それでも君を
04
「あれ? いっちゃんは?」

 桜庭がベーコンのいい匂いと一緒に戻ってきた。その手には食パンの乗った皿とベーコンエッグの乗った皿。そんななんとも美味しそうな皿を眞衣の前に置いた。樹の座っていた席の前にも同じ物を置く。お腹が鳴りそうなほどいい匂いだ。

「あっち、女の子と話してる。バイトの子?」

 そう言って眞衣が店の奥を指差すと桜庭は頷いた。

「ああ、美月ちゃんか。シフトの話じゃないかな。変わってもらいたいって言ってたし」

「そうかな?」

 美月は樹に剣呑な眼を向けて何か言い、それに樹が大きな身振りで答えている。眞衣の目には浮気の見つかった彼氏が必至に弁明している姿に見える。

「ね、もしかして。あの子、彼女なんじゃない?」

 眞衣が尋ねると桜庭は嬉しそうな顔をして頷いた。

「そうそう。よくわかるね。ラブラブだよ」

「あー、そうなんだ。彼女、いたの」

 眞衣はなぜか落胆するような気持ちで、視線を落とした。樹だってもう大学生だ。遊ぼう遊ぼうと眞衣に懐いてきた幼稚園児ではない。

 彼女の一人ぐらいいたっておかしくはなかった。

 でも、教えてくれたっていいのに。そう思うと、なんだか腹が立ってくる。

「食べないの? それとも待つ?」

 桜庭に聞かれて眞衣はベーコンエッグに視線を落とした。

「食べよ」

 そう言って、フォークとナイフを手に取り、フォークでベーコンを突き刺し口に運ぶ。

「おいしい」

 眞衣の漏らした言葉に桜庭は嬉しそうな顔を見せた。

「だろ? 美味いもの食べたら、ちょっとは気分も晴れるんじゃない?」

 眞衣は顔をあげて桜庭を見た。桜庭は相変わらずの人の良さそうな笑顔を見せている。

「なんで落ち込んでるって分かったの?」

 眞衣が聞くと桜庭は自分の細い眼を指差した。

「目、腫れてるよ。昨日泣いたでしょ」

「うん。二年付き合ってた彼氏に振られたの。目、そんなに酷い?」

 更に聞くと桜庭は首を横に振った。

「いや、よーく見ないと分からない程度」

 顔を覗きこまれて、思わず赤面してしまう。

「ちょっとマスター。できてたなら呼んでくださいよ」

 不機嫌なその声に顔を向けると、声と同じく不機嫌な表情の樹が席に着くところだった。

 樹と話していた若い女性は眞衣を一瞥してからそっぽを向いた。かなり態度が悪い。

 嫌われたかな。

 眞衣がそう思ったときだった。来店を告げるベルが鳴った。はそちらの方へ行ってしまう。



 あらかた食事を終えて横を見ると、樹は豪快な食べっぷりを見せていた。若い男の子の食事風景はなんだか爽快だ。

「はい、レモネード」

 不意に眞衣の前にカップが置かれた。顔を上げて桜庭を見る。

「奢り。高校の時よく飲んでたよな。失恋祝い。ウチのは美味いよ」

 失恋祝いって。と、思って苦笑した。

「マスター。失恋祝ってどうすんですか」

 すかさず、樹が声を上げたが桜庭は笑顔を崩さない。

「祝いでいいじゃない? 新内を振るような男なんて、別れて正解。祝って当然」

 高校の時と相変わらず妙な理屈を口にする桜庭の言葉が気持ちを少し軽くする。

「ありがとう。いただくね」

 そう言って眞衣はストローを銜えた。レモネードの甘酸っぱい味が口いっぱいに広がった。



鶉親方 ( 2018/01/10(水) 00:42 )