四十六曲目 〜事案〜
日中に帯同していた秋元を彼女の自宅マンションに送り届け、晃汰の一日の仕事は終わりである。仕事の合間を縫って本部に顔を出し、怪我と今後についてを徳長と今野の両名に伝えた。当初は怒られると身構えていた晃汰だったが、メンバーを守ったことに対して今野は彼に対して感謝をし、シングルはなんとかすると胸を叩いた。その言葉で報われた晃汰は、どこか肩の荷が下りたように感じられた。
「ただいま」
鍵を白石に預けて部屋を出た為、彼女が先に部屋にいなければ晃汰は帰れない。連絡を取り合って晃汰は白石が帰ってから一時間後ぐらいに帰れるよう、帰り道は遠回りをした。
「おかえり、ご飯できてるよ」
「いや、いつから俺のお嫁さんになったんだよ」
エプロン姿で出迎える白石に思わずツッコミを入れると、晃汰はベッドルームに行って部屋着に着替える。既に廊下には美味しそうな匂いが充満しており、晃汰のお腹は早くも音を鳴らす。
「ダイエット中だって聞いたから、炭水化物は抜いてあるよ」
白石のその言葉通り、肉や野菜に魚といった低カロリー高タンパクの食材が使われていた。日頃から彼女自身もカロリーや食事には気をつけていたから、いざダイエット食を作ることになってもなんの躊躇いもなかった。
「そんな太ってる風には見えないけどね」
テーブルを挟んで座り同じタイミングで食べ始めた白石が、目の前の晃汰のボディラインを眼でなぞる。
「脚が細くなりたいのよ。脚太いとスタイル悪く見えちゃうから」
いちスタッフである上にビジュアルも求められる立ち位置にいる晃汰は、自身への磨き上げも妥協をしない。
「けど、私もそんな細くないしなぁ」
白石はショートパンツから伸びる自身の脚を見た。
「けど、俺はそれぐらいが好き」
悪びれる事なく、晃汰は鶏肉の煮物を頬張りながらサラッと爆弾発言をする。
「ご飯食べ終わったら、触って良いよ?」
白石は晃汰から見えるように、自慢の脚を伸ばす。
「まどかの脚の方が好きだから遠慮しとくよ」
晃汰は白石に眼だけを合わせると、すぐに野菜の煮物へ目線を移した。ちぇっ、とつまらなそうに脚を下げた白石は、再び自身が作った低カロリーの料理に箸をつけた。
食後の片付けは、豪勢な食事を用意してくれたお礼として晃汰が買って出た。その間に白石は沸かしておいた風呂に入り、束の間のバスタイムを楽しむ。今夜も晃汰の部屋に泊まる気満々だった彼女は、大きな荷物を部屋の片隅に置いて仕事に出ていた。
「背中流してあげよっか?」
すっかり上気して洗面所から出てきた白石は、濡れた髪をタオルで叩きながら、妖艶な眼を晃汰に向ける。
「いつから泡姫になったんだよ」
鼻で笑った晃汰は、着替えを持って扉を閉めた。彼がYESと答えないことぐらい白石は分かっていたから、敢えてそんな事を言ってみせた。
卒業までのリミットはそう永くはない。それは晃汰と"合法"の下で逢える時間も、終わりに近づいている事を意味している。乃木坂の肩書を有している今は、三・四期生と晃汰が住むマンションに転がり込めている。それが卒業後では話が違ってくるのは、白石も晃汰も気付いている。マスゴミは真っ先に晃汰との関係性を疑うし、カメラマンの張り込みも厳しくなる。そうなる前に白石は、できるだけ健全な晃汰との時間を作りたかった。
「とは言え、"妻帯者"だからなぁ」
独り言を呟くと、白石はゴロンと床に大の字で寝転がった。フカフカの絨毯が心地よく、その上をゴロゴロと転がり始めた。薄手のバスローブからは肉付きの良い美脚がすらりと伸び、白石は男の部屋だというのに完全にOFFになっていた。
「何その格好、誘ってんの?」
バスタイムを終えた晃汰が、リビングで寝そべる白石を見るなり蔑んだ眼を向ける。
「違うよ、そういう眼で見るからだよ」
上体だけ起こした白石は、晃汰に対して人差し指を指す。よく言うよ、と晃汰は苦笑いをするとキッチンへ行き、天然水のボトルを手にする。白石も何か飲みたいと言うから、彼女の分のボトルも持って晃汰はソファに腰を下ろした。すると、待っていたかのように白石が晃汰の太ももを跨ぎ、対面して座る。照れる様子も慌てる様子もなく、晃汰は淡々と天然水のボトルに口をつける。
「大人のビデオだけには絶対に墜ちるなよ」
あまりにも流れるような身のこなしであった白石を心配し、晃汰は意識せずに真顔になってしまった。別に大人の女優が汚れた職業だとか、それを売りにしている事に差別的な目をしている訳ではない。寧ろ晃汰はいち青年としてお世話になってはいたが、元同僚が誰かに抱かれている光景を映像として見ることは、どうしても避けて欲しいと願っている。
「そう言う選択をしなきゃいけなくなったら、相手は晃汰にお願いするよ」
ニッコリと笑顔になった白石は、身体全体を晃汰に密着させた。彼の体温、鼓動、息遣いを余すことなく全ての神経で感じ取り、あたかも自分だけのものであるかのように錯覚させる。
「梅ちゃんとはシたの?」
晃汰の腕の中で、白石はポツリと尋ねる。
「KISSだけしたよ」
悪びれる事なく、晃汰は素直に答えた。
「そっか…」
それしきり白石は黙りこくって、ただ晃汰の胸に顔を埋めた。そんな白石が愛おしく思え、晃汰は思わず彼女の髪の匂いを香った。いつも自分が使っているシャンプーの匂いが、少しだけ彼女への想いを増幅させた。
「借りちゃった、シャンプーとか」
晃汰が自分の髪を匂っている事に、白石は気がつく。
「いいよ全然」
何気ない事だったが、乃木坂のエースが自分と同じ香りを纏ったことが晃汰にしたらとても誇らしく、そして何処か嬉しくも思えて仕方がなかった。
白石は晃汰のベッドを借り、その持ち主は寝室の端っこに布団を敷いた。白石は一緒寝たいとせがんだが、理性が崩壊してしまうという理由で晃汰はそれを断り、大人しく布団を敷いたのだった。
「一度も二度も変わらないと思うんだけど」
暗くなった寝室で、ふてくされたような白石の声が消えていく。
「乃木坂のエースである以前に、キミは一人の女性なんだぜ。俺だってそんなホイホイねじ込むほど、軽い男じゃねえよ」
黒い天井を見上げたまま、晃汰は答える。
「じゃあ、電気つけてみてよ」
白石の挑戦に、やったろうと晃汰はリモコンでシーリングライトを点けた。眼に突き刺さるような眩しさの中でゆっくりと瞼を開けると、黒を基調にした透け感が満載のランジェリー姿の白石が、ベッドの上で女の子座りをしていた。
「似合う…カナ?」
恐る恐る訊いてくる口調とは裏腹に、白石のは挑戦的な眼を晃汰に向ける。一方の晃汰は、その妖艶さとLEDの眩しさからくる神々しさも相まり、彼女を凝視するしか無かった。
「彼女がいなかったら、今すぐ襲いたいぐらいエロいよ」
ひとつ息を吐いた晃汰は肩を落とした。
「今は誰も見てないよ?」
さらに白石は追い討ちをかけるが、晃汰は首を振るとベッドに落ちているバスローブを彼女の肩にかけてやった。
「でも、お願いがあるの。卒業記念マガジンで、私を撮って欲しい」
晃汰が照明を消そうとした時だった。白石が声をワントーン落として、真剣な眼差しで彼に訴えた。聞けば今夜着ている黒のランジェリーを始めとしたかなりキワドイ衣装を予定しているとか、更には"彼氏"目線でのショットも撮られたいと白石は熱望している。
「けど、俺はカメラマンじゃねぇしな」
弱ったように首筋に手をやる晃汰だったが、絶背の美女に頭まで下げられて懇願されては、断るに断りきれず、渋々首を縦に振った。それだけで白石は太陽のような笑顔になると、晃汰にKISSをしてベッドに倒れた。そしてわざとらしく自身の心臓側である左側を空けた。
「マジで余計な事、するなよ。俺だって色々と限界なんだから」
何かを諦めて踏ん切りがつくと、晃汰は白石の隣に収まってから照明を消した。案の定、仰向けの晃汰に白石は密着し、二人は安心とドキドキという真逆の精神状態で朝を迎えた。