2.マッチポンプ
都内某所、深夜の湾岸倉庫。
ここに柴ア一派の一味と目される男が出入りしているという情報をキャッチし、問題の倉庫に張り込んだ捜査官たち。
だが、あと一歩というところで感づかれ、会合を中止した男たちは慌てて車に飛び乗ると、エンジンをふかして猛スピードで走り去っていった。
赤いテールランプが視界からみるみる遠退いていくのを見つめながら、
「くそー!もうちょっとだったのにぃっ!」
と悔しそうな声を上げ、思わず地面を蹴り上げる掛橋沙耶香。
同行した金川紗耶、そして遠藤さくらの顔にも悔しさの色が滲む。
訓練生上がりの若手三人にとっては手柄を挙げるチャンスだったが、宙を漂う綿埃のように手の平の中からスルリと逃げられてしまった。
おそらく、もう、この倉庫が密会に使われることはないだろう。
また、ふりだしに戻って情報収集からやり直しとなるだろう。
(せっかくここまで泳がせてきたのに…!)
あまりの悔しさに、しばらくその場で立ち尽くした三人。
そのやるせない空気を切り裂くように、
「…仕方ない。あと一歩のところで逃げられたって真夏さんに報告するよ」
とケータイを取り出す沙耶香。
沙耶香が本部と連絡を取っている間、ふいに紗耶が、
「さくら、ちょっといい…?」
と、さくらを手招きした。
近寄ると、紗耶は珍しくさくらに対して不満げな態度を見せ、
「ねぇ。突入するの、さくらだけちょっと早くなかった?」
「え…?そ、そうかなぁ…?」
「絶対、早かったよ!三人でタイミングを合わせて挟み撃ちにしようって言ってたじゃん!」
「う、うん…ごめん…」
手柄を逃した悔しさを真っ向からぶつける紗耶に対し、平謝りのさくら。
紗耶は吊り上げた眉を戻すと、次は怪訝な表情になって、
「ねぇ。いったいどうしたの?復帰してから、さくら、ずっと様子が変だよ?」
「え?いや…そ、そんなことないけど…」
と、とぼけて追及をかわすさくら。
気まずい空気が流れたところで、沙耶香が戻ってきて、
「真夏さんが、逃げられたら仕方ないから、とりあえず本部に戻ってこいってさ」
と伝えた。
紗耶は、まだ何か言いたげだったが、言葉を飲み込んで、
「じゃあ、もう、さっさと帰ろ?ここにいたって仕方ないよ」
と、少し不貞腐れたように、先々、歩き出した。
沙耶香も後に続くが、反省するさくらは立ち尽くしたままだ。
突入するタイミング…確かに早かったかもしれない。
いや、早かった。
もっと言うと、早かった自覚もある。
(これがヤツらの罠だったらよかったのに…)
というのが心の本音。
(罠だったら、今頃、捕まって…あんなことやこんなこと…)
と想像を膨らませるが、ハッとして、
(い、今はダメ…!そんなこと考えたら、また…濡れてきちゃう…!)
と、慌てて卑猥な妄想を中止し、小走りで二人を追うさくら。
後ろめたい願望は日を追うごとに増し、次第にこうして捜査にも支障が出ていた。
翌日。
この日は朝から晩まで聞き込みに明け暮れる一日となった。
旧・花田組の幹部や組員で、現在、行方が分からない者が数名いる。
彼らは、新たな党首となった柴アが擁立した新組織・柴ア一派に編入したと見て間違いないだろう。
そこで高山、松村らが「乃木坂46」への合流以前まで在籍していた警察庁暴力団対策課から旧・花田組の構成員のプロフィールを取り寄せ、その中からまず現在の行方不明者を抜粋。
それらの顔写真をコピーし、それを持った各捜査官が都内各地へ散って、手分けをして目撃証言を集める。
「ある程度の人数を擁すると、必然的に組織としての行動範囲、テリトリーが出来上がる。まずは、それを突き止める」
という桜井玲香が掲げた方針によるものだ。
非常に骨の折れる作業だが、そのぶん、一つ何処かでアタリが出たら、そこからどんどん絞り込める。
そんな待望のアタリが出たのは二日目の昼前。
吉田綾乃クリスティーが、新宿駅の西口で元幹部の目撃証言を拾った。
それを受け、都内各地へ散っていた捜査官が新宿に集結、新宿駅の西口周辺に範囲を絞ってローラー作戦へと移行する。
新宿駅の西口からは小田急、京王線が発着し、少し歩けば都庁がある。
ほどなくして、次は寺田蘭世が京王線の改札口付近にて、四、五人でたむろしている組員の目撃証言を得た。
再度、京王線の改札口で召集をかける玲香。
一味は京王線を利用している節がある、すなわち京王線の沿線に潜伏している可能性が考えられる。
「だんだん絞れてきたよ。みんな、もうひと踏ん張り!」
と仲間を、特に若手を励ます若月。
ここ、京王新宿から全員で普通電車に乗り、停まる一駅ごとに二人ずつ降りて聞き込みを開始していく。
まず最初の笹塚では向井葉月と中村麗乃が、次の代田橋では伊藤純奈と鈴木絢音が、その次の明大前では高山一実と松村沙友里が、それぞれペアを組んだ。
こうしてしらみ潰しにやっていけば、いずれは必ずアタリが出るという判断だ。
この日は笹塚駅から千歳烏山駅までの範囲を調べた。が、収穫は無し。
翌日は、その続き、仙川駅から飛田給駅まで、調布市に分布する8駅を範囲とし、再び散って聞き込みにあたる。
その中で、さくらが充てられたのは市を代表する調布駅の2つ手前の国領駅。
普通列車しか停まらないものの、駅周辺は大規模な住宅地で、なおかつ再開発も盛んな地区だ。
ペアとなった先輩の久保史緒里と、駅の北側、南側で二手に分かれて聞き込みを開始する。
なかなかめぼしい収穫はない。
時折、久保から連絡が入り、
「どう?そっちは?」
「今のところ、これといった情報は、まだ…」
「そっか。他のチームも、まだ進展はないってさ。諦めずに頑張ろ」
と、先輩らしく、さくらを鼓舞する史緒里。
そして昼過ぎ。
さくらは声をかけた親子連れから耳寄りな情報を得た。
複数の写真を提示したところ、小学生の子供が、その中から元幹部の男の写真を指差し、
「この人なら見たことあるよ!」
と言ったのだ。
「ホント?人違いじゃないの?」
と母親の方は半信半疑だが、さくらは身を屈め、その少年の目線に立って、
「どこで見たの?」
「ボクの行ってる塾の近くに住んでる人。大きな家で、カッコいい車に乗ってるんだ」
と少年は言う。
その証言に、さくらは関心を持った。
この元幹部は無類の車好き、俗にいうカーキチで有名という補足情報があったからだ。
そして、少年の通う学習塾の場所を教えてもらったさくら。
礼を言って親子と別れたさくらは、ポケットからケータイを取り出すも、指が止まる。
本来なら、ここで一度、ペアの久保に有力な手がかりを得たことを報告するのが筋なのだが…。
(…久保さん、ごめんなさい…!)
さくらは迷った末、そのままスッとケータイをポケットにしまった。
そして、単身、持ち場を離れ、その元幹部の住処を探しに向かうさくら。
それは、まるで、餌に釣られて引き寄せられるかのようだった…。
そして夕方。
聞き込みの最中、遠藤さくらの消息が途絶えたという予期せぬ事態に、タクシーを飛ばして続々と駆けつける玲香、若月、そして真夏。
落ち合ったのは駅から少し離れた児童公園。
迎える久保はただただ青い顔で、
「すいません!私の注意不足で…!」
と繰り返すのみ。
「状況は!?」
と、焦るあまり、怒気を含んだような言い方で聞く若月。
久保は狼狽して震えた声で、
「12時頃に連絡を取った時は普通だったんです。それが、二時間後、14時過ぎに電話をかけても繋がらなくて…!」
繰り返し、何度かけても繋がらなかった。
そこで不審に思った久保は、GPSでさくらのケータイの場所を検索したところ、この児童公園を示した。
すぐに駆けつけるも、さくらの姿はなく、隅の花壇の溝にケータイだけが捨てられていたという。
すぐに手分けをして周囲で聞き込みを開始した。が、怪しい人物や車も見かけた様子はなく、誘拐劇のようなことも起きてはいなかった。
その報告を受け、
「何でケータイだけ見つかってさくらがどこにもいないのよ!?」
と、突然の不可解な出来事に思わず声を荒げる玲香。
突然、さくらがいなくなった。
それも、まるで煙のように、手がかりもなく消えてしまった。
状況からしても、何者かに拉致されたとしか考えられないのだが…!
……
その頃。
都内某所に造られた柴ア一派のアジトの一つ、完全防音の秘密空間、別名「女捜査官、処刑の間」。
固い扉を開けて戻ってきた舎弟に対し、男は、
「うまくやったんだろうな?」
「ええ。ちゃんと足がつかないように、まったく別方向の、一度も行ったこともない公園の花壇に捨ててきましたよ」
「よし、それでいい。今頃ヤツらは的外れな聞き込みでもして地団駄を踏んでる頃だろう」
と男は微笑しながら、隣に目を移す。
そこにいたのは、手を吊られたまま気絶して垂れ下がるさくら…!
「それにしても、たった一人で正面から乗り込んでくるとはバカな捜査官だったな」
と苦笑する男に対し、
「この女、ホントに捜査官なんですかい?抵抗する気配が一切なかったんですけど…」
と首を傾げる舎弟。
確かに、単身、乗り込んでくるぐらいだから、よほど腕のある女だと身構えたのに、ボディーガードの舎弟一人で事が足りてあっさりと捕らえることに成功し、拍子抜けもいいところだ。
「あれじゃ、自ら捕まりに来たようなもんですよ」
「まぁ、いいじゃねぇか。何にせよ、飛んで火に入る夏の虫。遊びに来てくれたからには、たっぷりともてなして帰してやるぜ!」
と口にする男。
それがまさにさくらの思い描いた通りの展開だとは、この男たちもまだ気付く由もない…。
(つづく)