四十七曲目 〜ムロ〜
音楽業界には三人の「室」がいる。ミニスカートに厚底ブーツといった特徴的なファッションをする連中総称して「アムラー」と呼び、その始祖とされるのが安室奈美恵である。
そして二人目は、晃汰が愛して止まず最後のライヴを見届けた張本人。BOOWYという伝説のバンドを解散して以降も絶大な人気を誇り、黒のタンクトップにスカジャンを合わせたファッション、更にはクロムハーツを流行らせた氷室京介。
最後に、TMNETWORKを経て数え切れないほどのプロデュースを成功させ、「小室進行」と呼ばれる楽曲コードの流れを広めた小室哲哉である。
そんな音楽業界の偉人達の一人、小室哲哉にヒョンなことから晃汰は会うことになった。
「小室哲哉が会いたがってる」
秋元康からLINEを受けた時、晃汰は当初ジョークかと思った。業界の宝とさえ言われた一人が、しがないギタリストの自分なんかを相手にするわけがない。晃汰は何度もカレンダーを確認するもエイプリルフールではない事を理由に、秋元へ精神病院へ受診するよう勧めた。
「嘘か本当かは、行ってみれば分かるよ」
いつものように冷めたLINEを投げつけてくる秋元に多少の苛つきを覚えながらも、晃汰は指定された日時をしっかりと空けた。1%にも満たない微かな希望を抱えつつも、とっとと秋元のネタが終われば良いなと考えた。
数日後、晃汰は指定された店へと指定された時間に来ていた。
「こんな所、本当に来るのかよ…?」
ファミレスの看板を見上げた晃汰は、周囲に店員がいない事を確認してから吐き捨てる。どう考えても小室が訪れるような場所ではなく、秋元のウソが彼の中では決定的となった。それでも、LINEで言われた通りに店に入り、予約した名前をバイトの女の子に伝える。
「予約したコムロです」
既に一人が来ている事を女の子は話し、水の入ったグラスとおしぼりを持って晃汰を案内した。ボックス席には既に一人の男が風貌に似合わず、ドリンクバーから持ってきたジュースをストローで吸い上げていた。
「はじめまして」
晃汰に気付くや否やその男は律儀に席を立つと、晃汰に向けて右手を差し出した。腰が低い人だな、それが晃汰がコムロに抱いた最初の印象だ。
「え…」
あまりにも有名な人を前にすると、人間は言語を失うという説を晃汰はあっさりと証明してしまった。差し出された右手に応じる所まではよかったが、晃汰が正気を取り戻すには相当な時間がかかった。
「秋元さんに頼まれて、乃木坂に曲を書こうと思うんだ。勿論、君にも協力して欲しい」
正気を取り戻しても尚、晃汰には目の前のコムロテツヤが何を言っているのか理解ができなかった。コムロがハンバーグ定食にカニクリームコロッケを追加で頼むと、晃汰も何か頼まなくてはとエビグラタンを注文した。程なく運ばれてきた庶民の食べ物を食べているコムロを目の当たりにし、晃汰はいよいよ自分が精神病院を受診すべきと考えはじめた。
「君が弾いている映像を見させてもらったよ。凄いね、この年であそこまでデキるって、なかなかいないよ」
定食を食べ進めながら、コムロは晃汰の目を見ながら称賛した。適当な相槌を打つが、自分が機械的に口にしているグラタンが美味しいのか不味いのかさえも晃汰には分からなくなっていた。
「乃木坂のイメージとか、教えて欲しいんだ。歌詞は任せるけど、作曲の方は任せて欲しい」
食べ終わった食器が片付けられて綺麗になったテーブルに、コムロは自身のスマホを置く。画面にはLINEのQRコードが表示されており、ようやく会話ができるようになった晃汰はそれを自分のスマホで読み込んだ。友達への追加が完了すると、再びコムロは握手を求めた。
「光栄です、コムロさんとお仕事ができて」
会ってから初めて、自分の気持ちを素直に伝えた。年下からの言葉に更に笑顔になったコムロは、気を良くしてスイーツを頼みはじめた。晃汰も便乗してパフェを注文し、そこから話は弾んでいった。
「かっこいいね、その車」
店を出て解散しようとした時、晃汰の乗り込まんとする紅いマシンをコムロは指差した。
「コムロさんのに比べたら、安物ですよ」
晃汰はコムロが乗ってきた跳ね馬のシンボルがあしらわれた車を指差す。何十倍という価格差は、当然のことながら見た目にも表れている。
「そんな事はない。高いモノが良いモノとは限らない、これは全てにおいて言える事だよ」
成功者が言うのなら本当なのだろうか、晃汰は少しだけ納得すると小室が走り去るのを見届け、愛車に乗り込んだ。
◇
「…っていう訳なんよ」
「ふぅん…」
小室と会った数日後、一緒の仕事になった竜恩寺と梅山コンビを連れ、晃汰は撮影現場近くの洋食屋に訪れている。
「にわかに信じ難いんだけどなぁ」
首を捻ったままの竜恩寺は、フォークに器用に巻きつけたナポリタンをすする。
「小室哲哉って、私達だって分かりますよ」
男二人よりも年下の山下は、隣に座る同期の梅澤をチラリと見た。
「だから、本当に小室哲哉なんだって」
なかなか信じて貰えない事に多少の苛立ちを覚えるも、晃汰は自身を落ち着けようと水を一口飲んだ。半分残っている、山下にケチャップで落書きされたオムライスをまた食べ始める。
全員の食事代は竜恩寺が持った。晃汰とのジャンケンに敗れ、唇を噛みながら財布を出す姿を晃汰が嘲笑ったのは言うまでもない。
スタジオに隣接する控え室に戻ってきた四人は、撮影開始までの時間を各々過ごす。晃汰は愛車に戻って昼寝をし、竜恩寺はパイプ椅子に座って組んだ脚に載せたノートパソコンをいじる。山下と梅澤は出演する映画の台本を、仲良く読み合わせる。
撮影が終わると次の現場へと山下は晃汰に、梅澤は竜恩寺にくっついてスタジオを後にした。
「ごめんな、晃汰じゃなくて」
梅澤の浮かない表情が窓に映ると、竜恩寺は申し訳なさそうに助手席に座る長身美女の機嫌をとる。
「そんな風に見えちゃいましたか?私けっこう、竜恩寺さんの車も好きですよ」
そう言って、自身の左側でハンドルを握る竜恩寺に梅澤は顔だけ向く。映画・トランザム7000で有名な1977年式のトランザムを隅々までレストア、再現したものを竜恩寺は乗っている。劇中のバート・レイノルズよろしくなブルージーンズに赤いシャツ、テンガロンハットはいつでもトランクに置いてある。晃汰曰くアメリカンドリームの象徴との事で、宮脇含め竜恩寺は大層この車を気に入っている。
首都高に乗る事数十分、二人を乗せたトランザムは最後の現場に到着した。
「今日最後の撮影だからな、やってやれ」
晃汰とは違う激励の言葉だったが、梅澤は竜恩寺のその言葉も嬉しかった。一つ上の業界の先輩、それでいて何処かお兄ちゃんのような気が二人からしてならなかった。
無事に撮影を終え、ライトアップされた都内を駆け抜けて梅澤は寮に帰ってきた。
「晃汰に宜しくな」
車を降りて運転席側に回り込んだ梅澤に、竜恩寺は声をかける。こう言う時に左ハンドルは便利だな、彼は日頃の苦労が全てなくなったかのように思えた。
「はい、今日はありがとうございました」
律儀に腰を折って感謝する梅澤を見届け、竜恩寺はアクセルを踏む。少しだけ踏んだつもりだったが、思いの外スロットルが開いてホイルスピンしそうな勢いだ。あまりそういった運転を好まないが、メンバーの前ということもあって今日だけはと竜恩寺はそのまま走り去った。
自分の部屋に戻ろうとするも、昼間に消えていった晃汰と山下の後ろ姿が気になり、自身の部屋を通り過ぎて晃汰の部屋のドアを恐る恐る開けた。案の定鍵はかかっておらず、何かを炒める音と香ばしい匂いが梅澤を制する。
「大した物は用意できなかったけど…」
突然の来客に、晃汰は申し訳なさそうにありきたりな料理を出す。あれから梅澤は引き込まれるように晃汰の部屋に上がり込み、風呂まで借りたのだった。その間に晃汰は普段のダイエット食にプラスして冷蔵庫にある物で人を最低限にもてなせる料理を作った。
「全然大丈夫です。寧ろ、私が勝手に上がっちゃってるので…」
梅澤は恐縮するが、日中に彼と一緒だった山下の姿がない事を少しだけ喜ぶ。何故か無性に彼女は、晃汰と二人っきりになりたかった。その為に、自分が部屋に入室すると玄関の二つある鍵をどちらとも施錠し、外部からの侵入を防いだ。
「とっても美味しいです」
お世辞ではなく本音。長い時間を過ごした上に危機を脱した梅澤が世辞を言わない事くらい、晃汰は分かっている。それでも、自身の料理を褒められるのは嬉しい。
ペロリと平らげられた食器を間髪入れず、晃汰はシンクに持っていって洗う。二人分の量はいつもの洗う量に毛の生えたくらいで、手伝うと言ってくる梅澤を止めるほどである。
「食休みしたら、とっとと帰れよ?」
客人を客人と見なさない晃汰は、いつも一人で部屋にいるようにラフな部屋着を持って洗面所へと消える。そしていつものように頭、顔、体の順に洗い始める。ちょうど泡立てた洗顔フォームを顔に塗りたくっている時に、玄関の扉が開閉する音が耳に入り、晃汰は梅澤がやっと帰った事を知った。たまには独りになりたい。ここ数日をずっとメンバー達と過ごした晃汰は、なんとも贅沢な事を考えて顔についた泡をシャワーで洗い流した。
怪我をしている為に、ギターを弾けなければ筋トレもできない。仕事以外でスマホの画面を見る事を極力減らしている晃汰は、書店で買ってきた小説をミルク片手にソファへ座って読み始める。彼の好きな東野圭吾によって書かれた物だ。
「ほんと、独りにしてくれないかな」
まだ殺人が起きていないのにも関わらず栞を挟み、晃汰は本を閉じた。帰ったはずの梅澤が、1日の汚れとメイクを落とした梅澤が再び現れたのだから、晃汰の機嫌が悪くなって当然ではあった。
「なんか人肌恋しくなっちゃって」
まだ少し湿り気のある髪を頭の上でお団子にした梅澤は、長袖とショートパンツのパジャマという出で立ちである。寒いなら長ズボンを履け、声だけ少し機嫌を悪くした晃汰は残っていたミルクを飲み干し、片付けもしないまま寝室へと向かう。
「白石さんとシたんですか?」
廊下の半分ほどで、梅澤の言葉が晃汰の足を止めた。