甘い言葉に乗ることのない
掛橋と面会して以降も晃汰と竜恩寺は精力的に且つ、水面下で全メンバーと面談を行なって聞き取りをした。そのどれを切り取っても真っ黒であり、彼ら二人にキャプテンである梅澤は乃木坂フロントに意見書を提出した。その内容は今までの事実を列記したものと、SHINGO氏の即時解任を求めたものだった。
事態を重く見た乃木坂フロントは今野を含む首脳陣を会議室に集め、三人の意見に耳を傾けた。
「全メンバーを対象に聞き取りを行った結果、全員がSHINGO氏の悪事を受けたり、目撃したり聞いたりしたりと答えています。これは、日常的にパワハラが繰り返されていた事を裏付けることであり、これ以上彼を僕らの同僚に近づけたくはありません」
文書を指先で叩きながら晃汰は力強く説く。その隣では腕を組んでふんぞり返って椅子にもたれる竜恩寺と、力強く握りしめた拳を膝に置く梅澤の姿がある。
「我々は、シンゴ氏の即時契約解除を求めます」
一旦落ち着いて座った晃汰に変わるように、やはりふんぞり返ったまま竜恩寺が口を開く。
何秒か何分か沈黙していたが、正確な時間が頭脳計測ではわからないくらい三人は昂っていた。
「即時解除は、できない」
やっと言葉を発したのは今野だったが、晃汰は舌打ちをした。
「契約書に載ってない、からですね?」
竜恩寺が落ち着いた様子で問う。
「その通りだ、ただ…」
乾いた口をブラックコーヒーで潤した今野は続ける。
「今契約を以て、彼への更なる依頼は絶対に行わない。口頭での厳重注意も行う。…それくらいしか出来ない、申し訳ない」
席に座ったままではあるが、今野は三人に向けて深々と頭を下げた。それが吉と出るか凶と出るかは分からなかったが、一番の落とし所であった運営側へ事実を認めさせる事に成功し、三人はとりあえずの安堵をした。
口約束となるのが両者にとって一番悪手であったから、どちらからともなく同じ文言が書かれた紙に代表がサインをした。運営側からは今野が、メンバー側として梅澤が代表して2枚に署名をした。
「コトが終わるまで、大事にとっておけ。これが証跡【Evidence】になる」
代表同士の握手を交わして会議室を出た直後、晃汰は隣を歩く梅澤を見る。
「わかりました、家に大切にしまっておきます」
ブランドの鞄に入れた書類を、彼女はしっかりと抱き込んだ。
その足で3人は晃汰のマシンに乗り込み、掛橋の元へ向かった。どちらかと言えば良い報告をする為だ。
「これでシンゴさんが大人しくなってくれると良いんですけどね…」
長い手足を折りたたんで後部座席に座る梅澤は、少しの安堵のため息を吐く。
「いや、変わらないでしょ」
ナビシートに身を埋める竜恩寺がケッと吐き捨てる。
「うん、変わらねぇよ。本当の戦いはここからだぜ」
やらなくても良いのにダブルクラッチをキメる晃汰も、竜恩寺の意見に同調する。
「そう…ですよね…」
事が終焉を迎えると踏んでいた梅澤は、自身の浅はかさを責めた。私がもっとちゃんとしていればと、膝にのせた拳をさらに強く握りしめる。
「とにかく、この件は俺たちが預かる。飛鳥の卒業ライヴだしキャプテンなんだし、ソッチの方に集中してくれ」
◇
例によってトレーニングルームのガラスに、口の開け閉めを交互に行う掛橋の姿が映る。今回だけは事前になんの連絡もしていなかったから、3人に気づくや否や彼女は驚いた顔をした。
「梅澤さんまで来ていただいて、ありがとうございます」
晃汰と竜恩寺を前にした時とは打って変わって、掛橋は序盤から恐縮しっぱなしである。
「可愛い後輩の為だもん。私こそ、なかなか来れなくてゴメンね?」
申し訳なさそうに手を合わせる梅澤ではあるが、掛橋への見舞いはKKコンビや同期生達に次いで多い。キャプテンという立場がなくとも人一倍責任感が強い彼女は、同僚を見舞うことなど当たり前のことだと考えている。
「で、掛橋。今日の本題なんだけど、シンゴ氏が解任されて、二度と俺たちに関与させないことを運営側と握ってきた。これで、パワハラに怯えなくていいんだ」
晃汰のその言葉を聞いた瞬間、掛橋は今までにないくらいの晴れやかな笑顔を3人に見せた。この笑顔をファンに届けてやれないのが悔しいとさえ、彼らは思った。
「久しぶりに、みんなで写真撮りましょうよ」
梅澤が選んだシュークリームを平らげてさあ帰ろうとした時、見送るはずの掛橋が3人に割って入った。
「久しぶりに良いね」
梅澤が笑顔で返事をすると、両隣の2人も頷く。
腕が長いという理由でカメラ係に任命された梅澤は、その長い腕を発揮してスマホを指で挟んだ。
「久しぶりです、皆と写真撮るなんて…」
撮影後の掛橋の何気ない一言が、3人の胸を締め付けた。
「もう少しすりゃ、嫌って言うほどまた写真撮れるようになるサ。焦らずにしっかり治せよ」
晃汰の慰めに、掛橋は自然な笑顔を3人に見せた。この様子だと復帰も早そうだ、近くにまた来る事を約束して、梅澤と家来達は掛橋に背中を向けた。