乃木坂46のスタッフ兼ギタリスト


















小説トップ
C 東雲
二十三曲目 〜覚醒〜
 タイヤとアスファルトが擦れる音がしたが、竜恩寺は気にも留めなかった。そんな事はレースでは日常茶飯事だし、珍しい事ではない。だがその直後、明らかにフェンス前のバリアに何かがぶつかる衝撃音が聞こえた。ピット前を通り過ぎて行った相棒の速度と時間を計算すると、恐らくその紅いマシンかシルビアのどちらかだと竜恩寺は判断する。どうかシルビアであってほしいと不謹慎な事を考えてしまうが、場内アナウンスから聞こえてくるゼッケンは、間違いなくグループの象徴だった。

 現場ではレッカー移動が必要と判断された為、レースは一時中断となっている。全てのマシンがピットに避難すると同時にレッカー車がコースインし、事故地へと向かう。壁に突き刺さったマシンからドライバーが救出されるも意識がない為、コース横に常駐している救急車に乗せられ、サーキット御用達の病院へと搬送された。竜恩寺は一緒に乗って行こうかと考えたが、客席にいるメンバー達への説明責任を感じていた。騒然とするコース内を目の当たりにして、騒いでいるに違いない。竜恩寺は荷物をそのままに、メンバーと徳長がいる客席へと走った。

「晃汰がクラッシュした」

 竜恩寺は包み隠さず、相棒の状況をメンバー達に説明する。案の定、各々が病院に行くと騒ぎ出したが、なんとか彼女らを落ち着け、早めに帰るよう竜恩寺は徳長に促した。中速域でのクラッシュだから、重大な事態にはならない事を最後に説明し、竜恩寺は一行に背を向けた。

 コースに戻ると、フロント部分が変形した86がパドックに移されていた。勿論このまま乗って帰る事などできない為、竜恩寺は晃汰が加入している保険とJAFを併用して、晃汰宅まで大破したマシンを運ぶ方針をとった。すぐにJAFに連絡を入れ、レッカー車が到着するまでの間に荷物をマシンに押し込む。そして丸山家筆頭執事に連絡を入れ、動かないマシンを引き取ってもらうよう要請を出しすと、吉田は快諾すると同時に、晃汰を宜しくと言い残した。

「あの…」

 レースの主催者に頭を下げにコントロールタワーへ向かう竜恩寺の背中に、一人の青年が声をかけた。振り向いた竜恩寺は、一瞬だけ怪訝な顔をした。

「僕のせいであんな事故になってしまって…すいませんでした」

 深々と頭を下げた青年は、恐怖で顔を引きつらせていた。竜恩寺は最初、彼が何故自分に謝罪をしてくるのか訳が分からなかった。
 横井と名乗った青年は、事故の状況を事細かに竜恩寺に説明した。彼がシルビアに乗っていると言った瞬間に、竜恩寺はクラッシュの大まかな概要が理解できてしまった。そしてそれは、横井の証言で裏づいてしまう。その間も、横井は何度も竜恩寺に頭を下げ続けた。

「あくまでレース中に起こった事故なので、どうこう言うつもりはないです。横井さんのシルビアは無事みたいなので、幸いです」

 社交辞令ではなく本音だった。恐らく被災者自身も意識があれば、当事者に対して同じ言葉を送っていただろう。竜恩寺は目の前でただ謝罪をするだけのドライバーに、慰めるような言葉をかける。

「行きます?病院」

 どうやっても気の晴れない横井を哀れに思った竜恩寺は、彼を晃汰が搬送された病院に連れて行こうと考えた。まさか晃汰が重体になる訳がないと踏んでのことだ。

「お願いします」

 最後に横井は、大きく腰を曲げた。彼としても、自分が原因で事故を起こさせてしまったドライバーを、いち早く見舞いたかった。そして竜恩寺も、病院までの足として横井のシルビアに乗せて貰いたかったのは言うまでもない。

「脳震盪ですね。擦り傷とかもないですし、強いて言うならシートベルトに強く締め付けられた部分の打撲ですかね」

 博士という比喩が正しい風貌をした担当医が、病室に駆けつけた竜恩寺と横井に晃汰の状態を説明する。数ヶ月前に見た晃汰の点滴姿に、竜恩寺はもう慣れっこだ。担当医が病室を出ていくと、横井は力を無くしたようにパイプ椅子へと座り込んだ。

「脳震盪だから、心配要らないですよ。じきに起きてきますから。それより…」

 竜恩寺は同じようにパイプ椅子に腰かけると、横井の目を見た。そして、病院までの道中で体感したシルビアのチューニングに、興味を抱いた事を素直に彼に伝えた。そこから二人が打ち解け合うのはすぐだった。聞けば横井も晃汰や竜恩寺と同じ年齢で、特にシルビアが好きであった。元々車が好きだったが、大学生の時にバイト代を貯めて買ったのが今のシルビアである。怪我人をそっちのけで、車の話題に没頭する。竜恩寺も自ら進んで、自分の愛車遍歴や車に対する拘りを吐露する。出来る事なら今すぐ居酒屋に行って酒を酌み交わしながら、お互い話をしたくなっていた。

「なんだか楽しそうな話、してるじゃん」

 ベッドから声が聞こえるも、竜恩寺はそっちのけである。緊張した表情に戻って立ち上がろうとする横井を制し、彼は話を続ける。

「いや、少しは気にしてよ…」

 晃汰は苦笑いを浮かべる他なかった。やれやれと言った具合に肩を落とした竜恩寺は、気怠そうにベッドへと近づく。

「脳震盪だってよ。そしてこちら、シルビアの横井裕人くん」

 突然の紹介に、横井は辿々しく自己紹介をする。そして、自分の犯してしまった過ちを深々と晃汰に向けて謝罪した。案の定、晃汰は竜恩寺が言った通りのセリフを並べた。

 それからすぐに、竜恩寺と晃汰は横井を帰した。追い返したわけではなく、彼も同じく都内に自宅がある為、遅くならないうちに帰路につかせたかった為だ。勿論連絡先の交換、そして近いうちに再会する約束をしてだ。

「フロントはグッチャグチャだな、修理費用で違う車買えるんじゃねぇか?」

 パイプ椅子に逆座りをする竜恩寺は、ベッドに横たわる晃汰を見ながら背もたれ部分に腕をのせる。

「程度にもよるけどな。本当に高額になるんなら…」

 買い替えとは、軽々しく口に出したくはなかった。今までの思い出を考えると、容易く次の車に乗り換えるなど、晃汰には出来ないに決まっている。

「皆には連絡してくれた?俺のケータイ、たぶんバッグの中だからレッカー移動されちまったかも」

 ベッドから上体を起こすと、スマホを持つようなジェスチャーを竜恩寺に向ける。竜恩寺はしまったと言わんばかりに、顔をしかめて自身のスマホをポケットから取り出す。被災者の遺留品は一切合財、事故車両のトランクに押し込んでレッカー移動させてしまっていた。

「まぁいいよ、どうせ明日ぐらいには退院だし。まどかに連絡するのも明日でいいや」

「そうだな、そんなに大事故じゃなかったしな」

 竜恩寺は安心してスマホをテーブルに置き、何か飲み物でも買おうと自販機へ向かった。相手は一応怪我人であるという事を考慮し、また、それに気を遣って天然水のボタンを二回押す。だがその時、ボトルが大きな音を立てて落ちる様を目撃すると、今まで忘れかけていた何かを竜恩寺は思い出させられた。そう、ずっと心のどこかで引っかかっていた晃汰の先程の発言である。

「お前、さっき"まどか"って言った!?」

 病室の扉を開けきらないうちに、竜恩寺は全力で走って整わない息のまま晃汰に大きな声で問う。

「うん、言った。何か気に障ったか?」

 間違いなかった。竜恩寺は扉を押さえたまま、低い声で不適に笑う。奴が本当に戻ってきた。数ヶ月の眠りから戻ってきた。覚醒した。

「ギターのCコードはどうやって押さえるんだ?」

 尚も扉の開閉域上に立つ竜恩寺は続け様に、ベッドで困惑した表情を浮かべる晃汰に問う。

「え?オープンコードなら2弦の1フレットと4弦の2フレットと…」

 そこで竜恩寺は一歩前に出て扉を閉めると、右の掌を彼に向けて制した。低い笑い声が一層大きくなり、それを見ている晃汰は若干引いている。覚醒した、数ヶ月の時を経て帰ってきた。そう考えると止まる笑いも止まらない。

 面会時間が終わり、竜恩寺は最寄りの駅に向けてタクシーに揺られる。その間に、運転手に断りを入れて徳長と今野に連絡を入れた。

「確信は出来ませんが、ある程度の事は思い出していると思われます」

 スマホを持つ手と声が震え、電話越しの二人に心配されるほど竜恩寺は興奮していた。相棒が谷を脱したのだから当然ではあるが、それでも竜恩寺は躍り回りたいほどに嬉しかった。
 二人との連絡を終えると、最後に長崎の女にメッセージを送った。"明日、連絡がいくと思う"とだけ送ると、すぐに返信が返ってくる。それ以上はやりとりを続けることはなく、竜恩寺はスマホを閉じてポケットに押し込んだ。

■筆者メッセージ
覚醒しました。メタルギアXをちょっとイメージしました。
Zodiac ( 2020/06/11(木) 07:19 )