乃木坂46のスタッフ兼ギタリスト


















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F 傷
四十五曲目 〜包帯〜
「君ほど病院が好きな人も珍しいけどね」

 いつものように白衣を纏った山室は、晃汰の右腕にできた刺し傷を眺める。

「出来る事なら避けて通りたいほど、大嫌いなんですけどね」

 傷口から顔を背けるようにして、晃汰は答える。

 オーストラリアから帰国して早々、晃汰は右腕に受けた傷の治療の為に主治医の元を訪ねた。右腕が思うように動かない事を不安に思った晃汰は、どんな凶器でどのように攻撃されたのかを包み隠さずに伝えた。勿論、その内容は二人だけのものである。

「腱に少しだけ傷が入ってる。安静にしてればギター弾けるようになるけど、1ヶ月かな、復帰は」

 新たに包帯を巻き直して、山室による処置は終わった。違和感しかない右手の不安が主治医の言葉で払拭され、帰国してから浮かなかった心が軽くなったように晃汰は感じた。一週間後に経過を見せる約束をして、晃汰は病院を後にしてそのまま帰宅しようとするが、一日休暇を貰った事がすぐさまメンバー達にバれ、OFFが重なったメンバー達から様々な誘いが舞い込んできた。まだ午前中で、これから予定を立てればどこへでも行ける。だが、そのどれも断って晃汰は海外出張の疲れを癒そうと部屋に帰った。

「疲れた」

 病院というのは、行くだけで身体の調子が悪くなるようで、なにをしたわけでも無いのに晃汰は無性に眠たくなった。まだ昼にもなっていないし、時差ボケなんて以ての外だが、オーストラリアでの疲れがドッと出たのだろう。晃汰は帰ってくるなり服も着替えず、ソファに吸い込まれるように寝転がって寝息をたてた。

 
 うたた寝をしたつもりだったが、左腕の時計を見ればもうすっかり夜である。ソファに寝転んだまま手足を伸ばして大きな欠伸をすると、水を飲みにキッチンへと晃汰は向かう。

「あ、起きた?」

 色とりどりの料理が並んだテーブルを囲んでいるうちの一人、白石が晃汰に振り返った。

「うん、起きた」

 適当な返事を返してリビングを抜け、冷蔵庫にしまってある天然水をグラスに移して一気飲みする。冷たい液体が胃の形に広がっていくのがわかる。仕事を頑張ってありついた生ビールを飲み干すサラリーマンのように、大きく息を吐いた晃汰はグラスを濯いでから、ベッドルームに行った。今の今まではめていた腕時計は夜の8時前を指しており、食事などもうどうでもよくなって寝ようと考えた。だが、何かが引っかかる。ベッドに仰向けで寝転がって目を閉じるも、その違和感が邪魔をしてなかなか寝付けない。

「何してんすか」

 違和感の原因はすぐに分かった。晃汰はベッドから飛び起きると、リビングで屯する現役一期生達をジト目で睨みつけた。

「何って、見りゃわかるでしょ」

 鼻で笑いながら返してくる齋藤飛鳥に苛立ちを覚えつつも、テーブルを囲んで座る面々の顔を晃汰は見渡す。

「白石麻衣を現役一期生が送る会ってやつ?」

 見渡す限り乃木坂に現在も名を連ねている面々があり、パーティーハットを被った白石の姿も手伝って晃汰はすぐに事態を察した。

「言ってくれりゃ飯ぐらい作ったのに」

 晃汰はむくれながらクッションに座る。

「電話したんやけど出なかったんやで」

 松村は隣に座った晃汰に、人差し指と小指を伸ばして電話をかけるジェスチャーをした。晃汰はおやすみモードにしていたスマホを思い出し、しまったと唇を噛んだ。

「キッチン借りたからね〜」

 以前に白石と二人で来た為にキッチンの配置を理解していた秋元は、率先して料理をしたことを事後報告する。寧ろ秋元には殆ど空っぽの冷蔵庫を申し訳なく晃汰は思った。

「まさかとは思いますが、生ちゃんさんは料理してないですよね?」

 前科者の生田に、晃汰は疑いの目を向けた。当の生田は目を泳がせ、隣に座る高山に助けを求めた。

「生田ぁ〜!」

 歳上だったがとりあえずのキレ芸で周囲の笑いを誘い、一瞬にして輪の中心に入り込む。良いタイミングで樋口が氷の入ったグラスとコーラのボトルを晃汰へと持ってくると、改めて彼を交えて乾杯がなされた。

 事の発端は、松村が晃汰の部屋に行ったことがないと騒ぎ始めたのが悪夢の始まりである。一期生の中では秋元と白石のみが晃汰の部屋に来たことがあり、他のメンバー達はいつか行ってみたいと常々思っていた。そして松村が声を大にして言い出したのを良いことに、白石を主役に祀り立てて晃汰の部屋に一同が集まったのだ。

「で、梅ちゃんとのオーストラリアはどうだったの?」

 晃汰の分のサラダを取り分ける秋元は、事前に知っていた梅澤の写真集撮影の同行を訊く。寝耳に水の連中は一斉に眼を鋭くし、晃汰がどんな事を供述するのか身構えた。

「楽しかったですよ、撮影ってよりかはバカンスみたいで。彼女も羽伸ばせたんじゃないですかね」

 当たり障りのない返事で周囲をとりあえず納得させ、秋元に用意してもらったサラダをつつく。

「可愛かった?」

 同級生の樋口が、意味ありげな眼を晃汰に向ける。

「お前さん達皆が可愛いよ」

 照れたり声を小さくしたりせず、晃汰は当たり前だと言わんばかりに答えた。無論、率直に言われた連中は頬を赤らめたり顔を手で覆ったりして必死に照れを隠す。

「もぉ〜丸ちゃんは!」

 嬉しさのあまり、隣の晃汰の背中を松村は思いっきり平手打ちした。運悪くコーラを口にしていた晃汰はその衝撃で、コーラをジャケットやズボンに溢してしまった。白いジャケットだった為に晃汰はすぐに上着を脱ぎ捨てたが、いま最もメンバー達に見られたくなかったものを見られてしまう。

「なんや、その包帯…」

 いつもの松村からは想像もつかないほど低く、ドスの効いた声が聞こえてくる。

「筋トレしすぎて筋肉痛になったんです」

 何をどう考えれば筋肉痛で包帯を巻く事などあるのかと自嘲するも、晃汰は場違いな言い訳を使って真実を隠すしかないと踏む。

「どこの国に筋肉痛で包帯巻くバカがおんねん。正直に言うてみい」

 必死の抵抗も虚しく、松村は核心を突いてくる。一番バレて欲しくない人に見られてしまった、晃汰はため息をつきながらもオーストラリアであった事を正直に伝えた。そして、一ヶ月間ギターが弾けないという診断結果までも明確に話した。

「どうすんの?次のシングル…」

 生田が神妙な面持ちで包帯と晃汰の顔を見比べる。晃汰と梅澤がオーストラリアに飛んでいる間に、メンバー達には次のシングルの発売が発表されていたのだ。特にセンターに指名された齋藤は、晃汰との曲作りの時間を楽しみに待っていたのだ。

「今回は辞退するつもり。万全の状態で曲作りたいし、何よりみんなに申し訳ない」

 大抵の連中はその言葉で幾らか笑顔を取り戻したが、晃汰との作業を心待ちにしていた齋藤はあからさまに仏頂面をしている。心の拠り所である白石がどれだけ言っても聞かず、高山のポジティヴ攻撃も効果はイマイチだった。

 できるなら自分で齋藤の機嫌を直したかったが、彼女がこうなってしまうと手が付けられないのは晃汰も周りのメンバー達も分かっている。後始末を仲が良い星野に任せ、晃汰は濡れた服を着替える為に寝室へと向かった。

 シミになってしまうのを恐れて、晃汰は下着もろとも着替えるとすぐに洗濯機を回した。あとは寝るだけだからお客人がいてもお構いなしに、ダサい部屋着に着替えて再びリビングへと向かった。

「ごめんな、飛鳥」

 まだ俯いている齋藤の方に手をやって晃汰は謝る。小さく何度か頷いた齋藤はようやく顔を上げるや否や、晃汰が着ているダサい部屋着を見ては大口を開けて笑い始めた。

「そんなんで機嫌直るんだったら、私要らなかったじゃん」

 今度は星野の機嫌が悪くなりそうだったが、そこは冷蔵庫の奥から出してきたスイーツで晃汰は難を逃れた。

「っていう訳だから、ごめんな」

 齋藤の頭に手をのせ、晃汰は優しく撫でた。ところが齋藤本人には効果抜群だったのだが、それを見ていた周りの連中からはブーイングの嵐が巻き起こる。

「なんで飛鳥だけなん!?」

「それって贔屓だよ!?」

「親父にだって撫でられた事ないのに!」

「…生ちゃん、それは大問題だよ?」

 みんな思い思いの言葉を晃汰に投げつける。対する本人は何故メンバー達が色めき立っているのか、理解ができなかった。

「女の子は、頭ポンポンされるのが好きなんだよ」

 一人冷静にその様子を見ていた白石は、困惑する晃汰に教える。なるほどね、と晃汰は森保がその行為を要求してくる光景を思い出した。彼は森保の長い髪を指の間に滑らせるのが好きだった。

「だからって、そんな怒らなくてもいいしょや。もうお開きにして帰りなさい」

 ラチがあかないと察するや否や、晃汰は早々に会を終わりにして面々を帰す算段に移ろうとした。だが、そうは問屋が卸さない。

「何言ってるん?何の為にこんな遅くから始めたと思ってるん?」

 またも松村が食い付く。言われてみれば、と晃汰は妙に納得し更には部屋を見渡す。稼いでいるメンバー達のものと思しきブランド物の大きなバッグが置かれており、今夜が命日になるのだと晃汰は、キリスト教徒でもないのに胸の前で十字を切った。

 怪我を考慮して晃汰は酒を飲まなかったがその分、生田や松村からの食事攻撃を受ける。まずは晃汰が滅多に使うことのない炊飯器で松村が炊いた、白米様を食べさせられる。今日だけはと炭水化物を抜く食生活を諦め、ひたすらに白米を口に運ぶ。その白米がなくなれば残っている惣菜を勝手に盛られる。それもなくなれば、追加の食料を晃汰が夜な夜な買いに出かける。いつも立ち寄る、歩いてすぐのスーパーマーケットである。営業時間ギリギリに滑り込むと、予想よりも多めの食料を買って直ぐに部屋に戻る。

「〆はやっぱりラーメンやな」

 たらふく食った深夜1時、晃汰は無心で生麺を茹でている。テーブルの前で晃汰手製のラーメンを正座で待つ生田と松村の他は、日本酒を酌み交わしながら熱い討論を繰り広げる秋元・齋藤・白石に高山・中田・樋口はセーラームーンの話題で盛り上がる。星野と和田は一足先にシャワーを浴び、既に床で行き倒れている。

「他に食べる人は?」

 とりあえず二人分の大盛りラーメンをそれぞれに運んだ晃汰は、もうやけくそになっていた。どうせ誰も食いやしないとタカを括っていたのが大間違いで、起きている連中全員が綺麗に挙手をした。晃汰は絶望に満ちた顔をするしかなかった。


 お腹と胸に重圧を感じて目が覚める。真っ白い天井はカーテンの隙間から差してくる朝日で少し明るくなり、窓の外では鳥が鳴いている。首だけを起こして自身の身体にのっかる生物を確認すると、胸には中田、腹には高山がそれぞれ頭を預けていた。首を右に倒せば白石の端正な寝顔があり、左を向けば樋口の背中がある。ファンからしたら垂涎ものな光景だが
、晃汰からしたら同世代の同僚達である。中田の豊満な胸と高山の美脚に眼を奪われた以外に特別な感情は湧いてこず、晃汰は壁にかけてあるアナログ式の時計を見た。時刻は5時半で、家を出るのにあと1時間近く猶予がある。高山と中田の頭を起こさぬように床へ置き、抜き足差し足でキッチンに向かい朝ご飯の支度にとりかかった。朝ご飯と言ってもスープにトースト、サラダと茹で卵といったありふれたものだ。和テイストの朝食とも晃汰は考えたが、3号炊きの炊飯器ではどうしても間に合わなかった。

 ふと、晃汰は深夜に提供したラーメンの丼などが綺麗に洗われていることに気づく。ラーメンを全員分作り終えてからの記憶がない彼は、自分以外の誰かが後片付けをしてくれたのだと察し、起きてくる面々に犯人の正体を追及しようと思った。

 最初に起きたのは、一番最初に寝た星野と和田だ。それから殆ど同じタイミングで残りの連中も眼を覚ます。早めに食事を用意していた晃汰は、全員分の朝食を一気に出すことができた。その間に晃汰はシャワーと着替え、身支度を済ませる。リビングに戻ると殆どのメンバーが食事を終えており、白石と秋元が率先して洗い物をしていた。

「昨日なんにもできなかったし、これぐらいやらせてよ」

 髪を後ろで一つに結んだ白石が、晃汰に振り向きながら言った。秋元も同情するように笑顔で何度も頷くのを見届け、晃汰はリビングの掃除をしようとする。ところが、最後まで食べていた松村が食器を片付けたのを良いことに、高山が掃除機をかけ始めた。

「晃汰は座ってなよ」

 姉貴気質の高山に言われ、とうとう手持ち無沙汰になった晃汰はソファに体育座りをして、メンバー達の行動を見守った。残りの連中達は邪魔にならぬよう、寝室で化粧をしている。

「なんか手伝うことある?」

 一足早く化粧を終えた中田が、孤独を体現する晃汰に尋ねる。

「そうすね、そしたら一緒にお風呂入ってもらっていいですか?」

 乃木坂でも指折りのナイスバディを誇る中田におりいっての頼みだったが、背中に大きな紅葉の返り討ちに遭う。そんな彼女も笑顔で楽しげで、晃汰とのそんなアホみたいなやりとりを楽しんでいる。

「今日はみんながいるから、今度ね」

「いや、みんながいなかったら良いんかい!」

 勿論、お互いが本気でないことぐらい両者ともわかっている。こんな物は当事者からすれば、コミュニケーションの一環に過ぎない。

 準備万端整えた晃汰は、部屋を出る時間が最も遅い白石に鍵を預け、日中を共にする秋元と一緒に靴を履いた。地下の駐車場に置いてある愛車に乗り込むと、アイドリングが安定するのを待って、乃木坂のキャプテンとともに最初の仕事場へと出発した。

Zodiac ( 2020/10/18(日) 21:36 )