乃木坂抗争 ― 辱しめられた女たちの記録 ―




























































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第一部 第四章・与田祐希の場合
1.会議
 秘密組織「乃木坂46」の本部。
 室長の桜井玲香は苛立ちのあまり、テーブルを叩いた。
「だから単独行動は危険だって、あれほど言っておいたのにっ!」
 捜査員の齋藤飛鳥が何者かに拉致された案件、それはまさに寝耳に水の出来事だった。
「それで、状況は?」
 若干の怒気をはらんで聞く玲香に対し、秋元真夏は恐縮しながら、
「今、飛鳥を乗せたタクシーを探してる。昨日、都内でタクシーの盗難が、一件、起きている。おそらくヤツらはその盗んだタクシーで飛鳥を乗せて、連れ去ったんだと思う」
「計画的ね」
「飛鳥も、尾行することに夢中で、まさかそれが盗まれたタクシーだとは気づかず、疑わずに乗ったんだと思う」
「―――」
 玲香の表情が曇る。
 その計算高さ、ますますスコーピオンが裏で糸を引いてるという確信が強くなった。
「…とにかく、そのタクシーの行方を徹底的に調べましょう。捜査員を増員するわ」
 と、玲香は言った。
 しかし、ほどなくして、そのタクシーは難なく見つかった。…いや、むしろ“見つけるように仕向けられた”といった方が正確か。
 キッカケは本部に届いた一通の封筒だった。
 差出人の名はなく、中に入っていたのは一枚のポラロイド写真だけ。
 写真の被写体は飛鳥を乗せたと思われるタクシー、背景はお台場だった。
 玲香は場所を特定し、すぐに捜査員を引き連れて現場に向かった。
 万一、罠だった場合も考え、全員が拳銃を携帯して、だ。
 しかし、それは取り越し苦労だった。
 問題のタクシーは乗り捨てられて無人の状態で発見されたからだ。
「…間違いない。盗まれて手配されているタクシーよ」
 と、真夏がナンバープレートを照合しながら言った。
 しかし、車内に人の姿はなく、飛鳥の姿もなかった。
(足がつく前に車だけ返したということ…?)
 と玲香は首を傾げていた時、
「玲香さん!」
 と、捜査員の一人、向井葉月が声を上げた。
 駆け寄ると、後ろのトランクが完全に締まりきっていなかった。
(うっかり開けてドカン…とも限らないな)
 一瞬、玲香の顔が強張ったが、すぐに、
(もし相手がスコーピオンなら人殺しはしない。ヤツの愉しみは、女を意のままに凌辱することだけ…)
 と思い直し、覚悟を決めてトランクを開けた。
(…!!)
 中を見て、玲香は絶句した。
 そこに押し込められていたのは、なんと、全裸のまま眠らされた齋藤飛鳥だったのだ。
「飛鳥さんっ!」
「飛鳥っ!」
 捜査員たちが一斉に駆け寄る。が、次の瞬間、その誰もが一様に目をむいた。
 色白で華奢な身体。
 しかし、その下腹部から陰毛を失った恥丘にかけて、おどろおどろしいサソリの刺青が入っていたのだ。


 衰弱していた飛鳥は、すぐに病院に搬送され、治療の手を尽くされる一方、この事態を受けて上層部はすぐに緊急会議の場を持った。
「これは我々に対する明らかな挑戦だ!」
 と本部長の今野は声を荒げ、
「こんな事をされて面子が立つものか!今すぐ総攻撃だ!叩き潰せ!」
「お待ちください」
 玲香は冷静に、
「確かに本部長のおっしゃる通り、我々に対する挑発、挑戦とも受け取れます。しかし、一方で、私は、これは牽制なのではないかと考えます」
「牽制…?」
「齋藤飛鳥は解放されました。が、まだ、山下美月と梅澤美波、同じく拉致されたと思われるこの二人は解放されていません。二人の身柄は今もヤツらの手の内です。つまり、三人の人質のうち一人だけを解放することで、無闇に強行手段に出ると残る二人の安全は保証しないと暗に言っているのです」
「くそっ!卑怯なヤツらめ!」
「でも、せやからって見過ごすワケにはいかんやん!このまま黙って手をこねまいてるって言うん!?」
 と、関西弁で異を唱える松村沙友理。
「人質を助け出してヤツらを一網打尽にする。それ以外に方法なんかないやんか!」
「だからさ、それが出来るなら何も苦労しないって!」
 と、中田花奈が反論し、
「現に、それをしようとした梅澤も罠に嵌められて捕まった。人質を取られている以上、どうやっても不利なんだよ、私たちは」
「せやけど…!」
「やめなさい!」
 玲香が仲裁に入り、
「仲間内で争ってる場合じゃないでしょ。それに、危険なのは捕虜になっている二人だけじゃないわ」
「どういうこと?」
「私たち、乃木坂46の全員。…ってことですよ」
 頭脳明晰な山崎怜奈が冷静に、
「相手は、用意周到に偽タクシーを準備して飛鳥さんを拉致した上、こうして本部宛に写真まで送りつけてきています。つまり、もう我々の居場所も、それぞれも素性も、相手には全て知られていると考えるべきです。ヘタな単独行動は、相手にとって、格好の標的になりますよ?」
 その一言で各々ざわめき始める。
「私たちは、もう秘密組織じゃない。今の私たちはヤツらにとって、ただの“獲物”でしかない…」
 と、玲香は、無念の表情で言った。
「しかし、なぜ我々の所在がバレたんだ?ちゃんと秘密裏に行動していた筈だが―」
「人質を拷問にかけて聞き出したんでしょう。それしか考えられません」
 玲香は暗い目になった。
「くそっ!…洩らしたのは誰だ?山下か?梅澤か?」
 舌打ちをした今野を、伊藤純奈は鬼の形相で睨みつけ、
「飛鳥の身体には明らかに性的な乱暴をされた痕がありました。その二人も同じ目に遭っている可能性があります。性拷問は女性にとって地獄です。それでも部長は、山下や梅澤を責めるおつもりですか…?」
「い、いや、そういうつもりはないがね…」
 今野は慌てて取り繕ってから、玲香に、
「ところで飛鳥くんの容態は?」
「命に別状はありません。あの醜いサソリの刺青も、痕を残さずに消してくれるよう、専門家に依頼しました」
「なるほど。では、とりあえずは…と言うのも変だが、無事というワケだな?」
「ただ、精神を相当病んでいます。なので、苦渋の決断ですが、私は、医師に、例の薬を与えるように言いました」
「…例の、記憶を消す薬か?」
 乃木坂46が極秘に開発した性犯罪被害者にだけ特別に処方する、直近の記憶を消す薬。
 身体を洗浄し、その薬を与えれば、少なくとも、身体を蹂躙され、酷い目に遭ったことを思い出して苦しむことはなくなるだろう。
 ただし…。
「記憶を消す以上、もう二度と捜査員として復帰することはできないでしょう。忌まわしい記憶も、我々の存在も何もかも忘れ、一人の女性として平穏な生活に戻ってもらいたいと思います」
「うむ…」
 玲香はさらに続け、
「もし、今後、残る山下と梅澤の二人が解放された時には、彼女たちにも真っ先にこの薬を処方したいと思います」
「しかし、それじゃあ、その二人も…」
「ええ。仲間を失うのは辛いですが、おそらく二人は、今、それ以上の辛い目に遭っている筈です。そんな二人に対して、それを乗り越えてまた一緒に頑張ろうなんて言葉を私は気安く言える自信がありません」
 玲香はきっぱりと言った。


 会議は長時間に及んだ。
「それで、敵の首謀者についてだが…桜井くん。見当がついたそうだね?」
「はい。十中八九、間違いないと思います」
 玲香は、会議室の白い壁にホログラフィーを投影し、
「首謀者…かどうかは分かりませんが、黒幕は、おそらくこの写真の男です」
「何者だ?」
「名前は鮫島、フィリピンではトニーの愛称を持つ密売人です」
「鮫島…どこかで聞いた名前だな」
 今野も、元は玲香と同じ警察庁にいた人間なので知っているのかもしれない。
「しかし、その男は確か死んだ筈じゃなかったか…?」
「ええ。私も、逃亡先のフィリピンで事故死したと聞いていました。しかし、アイツは、そのデマを隠れ蓑に、いつのまにか、日本に帰ってきていたんです」
 そこから玲香は、懇々と、一年前の鮫島との因縁を仲間たちに聞かせた。
 当時から様々な方法で自分や若月を煙に巻いた狡猾さ、なぜかサソリを異様に敬愛して執着する嗜好、どんな女も性の力で支配し意のままに操れると考えている屈折した価値観、そして、その毒牙にかけ屈服させた女にはきまって征服の証としてサソリの刺青を刻むこだわり…。
「ですから、飛鳥の身体に刻まれたサソリの刺青…あれを見て、私は、彼が実は生きていて、今回の件も裏で手を引いていると確信しました」
「なるほど…」
 今野は渋い顔を見せ、
「それで、その鮫島も含め、相手の組織については、どれぐらい掴めているんだ?」
「まず、歌舞伎町のクラブ『メリー・ジェーン』、ここの連中は間違いなく鮫島の仲間でしょう。ただ…」
 玲香は、すぐに続けて、
「一年前も、ヤツは、新宿や渋谷のゴロツキを金で雇い、手駒にしていました。ですから、あそこの連中も、実際は、鮫島に金で買われただけの手駒に過ぎない気がします」
「つまり、直接つながりがあるワケではないから、そいつらを押さえても大元の鮫島には辿り着けないということか?」
「とにかく、どうにかしてヤツを表舞台に引きずり出さないことには、この抗争の主導権は握れないでしょう。それについて考えたいと思います」
 と玲香は言った。


 しかし、結局、これといった結論の出ないまま散会となった。
 どうシミュレーションしても、やはり、向こうの手の内にある山下、梅澤の二人をいかに助け出すかがネックとなる。
(せめて、その二人が、今、何処にいるかが分かれば…)
 と、一同は歯噛みするしかなかった。
 

鰹のたたき(塩) ( 2019/12/09(月) 16:04 )