乃木坂抗争 ― 辱しめられた女たちの記録 ―





























































小説トップ
★第三部と第四部の間の短篇集★
桜井玲香のその後… (前編)
(わ、若月…!?)
 予想外の客に、目を見開いて絶句する玲香。
 一方、当の若月も少し固い表情で、
「玲香、久しぶり…」
「━━━」
「ここに入院してるって真夏から聞いてさ。それで…」
「来ないでっ!」
 玲香は、ベッドに近寄る若月に牽制の声を発し、小さく、
「帰ってよ…やっぱり今は誰にも会いたくない…!」
「玲香…」
「いいから帰って!」
 と声を上げ、頭から布団を被る玲香。
 まるで起きたくないと駄々をこねる子供のようだが、そう思うのも無理はない。
 若月は玲香のパートナー。
 捜査官時代は名コンビとして数々の悪に立ち向かった。
 若月が捜査官を辞め、絵描きとして新たな人生をスタートさせてからも、時間があればアトリエを覗いたり、一緒に食事をしたり、その信頼関係が途切れることはなかった。
 そして、そんな密な関係は、やがて「友情」から「愛情」へと変化し、いつしか二人は「親友」から「恋人」へと変わっていった。
 女同士の『同性愛』。
 まだ胸を張る勇気はない。
 付き合いが長く、互いに気を許す秋元真夏や中田花奈にも、このことだけは今も言えず、隠し続けている。
 だが、そんな負い目をひた隠しに、周りの目を忍びながら、静かに、確かな愛を育んできた。
 普段、気丈に振る舞う玲香が、唯一、女としての弱さを、素の姿を隠さずに見せられる相手、それが若月。
 それだけの固い絆を築いてきた、かけがえのないパートナー。
 だからこそ、今は会いたくない…。
 この変わり果てた姿、怨敵に犯されて敗れた無惨な結末を、若月にだけは知られたくなかった。
「帰ってっ…!早く帰ってってばっ!」
 頭から被った布団の中で声を上げる玲香。
 会わせる顔がない…そんな忸怩たる思いから虚勢を張るが、いくら待っても足音は出ていってくれない。
 むしろコツコツとベッドに歩み寄ると、そっと玲香を覆い隠す布団を捲り上げた。
「やだっ…!」
 海老のように背中を丸め、寝返りをうって背を向ける玲香。
 若月は寂しい目をして、
「玲香…私だよ?こっち向いてよ…」
「━━━」
「ねぇ…玲香!」
 手を取ろうと伸びる若月の指。
 だが、それをも振り払う玲香。
「帰って…お願い…」
(こんな姿、若月にだけは見られたくないから…!)
 若月は肩を落とすと、そんな玲香の背中に対し、
「…分かった。そのままでいいから聞いて?」
 と、神妙な口調で、
「昨日ね、真夏に聞いたんだ…その時のこと」
(…!?)
「真夏も話しにくそうだった…でも、どうしても教えてほしいって頼んで、ようやく…」
 若月の言葉をよそに、みるみる背筋が凍る玲香。
 その時のこととは、つまり、あの憎き鮫島に犯されたという事実のこと。
(若月に軽蔑される…!)
 という恐怖が玲香を包む。…が、若月の解釈は違った。
 若月はぼそっと、
「…私が人質にされてたからでしょ…?だから玲香は手が出せず、私を守るために、あんなヤツの言いなりに…」
「━━━」
「玲香…ごめん…私のせいで…」
 若月は口惜しそうな表情で、
「私が玲香の足枷にならなければ、こんな事にはならなかった…玲香がこんな目に遭ったのも、全部、私が…」
「やめてっ…!もう、それ以上、何も言わないでっ!」
 玲香の制止とともに、少しの沈黙…。
(若月のせいじゃない…!若月は何も悪くない…!)
 という気持ちはあるものの、若月の目を直視できない気まずさが、それを発することを躊躇わせる。
 そして、その重い沈黙を切り裂いたのは、若月の絞り出したような声だった。
「私…自分が情けないよ…こんなに近くにいるのに…いや、一番近くにいたのに、玲香を守ることすらできなくて、それどころか…ホント、サイテーだよね…私って…」
(わ、若月…!?)
 今までの長い付き合いの中で初めて聞いた若月の涙声にハッとする玲香。
 合わせる顔がない…そんな思いで建てた防壁がボロボロと崩れ出す。
 そして若月は、
「…あ、あれ…おかしいな…泣かないって決めて来たのに…な、何でだろ…」
 と慌てて天井を見ると、無理して笑みを作って、
「ご、ごめん…分かった、今日のところは帰るね…許してもらえるか分からないけど、また来るから…」
 と、背を向け、ゆっくりベッドから離れていく。
「わ、若月っ…!ち、違うの!待って!」
 慌てて飛び起き、ベッドから飛び降りて、部屋を出ていこうとする恋人を背後から抱き締める玲香。
「れ、玲香…?」
 そのわずか数メートルの移動の間に、気まずさで建てた防壁は崩壊した。
 力強く、若月の身体をぎゅっと抱き締めて、
「若月…!ごめん、嘘…もう少し一緒にいて…お願い…」
 と、決して真夏や他の仲間には言えなかったことを口にした途端、まるで伝染したように玲香も涙声になって、
「強がり言ってごめん…来てくれてありがとう。嬉しいよ?嬉しいけど…!」
 と、ここで、とうとう堪えきれずにボロボロと涙を流した後、若月の背中に顔をうずめて、
「若月ぃ…!私…やられちゃったよ…あんなヤツに…!もう無理だよ、私…立ち直れないよ…!」
「━━━」
 何かが決壊したように弱音を吐露する玲香の言葉に足を止める若月。
 着てきたカーディガンの背中に、玲香の涙が沁みる。
 そのまま、しばらく二人で佇んだ後、ふいに若月が、
「…大丈夫。玲香は、私が必ず、立ち直らせてみせるから…!」
 と呟き、そのまま振り返って玲香の身体を抱き締めると、二人は、もつれるようにしてベッドに倒れ込んだ…!

鰹のたたき(塩) ( 2020/12/10(木) 11:17 )