乃木坂抗争 ― 辱しめられた女たちの記録 ―





























































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第二部 第六章・斉藤優里の場合
1.サソリと女王蜂
 本部長の今野は、報告を受け、思わず溜め息をついた。
 いつになく重い空気の会議。
 また被害者が出た、それも次は配属間近の訓練生、そして何より、彼女ら訓練生のトレーナーを務めていた衛藤美彩がその凶行に加担したという。
 室長の桜井玲香をはじめ、捜査員たちは、怒り、困惑、ショックが入り交じった複雑な感情で席についていた。
 今野は、もはや呆れたような表情で、
「つまり単刀直入にいうと、敵の内通者、つまりスパイが紛れ込んでいたというワケだな?」
「…まさかでした」
 玲香は絞り出したように声を出した。
「それで、衛藤くんについては調べたのか?」
「はい」
 秋元真夏が調査書を読み上げる。


 衛藤美彩。
 元、警察庁捜査官。
 当時は「特殊犯罪対策課」に在籍し、玲香たちとともに奔走。
 頭脳明晰で腕の立つ捜査官だった。
 その後、一身上の都合で捜査官の職を離れるも、玲香が独立して「乃木坂46」を設立した際に再会し、協力を申し出て訓練生のトレーナーとして加入。


「その、警察庁を辞めた一身上の都合の詳細は?」
 と今野が聞くと、真夏は少し話しにくそうな素振りを見せたが、助け船を出すように玲香が代わりに、
「私との軋轢です」
「仲が悪かったのか?」
「当時、彼女とは班が同じでした。指揮権があった私は、頭脳明晰な彼女を通信係に任命し、自分は若月とペアを組んで現場に出ていました。彼女が、私の采配に憤慨していたと聞いたのは、彼女が退職してからです」
「何が不満だったんだ?」
「彼女は優秀な捜査官でした。頼りになる存在だったのは確かです。ただ、その反面、プライドの塊のような人間で自信家な一面があり、しばしば手柄に執着しては独断専行な行動を取るタイプだったことも確かです」
「なるほど。それで君は、彼女を前線から外したのか」
 今野は少し意地悪な顔をしたが、玲香は気に留めず、
「私は、単に、頭脳明晰な彼女が通信係を務めれば、その都度、的確な指示をくれると信頼して任命したつもりです。他意はありませんでした。…が、今になって、当時の彼女の性格を考えれば、そういう風に歪曲して受け取られても仕方がないと思っています」
「なるほど。当時の鮫島の件でも必ず自分が手柄を挙げると意気込んでいたにもかかわらず、前線から外された。…プライドが傷ついて、逆恨みをしたとしてもおかしくないな」
「━━━」
「しかし、だからといって、その鮫島と手を組むというのも妙な話だと思うんだが…」
 玲香は、配られた調査書を手にして、
「この資料によると、警察庁を退職した後の彼女は、ひどく荒れ、一時は、一人で飲み歩いて酒に溺れる日々を過ごしていたとあります。ここからは私の想像ですが、その当時、飲み歩いていた夜の繁華街で、偶然、鮫島と会ったのではないでしょうか。ヤツは口が巧い男です。傷心の美彩の心の隙間に上手く付け入り、言葉巧みに悪の道へと導いたんです」
「なるほど」
「今、彼女は、腰に女王蜂の刺青を入れているそうですが、いわば、これが、正義を捨て、悪に染まった証明でしょう」
「サソリの刺青の男と、女王蜂の刺青の女…か。まぁ、お似合いといえばお似合いだ。もしかしたら二人は愛人関係になっていたりもするのかね?」
「それは知りません。さして興味も湧きません」
 と玲香は一蹴した。
「とにかく、いまや彼女は敵の一味です。紅一点…といえば聞こえは良いですが、彼女の豊富な知識やクレバーな頭脳が敵の手の内にあるのは少し厄介かもしれません」
「うむ…」
 今野は考え込む顔をして、
「彼女がそこまでして鮫島に手を貸す目的は何だね?」
「鮫島は、私を目の敵にしています。それに呼応し、私を打ち負かすことで、あの時の私の采配は間違いだったと思い知らせてやる。プライドをズタズタにされた自分と同じ苦汁を舐めさせてやる。…おそらく、そんなところでしょう」
 と、玲香は淡々と言った。
 今から思えば、この組織を設立してほどなく、彼女が、突然、
「何か、私が役が立てることはないかしら?」
 と言ってきたことも、不自然といえば不自然だった。
 その時は、元捜査官で有能な人間というのは分かっていたし、協力的だと思って快く受け入れたが、それが迂闊だったのかもしれない。
 過去の遺恨など水に流したというような素振りだったが、プライドの高い人間はむしろ逆で、より一層、恨みを強くして、再び玲香の前に現れたに違いない。
 そして、その時から既に鮫島と手を組んでいたとしたら━。
(私たちの言動は、全てヤツに筒抜けだった…)
 そう考えれば、これまで、有能な部下たちが、ことごとく裏をかかれ、次々と捕縛されていったことも納得できる。
 重い空気が漂う会議室。
 それを裂くように、今野が、
「確認するが、もし今後、衛藤くんと相対することがあったら、その時、君はどうするのかね?」
 と問う。
 聞いた今野は、少し迷うかと思ったが、玲香は即答で、
「先ほども言ったように、彼女は既に敵の一味です。容赦する必要がありません」
 と言った。

 ……

 その頃、独立組織「乃木坂46」と実質の同盟を結んだ警察庁の暴力団対策課では、捜査官の高山一実の表情に緊張の色が浮かんでいた。
 先日、旧知の桜井玲香と会った際、連中の「捜査官狩り」について注意喚起を受けた。
 それ以来、自身はもちろん、同僚や部下にも警戒を促していたが、そんな中、一名、昨夜から連絡が取れなくなった人間がいる。
 斉藤優里。
 高山とは同期の戦友だった。
 優里は、花田組の事務所の監視をしている筈だった。
 しかし、昨夜から連絡が途絶え、妙に思った高山は別の捜査員を現場に急行させたが、組事務所の周辺に優里の姿は見当たらないと言う。
 任務を途中で放り出すような人間でないことは高山自身が分かっているからこそ、
(もしや━!)
 という思いがあった。
 その後も根気よく何度も連絡を試みたが、依然、優里からの応答はなかった。

鰹のたたき(塩) ( 2020/01/08(水) 10:37 )