三十五曲目 〜未遂〜
広大な海をバックに、いつもの素の表情をする梅澤。露出の多いタンクトップに似た衣装を身に纏い、青空の下を跳ねるように歩く。
「いいねぇ!いい表情!」
カメラマンは被写体の気分をのせる言葉を連発するが、それが本心であることは梅澤には分かっていた。いつも自分たちを撮ってくれる言わばお抱えのカメラマンで、照明や衣装担当も殆どが顔馴染みの連中である。その事が梅澤を余計に喜ばせてはいるが、彼女にはもっと自分見て欲しい人がいる。晃汰だ。彼は車の番をすると言って、常時車内に篭っている。持ってきているiPadで仕事をしているのだろうと梅澤は踏んでいるが、少しぐらい現場に顔を見せても良いのではないかとも思っている。
「良い画は撮れたか?」
次の現場へ移動する最中、ハンドルを握る晃汰が隣に座る梅澤に尋ねる。
「えぇ、まあ…」
いつもなら喜んで答えていただろうが、今の梅澤は素直に返事をする事が難しいほど、彼に対して疑心暗鬼になっていた。対する晃汰も普段とは違う梅澤の返しを気にしたが、初めての写真集からくる疲れだと勝手に解釈し、それ以上の会話は自重した。
一日で何個ものスポットを回り、梅澤は何着もの衣装を着替えて撮影をする。時にはドレッシーな衣装から、思わず目のやり場に困るような過激な衣装まで袖を通し、梅澤はひたすらにレンズに向かってポージングを繰り返す。カメラマン越しに見える顔馴染みの撮影クルー達も自分の事を褒めてくれていることはわかっているし、写真集が決まってから徹底的に食事制限とトレーニングを重ねた身体からは自信が満ち溢れている。それでも、梅澤は何処か気乗りしていなかった。彼女が一番自分を見て欲しい人、ファンでもなく同僚でもなく、クルーでもない。今も車の中で仕事をしているあの人…梅澤は晃汰の後ろ姿を脳裏にちらつかせながら、撮影を続けた。
「話があります」
一日の撮影を終えてホテルに戻ってくるや否や、文字だけの可愛げのないメッセージが、晃汰のスマホに届く。なんのこっちゃと首を傾げるも、晃汰は立ち上がって一つ隣の部屋をノックした。鍵を開けて出てきたのは正しくメッセージを送り受けてきた張本人であり、その顔からは笑顔が消えている。
「入ってください」
ぶっきらぼうに晃汰を中へ入れると、二人がけのソファに座るよう促す。続いて梅澤自らも、テーブルを挟んだ反対にある一人がけのソファへ腰掛けた。
「なんで私の撮影に来てくれないんですか?」
開口一番、余計な小細工など無しに梅澤は思いの丈を素直に晃汰にぶつける。
「なんでって言われても…」
首筋に手をやりながら困った表情を浮かべる晃汰に、梅澤はさらに追い討ちをかける。
「初日はあんなに楽しくご飯食べたのに、なんでそんなに急に冷たくなっちゃったんですか?私、何か悪いことしましたか?」
あくまでも淡々と言葉を並べるが、彼女が怒り心頭なのは汲み取れる。さて、どうやって説明しようか。晃汰は脚を組むと同時に、両手も頭の後ろで組んだ。
「じゃあ訊くが、僕と君とは幾つしか違わないんだ?」
「一個」
意外な晃汰の切り返しに、梅澤は彼から繰り出される問いに一問一答式で答えるしか他なかった。
「そう。そんな一個下の美人な同僚があられもない姿になっているところを、理性保って見てられるか?方や日本一のアイドルグループの片割れが、あと一枚脱がせば生まれたままの姿になるって時に、理性保てるか?」
答えることはできなかったが、段々と晃汰の考えている事が梅澤には分かるようだった。その憶測を話そうとした瞬間、目の前に座っているはずの晃汰が立ち上がるや否や、自分を強引にお姫様抱っこの要領で抱き上げてベッドへ放り投げた。
「ちょ、晃汰さん…」
あまりにも事態が急変しすぎて、梅澤は言葉が出てこない。そんな彼女の消え入るような声では晃汰は止まらず、目に見えぬ早さで梅澤のシャツのボタンを外し始めた。純白のシャツを留めるボタンが全て外されると、晃汰は迷わずに梅澤をブラ姿だけにした。
「イヤ、イヤだ…」
目の前にいる人間は、もう晃汰ではない。性に従順な獣なのだと梅澤は悟った。付き合った彼氏が男になる瞬間など幾度となく見てきたが、メンバーとの距離感を上手く保ってきた人間が豹変してしまうのは、今が初めてである。決して晃汰を拒んでいるわけではなく、寧ろこの時を夢見ていたが、もっとロマンティックに肌を感じたかった。そして最も、自分が一番信じていた異性が力ずくで行為に走ると分かった時、自然と梅澤はひと筋の涙を流した。
すると、今の今まで見開いていた眼を閉じて梅澤の額に優しくキスをすると、晃汰は胸の部分だけがブラによって隠れた彼女の身体に布団をかけた。訳が分からなくなって固まる梅澤に、ベッドから立ち上がった晃汰は口を開いた。
「怖かったか?」
服についた埃を叩く晃汰に、梅澤は焦点を合わせる。唇の震えはとっくに止まっていた。
「乃木坂の連中は誰一人を取っても、一般人とは比べものにならん程綺麗で可愛く美しく、そしてエロティックだ。そんな女が目の前であられもない姿で虚な眼をしていたら、彼女と遠距離恋愛で数ヶ月に一回の俺はどうなると思う?」
再び二人用のソファに腰掛けた晃汰は遠くのベッドの中で、なぜか胸元を布団で隠す梅澤を見る。
「俺はメンバーの写真集の撮影は全部、撮影場所に顔を出すのを自主的に控えてる。皆そう。お前さんだけじゃない」
言い切ると晃汰は立ち上がり、小さな冷蔵庫で冷えてる天然水のボトルを手に取り、一口飲んだ。本人の知らぬ間に口が乾いていたのだ。ボトルを元あった通りに冷蔵庫にしまうと、晃汰はベッドの脇に落ちている梅澤のシャツを拾い上げて彼女に手渡した。
「こうなる恐れがあるから、君たちの水着姿を見たくないんスよ」
苦笑い混じりで話す晃汰だったが、首に腕を回されて体重をかけられてしまえば、重力に従って梅澤の上に落ちるしかなかった。
「怖かったですけど、違う意味でもドキドキしてましたよ?やっと襲ってくれるんだ、って」
しっかりと晃汰の頭を抱き込む梅澤は、うっとりとした顔と口調である。何処かに森保と似た温もりを感じたが、相手は年下の同僚という事を忘れてはおらず、すぐに起き上がって衣服を整える。
「街中のギャングにでも襲われてろ」
勿論そんなことは思ってもいないし、晃汰が冗談で言っているのも梅澤は分かっていた。適当な捨て台詞のつもりだったが、梅澤は笑顔で晃汰に言い返す。
「その時は、晃汰さんが助けに来てくれると信じてます」
頭がお花畑の奴には何を言っても通じない、晃汰はやれやれと肩を落としてドアへと向かった。
「ちゃんと鍵閉めとけよ」
振り向かぬまま言い残すと、晃汰はドアを超えて姿を消した。乾いたドアの音がこだまする室内で、梅澤はそのままベッドで眼を閉じた。