乃木坂抗争 ― 辱しめられた女たちの記録 ―




























































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★第三部と第四部の間の短篇集★
久保史緒里のその後… (前)
 帰郷当日。
 史緒里は、東京駅14時ちょうど発の仙台行き「やまびこ141号」に乗った。
 終点の仙台には16時06分に着く。
 コンクリートジャングルから田園風景、そして急激に栄えた地方都市と、車窓風景の移り変わりを楽しみながら、約二時間の旅である。
 上京し、捜査官という職に就いてからは、なかなかまとまった休みが取れず、帰る機会がなかった。
 学生時代の仲間となると、それこそ、史緒里が上京する日に仙台駅のホームまで見送りに来てくれた時、それ以来だろう。
 定刻通りの16時06分。
 その思い出の駅に降り立つと、より鮮明に、その時の様子や学生時代の思い出が蘇った。
 その思い出に浸るように、少し早く着いたぶん、待ち合わせ時刻までのヒマつぶしに駅前をブラブラと歩いた。
 同級生とよく通ったファミレスは今も、当時と同じぐらいの学生たちで賑わっていた反面、安価でオシャレな小物を売っていた行きつけのアクセサリーショップは当時の面影を失くし、どこにでもあるコンビニへと様変わりしていた。
(しばらく来ないうちに、ずいぶん変わったな…)
 感慨深く、久々の故郷の風景を見て歩く史緒里。
 それをしている間、一時的とはいえ、自然と抗争のことは頭から消えていた。
 もちろん、あの日のことも…だ。
 そして時計を見て、そろそろ頃合いと思って、再び駅に戻る史緒里。
 待ち合わせ場所となった広場に行くと、早速、見覚えのある顔を二、三人、見つけた。
 向こうもこちらに気づき、
「あ、史緒里!」
「ホントだ!史緒里だ!」
 と、次々、声を上げる。
「久しぶり!」
 と駆け寄ると、いきなり、
「なに〜?ちょっと見ない間にすっかりオシャレになっちゃってぇ」
「すっかり東京に染まっちゃった感じ〜?」
 とニヤニヤしながら都会デビューイジリの洗礼。
「違うってばぁ!やめてよ〜!」
 と二人の肩を叩く史緒里の顔にも自然と笑顔が浮かぶ。
 久しぶりに自然と浮かべた笑顔だったかもしれない。
「ごめんね。急だったのに、わざわざ来てもらって」
「ううん、全然。誘ってくれて嬉しかったし、楽しみにしてたのよ」
「よかった」
 史緒里の悪夢など知る由もない旧友たちは、当時と変わらない調子で再会を喜んでくれる。
 まるで上京とともに一旦は止まった時が再び動き出したように、あの頃と変わらず、自然と会話が弾む感覚が今の史緒里にとっては心地よかった。
 その後も、次々と現れる旧友たち。
 メンバーが揃ったところで幹事が予約した店に向かう。
 予約されていたのはオシャレなレストラン。
 それぞれが飲み物を注文し、乾杯へ映る。
 すると、おどけた幹事が、
「乾杯の挨拶、誰にお願いしようかな〜?…じゃあ、史緒里!」
「え…?わ、私っ!?」
 突然の指名にテンパる史緒里だが、幹事が笑って、
「だって、今日のために、わざわざ東京から来てくれたんでしょ?ある意味、史緒里のための会だよ!」
 と、よく分からない理論で起立を促した。
 仲間たちの視線が集まる中、何も文言を用意していなかった史緒里は、
「今日は久々の再会ということで、時間の許すかぎり、時間を忘れて楽しみましょう!乾杯!」
 と月並みのことしか言えなかったが、同時にそれは心からの本音でもあった。
 それに呼応して、
「乾杯〜!」
 と、グラスを高々と掲げる参加者一同。
 こうして始まった旧友たちとの再会の酒席。
 当然、話は弾んだ。
 学生時代の思い出に卒業後の話、現在の仕事の話など多岐に渡り、特に史緒里が上京した後のことは初耳な話ばかりで感心しきりだった。
 久々に、食事がまともに喉を通った気がする。
 そして会が始まって一時間が経った時、突然、幹事の娘が立ち上がり、
「今日はバドミントン部の同窓会ということで、実はスペシャルゲストを呼んでます!」
 と思わせぶりに声を上げた。
「えー?誰?誰?」
「気になる〜!」
 と期待に包まれる各テーブル。
「この方たちです!どうぞ〜!」
 と呼び込まれて現れたのは当時の顧問の先生と三人のコーチ。
 その登場に驚きと歓声が入り交じった。
 四人のことは、史緒里もよく覚えている。
 顧問の先生は、当時は、厳しく、怖かった記憶しかないが、今は柔和な笑顔が垣間見える。
 そして、その横に並ぶコーチ陣も、全員、同校バドミントン部のOBだった。
 それぞれ、在学当時には県大会で上位入賞したこともある実力者。
 顧問の先生に頼まれ、母校の後輩のために時間を縫っては、よく教えに来てくれていた。
 三人とも、それぞれ系統の違う爽やかな見た目をしており、当時の自分たちより少し年上のお兄さん的な存在ということもあって、女子部員の大半が目をハートにして指導を受けていた。
 よく練習の帰りに、どのコーチがタイプか…という定番のガールズトークで盛り上がったものだ。
 そんなことがあったから、
「きゃー!ヤマト先輩!私たちのテーブルで一緒に飲みましょうよぉ!」
「タケル先輩!こっち、こっち!」
 と、顧問の先生を差し置いて、目当てのコーチの誘致合戦で盛り上がる一同。
 史緒里も、それに同調はしないまでも、隣の席の娘とヒソヒソと、
「タケル先輩、相変わらずカッコいいね」
「ヤマトさん、雰囲気ちょっと変わったよね」
 と盛り上がり、チラチラと盗み見るように何年かぶりに再会したコーチ陣の容姿を窺った。
 隣の娘が、
「やっぱりタケル先輩だよね。ヤマトさんは当時もだけど、ちょっとチャラいもん」
 と口にする中、史緒里の目は、話題に挙がらないもう一人のコーチの方に向いていた。
 視線の先にいるコーチの名は遥希。
 おそらく三人の中で、最も史緒里が指導を仰いだコーチだろう。
 スポーツマンのヤマトと秀才タイプのタケル、人気が拮抗する二人の陰に隠れているが、爽やかな見た目と丁寧な指導に、史緒里は、当時、ひそかに好意を持っていた時期もある。
 だが、奥手な性格が災いし、結局、その想いを一度も伝えられないまま、三年で部活を引退し、卒業後すぐに上京した。
 バレンタインにチョコレートを渡したこともあるが、それも本命とは言えず、照れ隠しに義理チョコのように振る舞ってしまったから、その程度にしか思われていないだろう。
 そんな遥希の姿を、なおもチラチラと窺う史緒里。
 座る場所に迷う姿を見て、
(遥希先輩!もしよければ私の隣に…)
 と、一瞬、思ったが、それを口に出来る性格ではない。
 結局、躊躇しているうちに、
「遥希さん!ここ空いてますよ!」
 と、別の娘に先を越され、遥希はそっちへ行ってしまった。
(あっ…)
 遥希に背を向けられ、肩をすくめる史緒里。
 そんな史緒里に追い打ちをかけるように、ゲストの登場で場の雰囲気が変わっていった。
 ちやほやされる相手が史緒里からゲストに移ったような感覚…。
 自分からグイグイいけるタイプでもない史緒里は、次第に、その場で一人、孤立していき、気付けば隣の娘も、お目当てのコーチを狙って席を移動していなくなってしまった。
(まぁ、しょうがないよね…)
 そう自分に言い聞かせ、せめて場の空気だけは悪くしないよう、近くで起きる笑い声に合わせて愛想笑いだけしておく。
 そして、ふと、腕時計に目を落とした史緒里は、すぐ我に返り、
(やだ、私ったら…時間、気にしちゃってるじゃん…)
 と思った。
 決して楽しくないワケじゃない。
 久々の再会、そしてこの空間にいること。
 それだけでも、東京の部屋で、一人、悶々としながら思い詰めているより何倍もマシだ。
(でも…)
 史緒里は、今日を境に“あの出来事”を忘れたかった。
 嫌なことを忘れるために必要なのは、ずばり、笑顔。
 それも愛想笑いではなく心の底からの笑顔だ。
 嫌な記憶なんて消し去るぐらいの、時間を忘れるぐらいの笑顔が、今の史緒里には必要なのだ。
 だから、それが欲しいがために、そのキッカケになるかと思ったから帰郷を決め、この同窓会にも参加した。
 しかし、実際は、愛想笑いをしながら時計に目を落とす始末。
 時間を忘れるどころか、いつまでこの孤立が続くのかと時計を見てしまった。
(やっぱりダメだ…まだまだ、私、吹っ切れそうにない…)
 愛想笑いの裏で、どんどん沈んでいく史緒里の気持ち。
 そんな時、急に背後から肩を叩かれて、
「…隣、座ってもいい?」
 と声をかけられた。
 振り返った史緒里は、その相手を見てドキッとした。
 そこに立っていたのは、グラスを片手にした遥希だったからだ。

鰹のたたき(塩) ( 2020/09/26(土) 00:52 )