乃木坂46のスタッフ兼ギタリスト


















小説トップ
D 新居
三十二曲目 〜風邪〜
 布団を被っていると言うのに、壮絶な寒気が身体全体を襲う。やけに頭がぼんやりとするし、脳の奥を鈍い痛みが走る。晃汰は何年か振りに風邪を引いて、二日間の療養休暇を貰って朝から自宅で死んでいる。幸い他のスタッフに頼める仕事しかこの二日間には組まれておらず、日頃の過労が祟ったのだと晃汰は推測し、休養に当てようと考えた。

「晃汰が風邪引いたって!」

「嘘やろ!?」

「えらいこっちゃ!」

「アメージング!」

 徳長への連絡の直後、メンバーへは新キャプテンの秋元を通して晃汰は事態を連絡した。何故か全メンバーが入っているLINEグループに晃汰も強制的に入らされてはいるが、そこで公表してしまえばグループが活性化してしまうことを恐れてのことだった。ただ、どの道秋元伝いに事を聞いたメンバー達が大騒ぎした為に、晃汰が講じた策も結果は同じだった。

 秋元へメッセージを送り終えると、晃汰はすぐにスマホの電源を切った。いろんなメンバーからのLINEや電話で貴重な睡眠時間を割かれ、応答だけで療養休暇を終えてしまうのは真っ平ごめんだった。休暇明けに全ての情報をチェックするからと徳長に晃汰は伝えていたから、気兼ねなくスマホを置く事ができた。冷えピタシートもなければ風邪薬もない、氷枕なんてものも独り暮らしの部屋に常備されるものではない。午前中いっぱい寝腐った後に、体調の回復具合を見て晃汰は必要な物を買いに出ようと考え、瞼を閉じた。

 目覚ましはセットしていなかったが、渋々目覚めてナイトテーブルに置かれた時計に目をやると、いつの間にか昼前になっている。時間にして5、6時間の睡眠だったが、晃汰はかなり熟睡することができた。だが、まだ体調は全快に程遠い。寝る前に考えていた買い出しは諦め、今日は一日寝ていようと決め込んで再び目を閉じた。その数分後、まだうたた寝状態だった晃汰は、寝室に面している共用廊下を誰かが走り抜ける音で目が覚めてしまう。忘れ物をした四期生か誰かだろうと気にも留めなかったが、その足音は自宅の玄関前でピタリと止まり、やがてドアを開ける音が聞こえてきた。

「入りますよ〜」

 声で一人のメンバーは分かった。だがもう一人は…廊下を駆けてくる足音が二人分あった事はわかっていたから、晃汰は久保の相方を重たい頭で詮索した。

「失礼しまぁす」

 恐る恐ると言った具合にドアを開け、正しく久保と一際デカい女が寝室に入ってきた。

「うつっちまうから、構うんじゃねえよ」

 自身の顔を覗き込んでくる久保と梅澤に、晃汰は照れ隠しでぶっきらぼうに言葉をかけてしまう。体調が優れない為に気を遣うことも忘れてしまったが、二人には晃汰のそんな状況がお見通しである。

「すぐ帰りますから大丈夫ですよ。あとこれ、買ってきたんでよかったら…」

 優等生な久保は笑顔を変えずに、道中で買ってきたドリンクやゼリーの入った袋を、目覚まし時計が置いてあるナイトテーブルに置く。

「なんで私たちに直接言ってくれないんですか。仕事行く前なら全然、看病できたのに…」

 長い脚をピンと伸ばして晃汰を覗き込む梅澤の姿は、差し当たりコンパスと表現できるだろう。それだけスタイルの良さが如実に出てしまっているが、今はそんな事にもかまっていられない。梅澤は少しだけ怒りを露わにした。

「言ったら、朝っぱらから大騒ぎするだろ?んなの、真っ平だぜ」

 とは言うものの晃汰は、久保や梅澤の気遣いがとても嬉しかった。仕事の合間を縫って見舞いに来た二人は、芸能人らしく嵐の如く去って行った。飯でも奢ってやらねぇとな、久保が置いていった袋を漁りながら、晃汰は彼女たちの心配そうな顔を思い返す。アイドル達にとったら空き時間や移動時間は、数少ない自由時間の部類である。そんな希少な時間を割いてまで見舞いに来てくれた二人に、晃汰は心の底から感謝した。袋に入っていたスポーツドリンクを一気に飲み干すと、そのまま仰向けに倒れて再び目を閉じた。

 焼けつくような夕陽が部屋に差し込む中、晃汰は目覚めた。頭の痛みは若干引いてはいるが、まだまだ本調子とはいかない。置き時計を見ると、もう小学生は家に帰る時間になっている。すると、キッチンの方からまな板を叩く音が耳に入った。また誰かが来て、お節介に料理をしているのだろう。なら手間が省けるなと楽観視し、晃汰は完成までの時間を再び睡眠に充てようと、瞳を閉じた。だが、聞き逃すことのできない名前が、次々と扉の奥から聞こえて来る。

「あ、まいやん!まだ味付けは早いって!」

「真夏違うよ!?塩胡椒を味付けって言わないよ!?」

 まいやん?真夏?二つの名前にただならぬ狂気を感じ、今の今まで鉛のように重かった身体に鞭を打ち、寝室の扉を押し開けた。

「なんでここに居るんですか!?」

「あ、起きた」

「大丈夫?」

 調理に夢中だった白石と秋元はその手を止め、ダサい部屋着姿の晃汰に振り向いた。

「どうやって中に入ったんですか。誰を脅したんです?」

 このマンションに入るには鍵でオートロックを解除するか、住人に開けてもらうしかない。鍵を持っていない二人が入れる方法は、三、四期生の誰かを脅すしかない。

「脅したって、失礼ね。ちゃーんと美波に開けてもらったのよ」

 白石は大きく胸を張って晃汰を見た。なんの自慢やら、晃汰は肩を竦めて首を左右に振る。

「元気そうで良かったよ」

 改めて晃汰に向いた秋元も、彼の姿を見て一安心した。唯一メンバーの中で連絡を受けたのが秋元であり、彼の身体を案じていた秋元は晃汰が元気そうな事が心底嬉しかった。

「で」

 良い空気で終わりになりそうだったのを阻止すべく、晃汰は再び二人に問う。

「何してるんですか?」

 白石と秋元は眼を合わせると、ニッコニコ顔で二人は声を揃えた。

「晃汰の看病!」

「まぁそうだろうな」

 食い気味に晃汰は納得すると、リビングへと移動し、ずっしりと重たくなった身体をソファに委ねた。キッチンからは相変わらずに調理をする音が二人分聞こえ、晃汰はその音を子守唄にして眼を閉じた。

「おまたせ」

 優しく肩を叩きながら、柔らかな声で白石が晃汰を起こす。重いまぶたを開けた晃汰は、頭にくる鈍痛が幾らか和らいだのに気づいた。快方に向かい始めている事を良しとし、自分の目線の高さにしゃがみ込む白石の端正な顔を覗く。

「ご飯できたよ、食べよ?」

 ファンにでさえ向けたことのない笑顔の白石は、弱っている晃汰の頭に手を乗せた。普段の晃汰なら反発しているが、体力をすり減らしている今の彼は頷くので精一杯だ。気を良くした白石は晃汰の手を握って、安全に座布団に座るまで補助した。その間に秋元は消化が良く口当たりの良い手料理をキッチンからリビングダイニングのテーブルへと運ぶ。

「申し訳ない、こんなにしてもらって」

 強がっていた晃汰だったが、並べられた二人手製の料理を目の当たりにすると、自然と本音が溢れた。不調な胃腸にも難なく食べられそうな優しい味付けの手料理に、晃汰は体調を顧みずにガッツく。

「ゆっくりでいいよ、ご飯は逃げないから」

 晃汰の調子を案じる秋元だったが、内心は彼が食べてくれた事がとても嬉しかった。それは白石も同じで隣で食べる晃汰を、眼を細めて見守っている。

「お粗末様でした」

 
 再びエプロンを身につけた白石は、きれいに平らげられた皿を持ってペニンシュラキッチンへと向かった。今度は秋元が晃汰の傍にいる番のようで、別テーブルに置かれていた体温計を持ってきては晃汰に手渡す。

「だいぶ下がったけど、まだありますね」

 表示される体温に顔をしかめながら、晃汰は白石が持ってきた水で風邪薬を流し込む。子どもの頃は不味い粉薬だったのが今ではカプセルタイプであり、薬嫌いの彼でも渋々飲む事ができた。

「うん、リンパとかの腫れも少しは引いたみたいだね」

 秋元は頭の割には小さな手を、晃汰の首筋にやった。綺麗な手が自身を躊躇うことなく擦る訳だから、いくら同僚とは言え晃汰は少し秋元を意識した。

「まぁ、今夜寝れば治りますよ」

 体調不良の身体が反応してしまう前に、晃汰は平生を装って秋元に返事をする。その向こうでは、対面式のシンクで洗い物をしている白石が、阪神の藤浪から放たれるカットボールぐらい鋭い眼を晃汰に向け続けている。

 その白石が洗い物を終えて帰ってくると晃汰は冷蔵庫から、頑張った日のご褒美用に取り寄せた、高級チーズケーキを二人へとテーブルに上げた。

「風邪の時は食べたくないし、置いておくとダメになっちゃうから」

 二人分の皿とフォークを並べながら、遠慮する二人に晃汰は言葉をかけた。ケーキなんぞまた買えばいいし、それ以上に今の晃汰は、二人の喜ぶ顔が見たかった。

「今はこれしかお返しできないから」

 病人からここまで言われてしまえば、二人はこれ以上無下にはできない。まだ封を切られていないホールケーキにナイフを入れ、二人は等分して食べ始めた。その間に晃汰は風呂場へ行き、予め洗っておいた湯船に栓をして自動で風呂を沸かした。熱も引いてきたし、さすがに二日連続で風呂に入らないのは気分的に良くないと判断し、彼は入浴することに決めた。

「なに、お風呂入んの?」

 凄まじい勢いでケーキを食べ進める白石が、風呂場から戻ってきた晃汰に尋ねる。

「うん、二日連チャンで入らないのは気持ち悪くて」

 どっこいしょと言いながらソファに腰を下ろした晃汰は、ケーキ屑を口周りにつけた白石を見る。

「じゃあ、私たちは晃汰の後に入れさせてもらおうか」

 白石は秋元の顔を見ると再びケーキをむさぼり始めた。何か嫌な予感がした晃汰は、ソファから背中だけを起き上がらせて部屋中を見渡す。恐らく彼女たちのものと思われる荷物が二つ、壁に沿って置かれているのを晃汰は見逃さなかった。

Zodiac ( 2020/08/06(木) 18:33 )