B 黄昏
十一曲目 〜Follow The Wind〜
「予約していた白石です」

 立てたスーツケースを傍に置き、何年ぶりかに宿泊者名簿を書く。住所に氏名、電話番号と紛れもない個人情報を太枠内に書き入れていく。普段から慣れていない事は、あまりにもかかった時間と質問の多さが物語っていた。きっとこの人、気付いてるんだろうな。白石は、ピッチリと分けられた前髪の女性受付をチラリと見た。ビジネススマイルとは取れないほど自然な笑顔の彼女は、手先だけを忙しなくキーボードに叩きつけている。

「確認が取れました。こちら、お部屋の鍵でございます」

 書き上がった書類のかわりに、ひとつの鍵が白石の目の前に置かれた。ディンプルシリンダー錠という種類の鍵だがそんな事を白石は知る由もなく、アイドルではなく一般人の笑顔で礼を言って受け取る。札には460号室と書かれていた。



 ホールド性の高い純正シートを倒し、仰向けの状態で晃汰はスマホを弄る。熱海に来ていることがバレぬよう、SNSには1ミリ足りとも投稿はしていない。それが逆に清々しく本人には感じられた
 二人でいる瞬間を極力無くす為、晃汰は愛車の中で息を潜めて待機していた。部屋に着き次第白石から連絡が入るはずであるがあまりにも遅く、晃汰は何度も腕時計とスマホの時計とを見比べる。そして遂にLINEが入った。

「遅くなってごめん。460号室ね、もう入ってる!」

 460・・・ 晃汰は真っ先にLEXUSを想像したが、彼は自身の頭を軽く叩いた。46だっちゅーの、晃汰は独り言を呟きながらトランクから取り出したスーツケースを転がし、460号室を目指した。
 客室までの廊下を歩くが、その豪華絢爛さに晃汰はちょっと驚いた。熱海でも有数の高級旅館だが、その名に恥じぬつくりは正にラグジュアリーの象徴であった。86で来るような所じゃないなと、晃汰は頭の中で自嘲した。

 晃汰がインターホンを鳴らすと、間髪入れずに乃木坂のエースがお出迎えをする。

「違う輩だったらどうすんのよ」

 その早さに、晃汰は苦笑いを浮かべる。

「ずっと覗き穴から見てたもん!」

 頬をパンパンに膨らませ、白石は抗議した。やれやれと肩を落とした晃汰は、スーツケースの荷物もバラさずにベッドへ飛び込んだ。いくら大好きな運転とは言え、一定速度の長時間運転は何処か楽しさに欠けている。それ故に、晃汰の身体にも疲労が溜まっていた。

「疲れたでしょ、マッサージしてあげるよ」

 そう言って白石は晃汰が転がるベッドに歩を進めるが、すぐさま晃汰は飛び起きて荷物を崩し始めた。ただでさえ国民的アイドルと二人きりなのにボディタッチなんてされてしまえば・・・晃汰は一抹の不安を感じての事だった。

 少数の客室には、全ての部屋に露天風呂がついていた。先に湯船に使ったのは晃汰だった。当初彼は遠慮したが、長距離の運転に感謝しての白石の計らいだった。礼を言い、晃汰は一人温泉に浸かった。
 熱海で最も成分が濃いと謳われているだけあって、晃汰は身体から疲労が抜けていくのを素人目線ながら感じていた。目の前には太平洋が広がり、この世界には自分一人だけという錯覚にさえ陥らせてしまうほど、極上な瞬間だった。
 
「出たよ〜!」

 予め用意していた浴衣に着替えた晃汰は、大きな声を出しながら室内に入った。

「それ、美彩だから」

 すかさず笑いながらツッコミを入れた白石は、晃汰と同じ浴衣を持って露天風呂へ続く戸に手をかけた。その白石とすれ違いざま、チラリと見えた紫の下着に晃汰の心臓が跳ねた。それに気づくはずもなく、白石は鼻歌混じりで掛け湯をすると、湯船に体を沈めた。

 いつも仕事で使っているiPadで布袋寅泰の動画を何本も見終えた頃、戸の転がる音が晃汰の耳に入った。髪を湿らせて浴衣を纏った白石が、湯気を立たせながら露天風呂から出てきた。長かかったな、晃汰は自身の入浴時間と倍近くかかった白石のバスタイムに吐き捨てた。それだけ彼女が久しぶりの温泉を堪能した事は、いつにも増して上機嫌な彼女の頬が物語っていた。

「一杯やろない?」

 備え付けの棚を覗き、白石は日本酒の小瓶を取り出した。ベッドで大の字に寝転がる晃汰は上体だけを起こして彼女を見た。

「いいね、やろっか」

 すぐに起き上がると晃汰は、白石が持っていた瓶とお猪口を受け取った。

「どうせなら・・・」

 晃汰はバルコニーに置かれた二脚のウッドチェアに目をやる。彼の言わんとしている事が、白石にはピンときた。両手が塞がっている晃汰の代わりにガラス戸を開け、白石は椅子に座ってお猪口を受け取った。控え目に注がれた日本酒を、二人は同じタイミングで飲み干した。

「最近、日本酒好きなんだよね。東京ドームの前の日に晃汰と皆で飲み行ったじゃん?あのメンバーで前はよく日本酒飲み行ってたのよ」

 酒が入ったせいか、白石はまだ赤石さんにはなってはいないものの、饒舌だ。対する晃汰も、久しぶりに飲む日本酒の甘さを堪能する。二人は同じ海に面して座る。温泉で火照った身体に潮風が心地よく吹き抜け、尽きない話題に酒も進む。そして話は自然と、お互いの今後へと発展していく。

「いつこの記憶が元に戻るか分からないし、戻らないかもしれないけど、何らかの形で乃木坂には携わっていきたいんだよね。そうでないと、AKB飛び出した意味もなくなっちゃうしね…」

 お猪口をとっくに片した晃汰は、身体を椅子に委ねて太平洋を眺めた。断片的な記憶の中、盟友とともに辞表を叩きつけた景色が昨日のように思い浮かんでくる。あの時の決心は、今でも晃汰は正解や不正解で判断できていない。何を持ってして最善で何が最悪なのか未だに彼の中では整理できてはいないが、復帰した瞬間のメンバーの涙を目の当たりにして、少なくともBetterに近い判断だったのではないかと自己回想した。

「あの時、晃汰が戻ってきてくれて本当に嬉しかった。正直、みんなやる気なくなってたの…そこまで私たちは、精神的な部分まで求めちゃってたんだね」

 白石も同様に過去を懐かしんだ。歳が近いスタッフが入ってくることはザラにあったが、歳下で且つDeepにメンバーと関わる人物は晃汰が初めてだった。そして、乃木坂に不用意に近寄ってくる外様の男連中からするニオイを纏っていないのも、晃汰が初めてだった。乃木坂に加入した当初は"さくらんぼ"だったからか、彼は全くそういった眼をしなかった。そしてそれは過去に何度か、同じ屋根の下で夜を明かしても、男にならなかった事へと繋がる。晃汰は徹底的に、乃木坂と良い意味でのビジネスパートナーになろうと心がけていたのだ。それ故、メンバー達は晃汰と二人きりでの仕事でも嫌な顔はせず、むしろその時間を望み、そして楽しんだ。それは今の白石にも言えることだった。

「恥ずかしいよね、なんかサ…メンバーからどう思われてるのか気にはしないけど、いざそうやって言われると、気恥ずかしいものはあるよね」

 照れ笑いから来る口元の笑みを隠しきれず、晃汰は素直に白石の言葉を受け入れた。

「玲香も言ってたけど、晃汰が戻ってきてくれたから卒業できるのは、私も同じなんだよね。勿論、真夏にもキャプテンとして引っ張って貰いたいって気持ちはあるけど、それ以上に土台がしっかりしてないとさ…」

 白石の脳裏に、凛とした桜井の横顔が浮かんできた。彼女が卒業を決意した時、エースとキャプテンという立場から何度も二人っきりで話し合いを重ねた夜を思い出す。それよりも少し前に自身の卒業を考え始めていた白石は、自分の引き際を先延ばしにしてキャプテンを見送ることにした。人気な一期生が続々と去っていく中、言わば主将と四番投手がいなくなってしまえばどうなるか、学生時代にソフトボールを経験している白石には容易に想像ができた。

「けど、やっぱり俺は"乃木坂の"麻衣ちゃんを見てたいな。確かに、麻衣ちゃんが麻衣ちゃんの為に、今まで乃木坂でしかできなかった事をやってきたように、これから独りでやって行こうって気持ちはわかる…」

 その後晃汰は語尾を濁して、半ば不完全燃焼のような形で会話を終わらせた。1987年のクリスマスイブ、ヒムロックはこんな心境に陥っていただろう、晃汰は何度も涙を拭う氷室の映像を思い返した。何故彼らが解散したのか、そして何故白石を含む卒業生達が乃木坂を去っていくのか。晃汰には理解ができなかった。ただ共通して言えることは、絶対に解散や卒業をしなくてはいけない理由があるということだった。それは本人達の奥底、決して口外などしない内容だろうと晃汰は諦めていた。そしてもう一つとして共通することは、独りになってからはどれだけ売れたとしても、過去の栄華を超えることはできないと言うこと。晃汰は足繁く氷室(2016年に卒業)や布袋のライヴへと足を運んだ。そして乃木坂のOG達を、画面越しに見ていた。それでもBOOWY、そして乃木坂にいた頃の時代とは程遠い、何か違った感覚が毎回のように晃汰を襲った。勿論、その後の活躍は目覚ましいものであり、決して昔より劣っているという訳ではなかった。それでも、晃汰はいつだって四人のシルエット、そして乃木坂時代の後ろ姿を脳内再生してしまう。

「けど、麻衣ちゃんが決めたならそれを貫き通してほしい。俺はその背中を押すまでだから」

 晃汰の眼に迷いはなかった。こちらを向いてくる彼の顔はどこか清々しく、自分の決断をきっと後押ししてくれると白石は直感した。その反面、晃汰の笑顔が後ろ髪を引いたのも事実だった。

 「あと少し、仲良くしてね」

 不安を腹の奥底に沈め、白石はとびっきりの微笑みで晃汰の眼を見た。その時、潮風が二人に吹き抜けた。白石には追い風、そして晃汰には向かい風だった。

■筆者メッセージ
皆さま、コロナの影響は如何ですか。偉大なエンターテイナーも亡くなってしまいましたね…さて、最近i phoneのメモで小説を書くようにしてます。けっこう楽で、少しの時間で加筆できるので便利です。そして長文にしたせいかな?拍手を多くつけていただいてありがとうございます。多作への構想も疎ではありますが、練っています。乃木坂解散後と、あとは僕の趣味的なやつ(ガンアクションとか好きなので、そういうの)。
Zodiac ( 2020/04/13(月) 18:52 )