乃木坂46のスタッフ兼ギタリスト


















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E 夢限
三十四曲目 〜安いモーテルでかまわない
 小さい時から飛行機に乗る事は、木村拓哉のドラマを見てから憧れになっていた。大人になった今でも搭乗口をくぐる時の高揚感、タラップを渡っている時の優越感は薄れる事はない。ボタンをとめていないジャケットをはためかせ、サングラスをかけた晃汰は僅かな手荷物を持ってエコノミークラスへと乗り込んだ。

 今回の遠征の依頼を受けたのは、いつも通り写真集の本人からだった。約2ヶ月前に梅澤からオーストラリアという話を聞き、晃汰は一旦は断ろうとした。予算が一人分増えてしまうことへの懸念と、その資金を衣装や梅澤本人へ還元すれば良いという建前だったが、晃汰はどうしても梅澤が暴走することを危惧していた。海外の海が少女を変えてしまうことなど、ザラにあることだ。

「もう、晃汰さん込みで今野さんにも話をしちゃってるので」

 半ば詐欺師のような強引さで、梅澤は晃汰に勝った。彼はなす術なく梅澤を睨み付けるが、既に背を向けて鼻唄混じりでスキップする彼女は、そんな事を知る由もない。

 出発する前日まで気が乗らなかった晃汰だったが、梅澤が笑顔で写れるならと覚悟を決めた。使う場面など来て欲しくないが、白石の件もあって念の為に男のエチケットも用意した。下心は無いものの、森保以外への女性に向けて用意してしまった事を、晃汰は心底後悔した。それでも、一日早く現地に向かっている梅澤からメッセージが来ると、彼の重たい心境も幾らか軽くはなった。

 時間にして約32時間のフライトを終え、パースへと晃汰は降り立つ。初めてのオーストラリアだったが、海外と飛行機には慣れ親しんでいる晃汰は、長時間のフライトを苦ともせずに税関を通って入国した。

「晃汰さん!!」

 夜の空港に、一際大きな日本語が響き渡る。近くの現地人には4分の1の太陽に聞こえるだろうが、とりあえず呼ばれた本人は声のする方にスーツケースを転がす。

「待ってましたよ!さぁご飯食べに行きましょう!!」

 異国の空気というものは、内気で伏せ目がちだった梅澤をここまで変えてしまった。日本では公共の場で、彼女から手を引かれることなどなかった。だが、オーストラリアの夜は一味違った。170cmを超える長身美女は、バレーのブロックを彷彿とさせるほどピョンピョンと跳ね、恥ずかしげもなく同僚の名を連呼した。

「待てよ、お嬢ちゃん」

 何故か今日に限ってロングフライトの疲れが出た晃汰だったが、撮影予定期間である一週間分のレンタカーを空港で借りた。オーストラリアでは圧倒的なシェアを誇る、トヨタのRAV4だ。今回のチームに国際免許を持っている者が晃汰しかおらず、彼あっての写真集と言っても過言ではなかった。

 用意された車に乗り込み、エンジンをかける。ハイブリッドを嫌う彼だから、当然のようにガソリン車。一度たりとも晃汰がハイブリッド車に乗ったことなどなかった。

「とりあえずホテルまで行かせてくれ。荷物置きたいし、チェックインもしておきたい」

 晃汰はスマホでナビを設定すると、助手席に乗り込んだ梅澤に断りを入れる。行きがけに食事をしても良かったが、重たい荷物を置きたい以上に晃汰は、オーストラリアのビールを堪能してみたかったのが本音だ。梅澤も納得した為に、晃汰は一旦ホテルに向かうルートを設定して車を走らせた。

 オーストラリアでも有数のホテルに、撮影クルー数名に衣装担当、メイク担当と本人と運転手。豪勢に一人一部屋が一週間貸し切られており、乃木坂LLCの財力を遺憾なく発揮する。

「もっとCheapなホテルでいいから、給料上げてくれよ」

 受付のホテルマンが裏に消えている間、晃汰は日本語で愚痴をこぼす。それでも作曲の印税分を加味しても、同世代よりかは遥かに給料をもらっている事は彼が一番知っている。そんな高価なホテルのカードキーを受け取ると、傍に置いたスーツケースを再び転がして晃汰はエレベーターへと向かった。

「隣の部屋ですね!」

 晃汰が持つカードキーに刻まれた数字を盗み見た梅澤は、自身の部屋のカードを彼に見せつける。どうやら彼女の言っている事は本当なのだと、晃汰は軽く落胆した。子守も同然な部屋の配置に、心底ホテル側を責め立てたい気持ちに晃汰は駆られた。

「10分後に玄関前な」

 それだけ梅澤に言い残し、晃汰はさっさとカードキーをセンサーにかざして部屋に入った。扉を勢いよく閉めるや否や、晃汰は大きなため息をわざとらしく吐き、キングサイズのベッドにうつ伏せの状態でダイヴする。彼の中では、部屋でゆっくりとヴィクトリア・ビターを楽しみながらオージービーフをつまむ予定だったのに、まんまと梅澤にしてやられた。

「めんどくせぇな…」

 壁の遮音性を期待して晃汰は独り言を吐く。だが、せっかく梅澤が誘ってきてくれた事を思うと邪険にはできず、彼はバラしたスーツケースの中から薄手のジャケットを取り出して羽織った。黒スキニーにジャケットスタイルといった、晃汰の基本的なファッションだ。

 ドアを開けると、壁に寄りかかってスマホを弄る梅澤の姿があった。チェック柄のミニスカートに白いノースリーブ姿は、スタイルの良さも相まって異次元の綺麗さがあった。

「待ったか?」

 ポケットに手を突っ込んだ晃汰は、照れ隠しにいつもは言わないキザなセリフを使う。

「待ちました、すっごく」

 声で晃汰の存在に気付いた梅澤は、両脚で一歩前に飛び、彼に近づいた。行こうか、とは言わずに首の動きで晃汰は合図すると、梅澤はニッコリと笑って頷く。

「近くに旨そうなオージービーフを出す店があるんだ。歩ってくけど、文句ないよな?」

 白い薄手のジャケットは氷室京介を模倣としたもので、裾がはためくほどの風速に晃汰は気分が上がる。その隣を歩く梅澤は、普段では履かないヒールを着用し、晃汰との身長差を若干縮めている。

「珍しいじゃん、ヒールなんか履くの」

 いつもとは違う足音が聞こえてくるのと、いつも以上に梅澤がスレンダーに見えてしまうのも手伝って、晃汰は彼女の靴を指摘した。

「あまり履く機会がないので、今回は良いかなって思って」

 気づいてもらったのが相当嬉しかったのか、梅澤は晃汰の横を飛び跳ねるように歩き始めた。その様子に思わず晃汰は吹き出してしまったが、良い状態のまま撮影に臨んでくれるならばと、被写体のコンディションを第一に考えた。

 歩いて15分となかなかの距離だったが、色んなことについて話していた二人には、さほど長くも感じられなかった。梅澤にしてみたら晃汰との二人っきりの食事も楽しみだったが、それ以上に歩きながらの会話が楽しかった。良い家で育ったのにも関わらず良い意味で品が無く口も悪いが、奥底にある品性は随所で表れる。そんな彼ともっと話をしていたかったが、目的の店へとたどり着く。

「あ、美味しい…」

 鼻の下に泡をつけながら、梅澤は人生で初めてのビールを味わう。

「初ビールがヴィクトリア・ビターとはな、イカシてるぜ」

 チビチビとジョッキに口をつける梅澤を見ると、晃汰はコーラのグラスを静かに傾けた。

 煩いと言うよりも賑やかという表現が似合っている店内で、二人は小さなテーブルを挟んで座る。メニューはそれぞれに渡されてはいるが、英語ができない梅澤は注文を全て晃汰に任せた。

「俺だって得意じゃないのに…」

 謙遜しつつも、店員が聞き返さないところを見ると、内容がわからない梅澤でも晃汰が英語に精通していることがわかる。そこでもひとつ、胸の奥に何かが灯されるのを梅澤自身が感じていた。

 飲み物が運ばれてから少し経つと、これぞ海外といった具合の肉料理が次々に運ばれてくる。ステーキやソーセージがメインだが、梅澤の体型維持に気を遣った晃汰は、サラダなど割とヘルシーなものも注文していた。

「いただこう、機内食食べなくてお腹ペコペコなんだわ」

 ナイフとフォークのセットを先に梅澤に手渡すと、晃汰は慣れた手つきでソーセージを切り分け、口に運ぶ。梅澤も晃汰と同じ皿に盛られたソーセージを自分の皿に取り、一口大に切って頬張った。スパイスの香りが鼻を通りすぎ、溢れんばかりの肉汁が口の中いっぱいに広がる。日本では経験したことのない感覚に、梅澤は夢中になった。

「そんなに気に入ったなら、もう一皿頼むよ」

 殆どを梅澤が平らげて綺麗になった皿を見るや否や、晃汰は小さく右手を上げてウェイターを呼んだ。申し訳なさそうに頭を下げる梅澤に、晃汰は笑って頭を左右に振る。

「俺に気を使わなくていいから、その分、最高の写真集にしてくれ」

 英語圏の国に来てから恐縮する場面が多い梅澤に対し、晃汰はそんな言葉を何回も掛けていた。それが仕事だと彼は認識していたし、仕事ではないとしても男としてのプライドがきっとそうさせるだろう。得意な分野で得意な連中が活躍すればいい、晃汰はそういう考えの人間である。

 三杯目のジョッキを空にしたところで、金森氏はお手洗いに立った。途中までついて行こうかと晃汰は心配したが、それぐらいどうってことないと彼女は胸を反らして答えた。そんな梅澤が化粧ポーチを隠し持って行ったのを見逃さなかった晃汰は、財布を持ってレジに立つ。英語とクレジットカードで会計を済ませると、元いた席に再び座って梅澤が戻るのを待った。

 予想よりも早く戻ってきた梅澤に少し驚きつつも、晃汰は席を立った。しっかり化粧まで直した梅澤が財布をバッグから取り出すが、先を行く晃汰は店員に一言二言告げて店を出てしまった。

「Money…」

 中学レベルの英語脳から捻り出した単語を店員にぶつけ、代金を支払う仕草を梅澤は体現する。大柄な外人店員は日本から来た長身女性の言わんとしている事がわかると、言葉を発さずに笑顔で、店の外で待つ晃汰を指さした。

「払っていただいてるなら、先に言ってくださいよ!すっごい焦ったんですから!」

 大きな音を立ててヒールを叩きつける梅澤が、夜風に浸る晃汰に詰め寄る。

「聞かれなかったから」

 涼しい顔の晃汰にため息を吐くが、梅澤は手に持っていた財布を開いて日本円を取り出そうとした。

「いいよ、写真集撮影開始祝いだ」

 そう言うと梅澤の手に自身の手を重ね、晃汰は強制的に財布を閉じさせた。

「帰るぞ」

 何度も頭を下げる梅澤の首根っこを掴んだ 晃汰は、ホテルのある方へと歩き出す。観念した梅澤もその隣を歩き、更に彼のシャツの裾を指先でつまんだ。手は繋げないが繋がっていたい、梅澤の切なる想いが溢れた結果だった。

 帰りは行きよりも時間がかかった。数歩進むたびに異国情緒あふれる夜景色に梅澤が足を止め、自前のスマホで写真撮影を始めてしまうからだった。

「これだから女は…」

 小さな声で吐き捨てた晃汰は、森保と白石の横顔を思い出した。旅行と名のつく時に、二人は目の前の梅澤と同じようにスマホやカメラを覗き込んでいた。Memory(昔)よりもIng(現在進行形)を晃汰は大事にしていた。氷室京介のスタッフTシャツ、そして浜田麻里の楽曲タイトルにも使われている『Carpe Diem』は、そんな晃汰にうってつけの言葉であった。

「気が済んだか?」

 劇中のジェイソンステイサムが使うようなセリフを吐き、晃汰はほろ酔いの梅澤を促した。はいと素直に返事をした梅澤は再び彼のシャツを摘むと、仲良くホテルまで帰っていった。

Zodiac ( 2020/08/26(水) 06:46 )