D 新居
二十八曲目 〜何故かカタルシスに酔った夜だから〜
 夜の六時を時計が少し回るも、iPadで作業をする晃汰には時間の感覚がなかった。仕事場でも無いのに何故か集中してしまい、引越しのためのオフだというのに資料を幾つか完成させてしまった。

「あ、晃汰さんお疲れ様でーす」

 さらに時間が経つと、仕事を終えた山下が帰ってきた。

「お疲れさん」

 前を通り過ぎていく彼女に眼をやる事はなく、晃汰は液晶を見つめたまま山下に挨拶を返す。多目的スペースを通ってエレベーターに乗り込む山下の手には、帰りがけにコンビニで買ったモンブランの袋が握られている。糖分を欲した彼女はフラッと立ち寄ったコンビニで無意識にモンブランを買い求め、夕食の前に平らげてしまおうと目論んでいる。

 山下は鍵を開けて部屋に入ると、化粧も落とさずにテーブルにモンブランを並べる。だが何かが引っかかっていた。まるで魚の骨が奥歯に挟まった時と同じように、少しの違和感が彼女を襲っている。忘れ物でもしたかと今までの行動を振り返り、更にはバッグの中身を確認するもどちらにも問題はない。そこから山下がダッシュで、先ほど通過した多目的スペースに向かうのにそう時間はかからなかった。

「ぬわんでここにいるんですか!?」

 眼をカっと見開いた山下は、iPadが置かれるテーブルに勢いよく手をついた。

「ぬわんでって、ここに今日から住むんです」

 晃汰は目線をiPadから逸らさない。

「何でそういう大事な事、言ってくれないんですか!?」

 山下の勢いは収まらない。

「だって、聞かれなかったから」

 ようやくiPadを閉じた晃汰は、立ち上がって大きく伸びた。

「だから、今日からよろしくね、ご近所さん」

 iPadを傍に携えてスペースを後にしようとする際、晃汰は山下の頭にポンと手を乗せて彼女に背を向けた。その背中を見送る事なく山下はすぐにスマホを取り出し、寮生活を送るメンバー限定のグループラインにメッセージを入れた。

「今夜は眠れると思わないでくださいよ」

 即座に増えていく既読数と返信が混在する画面から顔を上げ、山下は不敵な笑みで晃汰が通った後を見つめていた。

 山下のラインのお陰で瞬く間に三、四期生に晃汰が隣人になる事が広まった。そして同じ日の夜、集まれる者が晃汰の部屋に集まってパーティーを開くことになった。勿論部屋の主に事前に話など行っておらずに急遽、晃汰は山下を連れて近くのスーパーへ飲み物と惣菜を買い出しに行くハメになった。

「これは何祝いなの?しかも俺が祝われる立場でしょ?」

 買い物カートを押しながら、晃汰は不満を吐露する。

「仕方ないじゃ無いですか、晃汰さんが前もって言ってくれないんですもん。前もって言ってくれたら私の手料理を振る舞ったのに」

 何かにつけて言い訳をする山下は、人の金と思ってお構いなしに酒缶をカゴいっぱいに放り込んでいく。そしてそのカゴが溢れそうになれば、今度はタイムセールで安くなった惣菜を崩れぬように違うカゴの中へ積んでいく。人数を考えれば妥当だが、晃汰は財布の中に入っている札だけで足らせる事を諦め、カードを出す覚悟を決めていた。

 結局、山下もカートを押すことになって買い物カゴは4個に達した。86を預けている間は代車として、新型のヤリスを晃汰は駆る。マニュアルの感覚を途切れさせたく無い為、マニュアル車を希望してそれに合うグレードを手にする事ができた。そんな新車に荷物を満載にし、新居へと晃汰は山下を隣に乗せて戻った。

 時刻は19時を少し過ぎた頃で、パーティーは20時からである。二人は役割を分担して、なんとか開始時刻の10分前には全てを終わらせようと必死になった。調理を担当した晃汰は、買ってきたばかりのフライパンや包丁といった調理器具を存分に使い、メインディッシュにもツマミにもなり得る料理を何品も作り始める。一方の山下は買ってきた惣菜や晃汰が作った温かい料理、更にはプラコップや紙皿を綺麗に並べた。

「美月、味見」

 フライパンを振る傍ら、テーブルに食器を並べる山下に晃汰は声をかけた。

「美味しい」

 差し出された一切れの肉を頬張り、山下は口元を押さえて眼を見開いた。山下が褒めるのであれば間違い無いだろうと感じた晃汰は、自身で味見をする事なく大皿へと盛り付けた。それを山下がテーブルの真ん中に置く。晃汰の目を盗んで彼女がつまみ食いを何度かしたのは、予想以上に晃汰の料理の腕が良かったからだった。

「こんなもんで良いだろ・・・」

 晃汰は最近気に入っているスミノフのグレープ味を片手に、手料理と買ってきた惣菜が所狭しと並べられたテーブルを見下ろす。気合を入れる為のエプロンにお団子頭の山下も、自身と晃汰の働きを労うように小さく拍手をしている。時計はパーティー開始のきっかり10分前を指しており、当たり前だと言わんばかりに晃汰は何度も頷いてスミノフを煽って来客を待つ。

 20時キッカリに始められはしなかったものの、時間を追う毎に参加者が増えていく。その反面、晃汰と山下が考えなしに酒を買い込んでしまった為に未成年の出席は自重してもらった。未成年の三、四期生達への会も設けたいと二人は予定だけに留めた。

 三期最年長の吉田を筆頭に、仕事を早々に切り上げてきた成人メンバーがテーブルを囲む。その全員が晃汰の引越しに対して無知で、会が始まって暫くは本人に対して質問責めが繰り広げられた。そこで晃汰はありのままの答えを伝える。一人暮らしをずっと考えていた事、一人になった自分に何ができるのか知りたかった事、自分で全てを管理出来るのか知りたかった事など、晃汰は同僚達に自分の信念を説く。彼よりもだいぶ先に一人暮らしを始めているメンバー達も、そんな晃汰の考えに頷く。地方から独り身で上京してきた者たちは、特に一人暮らしの心細さを乗り越えた過去を持っているから、余計に晃汰の決心に同情している。そんな自分よりも若い時から一人暮らしをしている彼女達に、晃汰は心の底から頭が上がらなかった。

「けど、晃汰さんがいるってなっと安心できっよね。皆同し場所に住んでるとは言え、管理人さんは夜とかいないからね・・・」

 易しいアルコールでもキチンと効いている大園は、いつも以上に饒舌になっていて隣に座る佐藤と共によく食べ、よく呑んでいる。

「んな事ねぇだろ。僕は距離保ちたい人だから、帰ってきたらすぐ鍵かけて閉じ籠るからね」

 頭を左右に振ると同時に、晃汰を顔の前で手をヒラヒラさせた。

「ソンナコトナイヨ」

 大園の横に座る佐藤が、例によってぶっきらぼうに晃汰に反論する。佐藤の喋り方がツボな大園は、吹き出しそうな勢いで必死に笑いを堪えた。

「ナニナニ、ヘンダッタ?」

 更に追い討ちをかける佐藤を、晃汰は確信犯だと断定して、暫く二人のやりとりを見守った。とうとう堪えきれなくなった大園がトイレに走ったかと思えば、個室の中から女を捨てたような高笑いが聞こえてきた。

 ピッタリ二時間で会はお開きとなり、参加者全員で後片付けを手伝う。元々洗い物は少なく、大きめのゴミ袋へとガサツに放り込んでいくだけだった。晃汰と山下の予想よりも惣菜や酒類が残った為、均等に分けて参加者たちに持って帰らせた。だが、晃汰手製の料理は余ることがなく綺麗に平らげられていた。

「ありがとな、色々と手伝ってくれて」

 パーティの後の静けさに二人、転がるグラスが無いのは参加者達の良心の数だけだ。  

「寧ろ、私の方こそいきなりパーティ企画しちゃって・・・」

 山下は申し訳なさそうに頭を押さえる。

「気にすんなよ。案外楽しかったし、皆に報告もできたしな」

 晃汰はそう言って立ち上がると、キッチンにへと消えていった。残された山下は体育座りを解いて足を投げ出し、両手を後ろ手について天井を見上げた。脳裏には乃木坂に加入したての頃、彼女が一人暮らしを始めた時の思い出が蘇っている。当時は高校生の少女がいきなり人前に出る事になるものだから、自身が望んだ事とは言え、それはかなり重圧のかかる事だった。同級生達は部活や恋愛を謳歌する中、自分たちはプレッシャーの中でもがき苦しむ。華やかな舞台を夢見て入ったこの世界を、早くも嫌いになろうとしていた。

「飲めるか?ワイン」

 思い出に耽っている山下に、晃汰は白いボトルを見せた。彼女が笑顔で頷くと、晃汰はワインオープナーを器用に使って栓を抜く。軽快な甘みの白ワインで、酒が弱い晃汰が好む味である。

「私たちが乃木坂に加入した頃を思い出してたんです。あの頃、荒れてたなぁって」

 ワインを一口舐めると、山下は進んで自分の心境を吐露する。晃汰は鼻で笑うと、同じように白色のワインを口に含む。

「誰だって若い時はあるよ。俺だって、この世界に入った時は空回りばっかしてたし」

 自嘲気味に話す晃汰ではあるが、やけに楽しそうに山下には映る。晃汰さんがあるなら私だって…言葉には出さなかったが、彼女は一種の安心感を得られた。

「だから今度は、お前さん達が四期生のそういうところのサポートをしてやらなきゃな」

 親指を除く四本の指を示す。山下はウンと頷くと再びワイングラスを傾けた。



「ほんと早いんだよな・・・なんか俺が悪いことしてるみたいじゃん」

 仰向けで生き倒れる山下を揺り起こす晃汰は、愚痴の一つを零す。彼がゆっくり一杯のグラスを空けるのに対し、山下は少なく見積もっても五、六杯を簡単に煽っていた。そのツケが回ってきたのだ。どうにもめんど臭くなってしまった晃汰は、一時間前に皆と一緒に帰っていった"金森氏"に連絡をする。

「"水崎氏"が酔い潰れたでやんす。迎えに来てやってほしいでやんす」

 誰の真似だかわからない口調で梅澤に電話をすると、彼女は二つ返事で快諾した。梅澤のフットワークの軽さは、学生時代のバレー部で培った体育会系の名残である。

「今日は山下が死んだんですね」

「今日はってなんだよ。そうですよ、いつも俺が先に死んでますよーだ」

 晃汰はわかりやすくむくれる。

「よくわかってるじゃないですか。ま、今夜は山下起きそうにないので、晃汰さんのベッド借りて二人で寝ます」

 梅澤は長い腕を山下の身体の下に通すと、お姫様抱っこの要領で持ち上げた。反論する余地が与えられず、晃汰は渋々ベッドへと案内した。

 その後、晃汰は梅澤とワインを飲み直す。シャワーを浴び終えたところで呼ばれたものだから、彼女の髪はまだ湿っていた。その姿がやけに妖艶で、ワイングラスを傾ける仕草も相まって大人な雰囲気を醸し出している。

「大人っぽいね」

 照れを隠すように、晃汰は笑みを含めながら梅澤の眼を見る。

「けど、一歳しか違わないですよ」

 否定はするが、満更でもない様子の梅澤は、再びワイングラスに手を伸した。新居での初日は、沢山の連中に祝われて(?)最高のスタートとなった。

Zodiac ( 2020/07/07(火) 14:24 )