06
先を歩く史緒里が歩みを止め、一点を見上げた。
史緒里が連れてきた場所。この遊園地の名物でもある大観覧車の前だ。
「コレに乗る?」
頷く史緒里は僕の手を更に引いていく。ゆっくりと、それでいてしっかりとした足取りで係員の前まで歩いて行く史緒里はいつの間にか表情を強張らせていた。
「綺麗だな・・・」
史緒里はゆっくりと上昇するゴンドラから窓の外を眺め、一度だけ僕の方を向くと頷き、また外へと視線を戻した。
何故ここに来たのだろうか?
朝から僕の中にあった疑問。いや、この遊園地へ行きたいと聞いた時から、僕の中にあった疑問。
史緒里にとっては一番思い出したくない辛い記憶が眠る場所のはずなのにどうして。
教えて欲しい。史緒里の気持ちを。どうして、この遊園地なのかを。
ふと、視線を感じて顔を上げると史緒里が僕を見ていた。
「どうした?」
僕が聞いても何も答えず、ただ首を横に振るだけ。その表情は硬く、何かを決意したような雰囲気を滲み出していた。
「史緒里?」
言葉はない。当たり前だ。史緒里は喋れないのだから。でも、何かを伝えたいような表情を浮かべ、それを迷っている風にも見えた。
「お腹、空いたの?」
ただ首を振る。僕は何を聞いてるんだろうか。そんな訳ないじゃないか。
史緒里の表情はそんなものではない。もっと違う何かを僕に伝えたいのだろう。でも僕にはこの表情が耐えられない。
「史緒里、どうし――」
不意に視界に史緒里の顔が現れた。と思った次の瞬間には僕は話せなくなっていた。
決して史緒里のように喋れなくなった訳ではなく、唇を動かせなかった。
「んっ」
ゆっくり離れていく史緒里の顔。今、僕の唇は史緒里の唇。
優しげに揺れる瞳から流れ落ちる一筋の光。頬を伝う光の粒は、次から次へと溢れては頬を濡らしていく。
あの日以来、泣いた事がない史緒里が泣いている。
「お・・・に」
空気が震えた。ゆっくりと優しく僕に聞こえた懐かしい声。
「・・・お、にい・・・ちゃ、ん」
懐かしい声。空気を震わせ僕の耳を、鼓膜を突き抜け、胸に届く。優しく響く声は身体を、五感を、刺激していく。僕が聞きたかった声。愛しい人の声。
「だ・・・い、すき」
史緒里の声。ゆっくりと、一音一音、確かめるように唇を震わせて紡がれていく史緒里の声。
「史緒里・・・お前、声」
少し戸惑いながらも嬉しそうに頷いていく史緒里の瞳から涙は溢れ、頬を幾度となく濡らしていく。
史緒里の気持ち。それは僕と同じなのだろうか。
兄として?
家族して?
その"好き"にはどんな意味があるのだろうか。考えても分かるはずがない。でも、僕は・・・
「史緒里。・・・僕も史緒里の事が大好きだよ」
「・・・う、ん」
ゆっくりと近づいてくる史緒里の顔。瞳を閉じ、僕の唇を塞ぐ。
僕の気持ちは通じた。史緒里の"好き"は僕と同じだった。ただ、それが無性に嬉しく、僕は涙を流していた。
ゆっくりと名残惜しそうに離れていく史緒里の顔は恥ずかしそうに頬を染め、それ以上に嬉しそうに瞳を細めている。
僕の大好きな人。
観覧車の中。僕達は何度となく、お互いの気持ちを確かめるように唇を重ねた。