五十一曲目 〜ガス抜き〜
源田夫妻の家を出た晃汰は、そのまま家に帰る気にはなれなかった。戸締りをしているから勝手に他のメンバーが上がり込む事はないが、どうしても同じ建物に帰るのが嫌になるほど、晃汰は関係のない彼女たちにまで嫉妬をしていた。時間は夜の八時を少しすぎた頃、晃汰は思い切ってLLCに所属するOG達のグループLINEに、そっと爆弾を投下した。
それから瞬く間に既読数が増え、気づけば伊藤かりんが有能っぷりを発揮し、夜の八時だと言うのに皆をその気にさせて店の予約まで始めた。しかも、晃汰がいまいる場所からアクセスするのに容易な立地でだ。
「なんか申し訳ない、こんな皆呼んでもらっちゃって…」
続々と参加者が集まってくる中、二番手で店に入った晃汰は最初に来ていた伊藤に頭を下げた。
「全然だよ、"同僚"が悩んでる時に助けて合うのが乃木坂でしょ?」
なんのそのと言った具合に伊藤は晃汰の肩を叩くと、他参加者のファースト・ドリンクを聞いて回った。
「そんで、天才ギタリストさまの悩みってなんなん?」
容姿と似合うカクテルを一口飲んだ西野が、悩める晃汰の目をみた。インドア派の彼女が急遽の飲み会に来た事が、今回の中で晃汰が最も驚いた事である。
「実は…」
晃汰はミルク多めのカルーアミルクを一口飲み、美彩に話した事と全く同じことを自身を囲むOG達に吐露した。愚痴っぽくなってしまう事を多少危惧したが、綺麗な言葉で伝えるよりも真意をキチンと説明する方をギタリストは選んだ。
「そんな事でクヨクヨしてたんだ?」
予想していた内容とは的外れだったようで、能條は眼を見開いて口をポカンとさせる。
「そんな事って事はないでしょう」
晃汰が反論する。
「いや、私も思った。晃汰でもそう言う事で傷つくんだね」
はなから何も考えていない桜井が、ダメージを負った晃汰に更に追い討ちをかける。
「もっと強いイメージあった」
最後は生駒がトドメを刺したが、そこからのOG達の巻き返しが凄かった。弱点をとことん追い込んだ後に、晃汰の置かれている状況や心理を見極め、そしてカウンセラーの中元主導でマインドを整える。
「問題は、メンバー達がこの事に気づいてない事だよね」
おちゃらけ役の斉藤優里が真相を突いた事に一同は少し驚きはしたが、やはり彼女の言う通りに、晃汰だけをどうにかすれば済む話ではなかった。多少大袈裟に感じるかもしれないが、この場にいるOG達は現役の時に晃汰と共に仕事をしているから、彼の凄さが乃木坂を離れてからの方がより強く感じている。そのことを今のメンバー達に教えてやるのも、自分たちの役割だと考えていた。
「まぁ、俺がもう殆どメンバーと同じ立ち位置にいるって解釈にもなりますよね、考え方を変えれば。そんな毎回のようにベタ褒めされたって面白くないし」
投げやりに聞こえなくもない晃汰のセリフを、囲む連中達は聞き逃さなかった。彼の言うことも一理あり、晃汰を特別な存在として見ていないからこそ、今回の異例の作曲者を持ち上げているだけではないか。
「なんにせよ、直接コミュニケーションとったほうがいいよ」
若月の言葉にOG達は頷くが、晃汰は眉間に皺を寄せたままである。目の前に置かれたロングカクテルはあまり減っておらず、彼は親指で左手のひらを擦ってはため息を吐いた。
「こんな時は、呑も!」
暗くなった空気を一変するかのように、日本酒の入ったお猪口を中田が高々と掲げ、そして一気に飲み干した。それにつられる様に晃汰も自身のグラスを掲げ、半分以上残っていたカクテルを飲み干す。
晃汰を元気付ける会という名目だったのにも関わらず、いつからかOG達の思い出話や乃木坂内で起きていることの報告などがなされるようになった。意外な事にOG連中の耳には乃木坂内の様々な話が入っており、晃汰が話し始めるや否やオチを先に誰かが言ってしまうのである。
「オーストラリアで晃汰と二人っきりでねぇ…梅もやるもんだねぇ」
軍団長の若月が門下生である梅澤と晃汰との話題に触れ、現役一期生から話を聞いていた面々は口元がだらしなく緩む。
「皆さんスケベな顔してますよ、気をつけてください。スケベ総選挙ランクイン、間違いなしですよ」
いつかの冠番組でのバナナマンのセリフを真似ると、そこからOG達の思い出話に火がついた。晃汰がまだいなかった頃、そして加入してから、様々な時期のいろんな話がされた。時には聞く側、時には話の中心とポジションを随時入れ替える晃汰ではあったが、何処か懐かしさの奥に寂しさが消えないのも自身で分かっていた。
「寂しいって顔、しとるな」
伊藤がお手洗いに立った事で空いた晃汰の隣に、アルコールを持った西野が移動してきた。
「してると思います、本当に寂しいから」
晃汰はフッと鼻で笑うと、チェイサーのコーラを口に含む。西野から漂う香水の匂いが現役の頃と変わっておらず、そんな部分でも晃汰は懐かしさを覚える。
「けど珍しいな、晃汰が悩むなんて」
卒業してから酒を飲む機会が増えたからか、西野のアルコールを飲む速度が速くなったように晃汰には感じられた。
「俺だって悩みの一つや二つ、あるんスよ」
酒が入っているせいか、西野が隣に来たせいか、晃汰は機嫌が更に良くなった。現役の頃からとりわけ仲が良かった西野が隣に座ると、伊藤とは違った癒しを晃汰は感じ取っていた。そんな事も手伝って、晃汰は西野と張り合う様に酒を煽った。
「どうすんの?コレ」
中田と西野に半強制的に潰されてテーブルに突っ伏す晃汰を、中田は若干心配そうに見つめる。
「七瀬が潰すから…」
能條が晃汰を揺すりながら西野の顔を覗く。
「七やない、花奈が悪いんやで」
犯人扱いされると西野は、共犯者である中田と目を合わせる。
「それはどうでも良くって、この人どうすんのよ」
酒が入っても真面目さを欠かない若月が、子供の様な寝顔の晃汰を再び見る。誰かの家にと言うわけにもいかず、囲む面々は少しの間、良策が浮かばずにいた。
すると、スマホを弄っていた西野が徐に晃汰へ近づくと、両手で口元を隠しながら彼に耳打ちした。
「まどかちゃんが見てんで?」
カッと晃汰は眼を見開くと、辺りをものすごい勢いで見渡した。
「いないじゃん、嘘かよ」
晃汰はガックリと肩を落とす。
「そうでもせんと、晃汰起きひんやん」
してやったりと、西野はヘラヘラと笑った。
晃汰が目覚めた事で正式に会はお開きとなり、連中達は腰を上げ始める。バックから急いで財布を取り出す晃汰を制するのは、中元の役目である。
「今日は晃汰の慰め会だから」
乃木坂を卒業してからそのおっとりさは増幅されてはいるが、誰にでもわけ隔たりなく接する姿勢は現役当時と変わらない。そんな中元を含むOG達に晃汰は頭を下げて回り、感謝をした。
「よし、じゃあ次行こう」
酒に飲まれた生駒の言葉を聞き、晃汰は背筋が凍った。時計はテッペンを回ろうとしているのに生駒は何を言っているのか、彼には生駒が何を言っているのか理解ができなかった。
「大人数だと限られるよね、カラオケにする?」
桜井が、生駒と連中とを見渡す。晃汰はもう反論する気すら起きない。
翌朝、大個室のカラオケボックスの中から、輝かしき乃木坂46のOG達と専属ギタリストが寝ているところを発見され、ちょっとした騒ぎになったのは言うまでもなかった。