06 Saturday 〜朝陽射すベランダ〜
隣のアパートから聞こえてきた大音量のラジオ体操で目がばっちりと覚めてしまった。寝呆け眼で時刻を確認すると、5時15分を表示している。カーテンの隙間から射し込む寝起きの太陽の光が眩しい。
眼鏡をかけ、窓を開ける。秋のつめたい朝の匂いとほのかに香る金木犀をゆっくりと吸い込もうとしたら、欠伸が出た。そして、背伸びしたまま隣のベランダを見た瞬間、口がぽかんと開いてしまった。
「おはようございます」
いつものリクルートスーツを着たお隣さんがベランダでバナナを食べながらラジオ体操をしていた。素足がとても寒々しい。目が合うとバナナの皮をひらひらと揺らしながら呑気に挨拶された。
「あの」
「んー?」
「昨日は、どうもです」
彼女のポニーテールがぺこりと下がった。ベランダの物干し竿には、昨日のスカーフたちがふわふわと風に遊ばれている。今日は、晴れてよかった。
「うん、別にいいよ。ロールケーキならまだたくさん家に買い置きがあるし」
「は?」
「ん?」
「オニーサンって、もしかして鈍感さんですか?」
「鈍感? え?」
「ちっ」
「なんで舌打ち? 気持ちいい朝からなんで舌打ち?」
「いえ、なんでもないです。一分前の私の言動は忘れてください」
「ラジオ体操しながらバナナ食べていたこと?」
「ちげぇよ」
「ゴメンナサイ」
こんな早朝から年下の女の子に泣かされそうになっている情けない男が一人。ハアァ〜、と大きなため息を吐かれてしまい更に俺の薄氷なハートがチクチクと痛んだ。なんで最近の女の子は口が悪い子が多いんだろうか。俺は家庭的な子がタイプなのに。
「でも、ありがとう。昨日、オニーサンと一緒に雨宿りして雨に好きなだけ濡れることができて、少しだけ気持ちが楽になったから」
「・・・そっか」
「今日も当たって砕ける覚悟で頑張ってきますね」
「うん、頑張れ。応援してる」
彼女の手にはいつの間にかバナナではなく、リコーダーが握られている。ピーヒョロ、とまぬけな音を返事代わりにしてお隣さんは勝ち気な笑顔を見せた。
「内定もらったら、オニーサンに一番にお知らせしますね」
「うん、ロールケーキ食べながら待ってるよ」
「ミの音を吹いてお知らせします」
「その前に、どの音がミなのか分かんないと思うけどね」
「それじゃ、とりあえずリコーダー吹きます」
「うん。その方が分かりやすいね」
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
気合いのこもる背中に向かって、窓から身を乗り出してヒラヒラと手を振って見送る。たまには早起きするといいことがあるんだなあ、とぴょこぴょこ揺れるお隣さんのポニーテールを見つめながら思った。ポニーテールって、なんかイイね。
「あっ」
不意に部屋に戻る前にお隣さんが振り向く。
「オニーサンって、眼鏡してる時のほうが格好いいですよね」
金木犀の甘やかな匂いと共に、彼女のやわらかな笑顔が単純な俺の心にどきりと直撃した。
今夜はどうか、下っ手クソなリコーダーの音色が響いてきますように。