにして、部屋を出ていった若月。
(…?)
ポカンとする本部の面々。
その後、10分ほどして戻ってきた彼女の手には、ここ二週間ぶんの新聞が束にして握られていた。
それを自分のデスクに持ち帰り、黙々と見始める若月。
さすがに桜井玲香も気になったのか寄ってきて、
「何か気になることでもあるの?若月」
「…似てるんだよ」
「似てるって何が?」
「ここ最近の自殺事件の傾向…」
とだけ言い、なおも新聞を漁る若月。
いつの間にか真夏も高山も、そして桜井も、若月の背後に並んで、彼女のすることを見ている。
若月は、バックナンバーの中から、五日前のもの、十日前もの、そして今朝のもの…この3日ぶんを抜き出し、改めてデスクに並べる。
<銀座のボスこと○○、クルージング中に服毒死!東京湾を三途の川に見立てたか!>
<サッカー選手△△、自殺!?横浜・赤レンガ倉庫にて愛車のポルシェの中で遺体で見つかる!>
<軽井沢の別荘に遺体!大企業の会長が執事、運転手とともに心中か!>
「……」
鋭い眼光で3つの記事を見比べる若月。
釣られるように一緒に見比べていた真夏も、思わず、
「そう言われれば確かに似てるね…」
と口にした。
ここ最近、妙に頻発している自殺事件。
嫌な世の中になったと思っていたが、こうして並べて見返すと、いくつか共通点が見え隠れする。
まず死んだ人間…軽井沢で死んだ男の執事と運転手は別として、銀座のボス、サッカー選手、大企業の会長と、どれも地位があり、金には困ることのない人間ばかり。
死後、近しい関係者の証言が、
「彼が自殺する理由が思い当たりません」
「そんな人じゃない」
「何かに悩んでいる様子など一切なかった」
と懐疑的なのも共通している。
そして死に方。
銀座のボスはクルーザー上での服毒死。
サッカー選手は愛車の中で排気ガスを引き込んで一酸化炭素中毒死。
大企業の会長も別荘にて密室の中で煉炭自殺。
これも、使用されたものや手法に違いはあれど、大きく言えば「中毒死」で共通している。
「…確かに妙だね」
と、高山も頷く。…が、それに続く言葉が誰も出ない。
いや、そもそも何を疑っているのかも定かではない。
ただ漠然と、最近、立て続けに起きる著名人の自殺事件に似通った点がある“気がする”…それだけだ。
「…ごめん。こんなの別にウチらの事件(ヤマ)とは関係ないことだね」
と鋭い視線を元に戻し、苦笑いの若月。
現状、完全に行き詰まっているせいで、まったく無関係なことを、さも関係があるように疑ってしまう…捜査官の職業病だ。
「ごめん、みんな。忘れて」
と、並べた新聞紙をさっさと片付け、忽然と消えた仲間たちが監禁されていそうな場所を考える若月。
高山も、真夏も、そして桜井も、蜘蛛の子を散らしたように自分のデスクに戻る。
そしてまた本部に沈黙が訪れる。
少しでも気を紛らそうと、真夏は、
「玲香。コーヒーいる?」
「…うん、お願い」
「若月は?」
「私も欲しいな」
「一実は?」
「おっ、サンキュー♪さすが真夏!」
と言われて給湯室へ向かう真夏。
要領よくインスタントコーヒーを、人数分、淹れながら、ふと、
(それにしても、東京、横浜、軽井沢…別々のところで起きた自殺事件なのに共通点があるなんて、珍しいこともあるものね)
と思う真夏。
この時点ではまだ誰も、こちらの事件(ヤマ)との関連性を疑う者はいなかった。
……
翌日。
重苦しい空気の本部を見かねたように、事態が動いた。
柴崎一派の幹部の一人と目される男が、慌ただしく外出の準備を始めたと、監視を任せた向井葉月、阪口珠美ペアから無線報告が入ったのだ。
息を吹き返したように色めき立つ本部。
桜井も、はやる気持ちを落ち着けて、
「様子は?」
と聞くと、葉月が、
「子分にワンボックスカーを手配させ、そこに三人がかりで荷物を積み込んでいます。大型キャリーケースが3つ、重そうな麻袋も3つ、それからボストンバッグ2つ、クーラーボックス1つ…あっ、今、細長いバッグも2つ、積み込まれました!」
「細長いバッグ…?」
「はい。肩に提げる細長いバッグです。これだけ、やけに慎重に扱っているように見えます。なんというか…とにかく細長いバッグです!」
と、緊張からか焦り気味の葉月に、
「落ち着いて、葉月。すぐに私たちもそっちへ行くから」
と声をかけ、出動準備にかかるメンバーたち。
本部地下のガレージに向かう中、若月が一歩後ろから、
「玲香。葉月の言ってた“細長いバッグ”なんだけど…」
「…分かってる。分解したライフルでしょ?」
と桜井は前を向いたまま答え、
「それで用済みになって人質を撃ち殺し、キャリーケースに詰めて麻袋の重石をつけて湖にでも沈める…そんなところかな」
「玲香…やっぱり私の同じことを…」
追いつこうと早足になり、横に並んでようやく若月は、桜井の顔が焦りと緊張で強張っていることに気付いた。
自分も同じような顔をしているだろう。
後ろでおそらく聞こえたであろう真夏、高山、梅澤や久保も同様だ。
「…考えすぎだといいんだけどね」
と、言い聞かせるように絞り出す桜井。
だが、葉月の報告によると、積み込まれたキャリーケースは3つ。
山崎、賀喜、早川…消えた三人と数が合ってしまう。
(…考えすぎだといいんだけどね)
桜井は、頭の中で何度も復唱した。
車三台に分乗するメンバー。
桜井と若月、真夏と高山、梅澤と久保だ。
ビルを飛び出し、都内を駆ける車。
車内無線で、
「こちら桜井。…葉月、聞こえる?」
と呼びかけると、間髪いれずに応答があり、
「はい、向井です!」
「様子は?」
「荷物の積み込みが終わって、まもなく出発する模様です。車は黒のワンボックス、ナンバーは○○―△△。車内には幹部一人と子分三人の計四名が乗り込んでいます」
と言ってから、急に慌てて、
「あっ、動き出しました!幹部宅から甲州街道に出て…西です!西!調布方面へ進路をとりました!」
「甲州街道を西ね?…了解」
と言いながら、とっさに頭に浮かんだのは、
(河口湖…!)
広くて深い湖…死体を詰めたキャリーケースを沈めるにはもってこいだ。
嫌な汗が流れるのを感じながら、
「…あと10分ほどで追いつくわ。追尾しながら現在地の報告を逐一お願い」
と言って、残酷な想像を振り払うようにアクセルを踏み、速度を上げる桜井。
こちらの車も甲州街道へ入ったところで、助手席の若月が、珍しく落ち着きがなく、内ポケットに入った拳銃を何度も確かめながら、ふと、
「相手はライフルか…もしかしたら撃ち合いになるかもしれないね…」
と呟いた。
ハンドルを握る桜井は、少し間を置いて、
「ライフル…撃たれたら痛いだろうね」
「そりゃ、そうだよ。ライフルだもん…」
「当たりたくないな…」
と、恐怖を誤魔化すように言い合う二人。
後続の車でも同じように恐怖を誤魔化し合っているのだろうか。
ふいに若月が、
「玲香。一つ、約束してほしいことがあるんだけど」
「…約束?なに?」
「もし私が撃たれた場合…」
「━━━」
縁起でもない話の導入にスッと黙り込む桜井。
表情も一気に暗くなったような気がしたが、若月は構わずに、
「もし私が玲香の目の前で撃たれて倒れても、私に構わず前に…」
前に進んでほしい…と言いかけたところで、桜井は遮るように車載無線に手を伸ばし、
「真夏!聞こえる?」
「うん。聞こえるよ」
「進路は西、調布方面。おそらく相手は、その先、八王子方面へ向かってる筈だから…」
と桜井が言っただけで、真夏は、
「…了解。それじゃ、こっちの車は中央自動車道に入って先回りするね」
と返ってきた。
さすが長年の付き合いとベテランの勘、全て言わずとも考えていることが通じている。
そのやり取りを終えてから、桜井は話を戻し、
「私も気持ちは同じだよ、若月。もし私が撃たれて倒れても、私に構わず、みんなと一緒に前に出て。…頼んだよ」
「━━━」
次は若月が黙り込んだ。
もしそんなことが現実に起きるとしたら、今、この車中が二人で過ごす最後の時間かもしれない…。
もちろん、非業の死を遂げるぐらいの覚悟はある。
捜査官である以上…ましてや玲香のために自ら復帰を決めた以上、危険と隣り合わせは承知の上だ。
だが、果たして本音はどうだろう…?
相棒が…いや、愛するパートナーが目の前で倒れても気丈に振る舞えるだろうか。
(…いや、そんな自信はない)
だから、
(それならいっそ、倒れるなら私が…)
と思ったが、それは玲香も同じのようだ。
やがて二人ともが無言になる。
空気が重すぎて、景色がスローモーションに見える。
その沈黙を切り裂くように、向井からは、ひっきりなしに、
「環八通りを過ぎました」
「千歳烏山駅を通過」
「まもなく仙川」
「つつじヶ丘に差し掛かります」
と、現在地の報告が入る。
だいぶ追いついている筈だ。
こちらの現在地と照らし合わせると、先行する向井の車から3分ほど遅れて後を追っているイメージ。
進路はとにかく西…依然として西を目指しているようだ。が、油断は禁物。
急に進路を変えないともかぎらない。
絶対に撒かれてはいけない尾行なだけに、もし相手が不意な動きをした時、向井、阪口の若手コンビだけでは少し不安だ。
桜井は再び車載無線を手に取り、
「次の分岐、私の車はこのまま甲州街道を直進する。ウメの車は旧甲州街道の方へ入って!」
「了解!」
ミラーに目をやると、指示通り、梅澤と久保の車は道を逸れていった。
それを確認した後、先に口を開いたのは若月だった。
「…玲香?」
「…なに?」
「必ず…必ず“二人で”一緒に帰ろうね…」
ぼそぼそと口にした若月。
桜井は今の言葉を心に刻み込むように、少し間を置いてから、小さく頷き、
「うん…!」
と言った。
(つづく)