夢の塊だけを抱きしめたまま
何度もこの業界には世話になっていると言うのに、二重に封鎖された自動ドアを突破して香るエタノールの臭いは嫌なものがある。そんな中、晃汰は顔を顰めながらもリハビリ棟を目指して歩く。
リハビリ棟に着くと受付を済ませ、トレーニングルームの一室に向けて歩く。所謂最期を待つ患者ではなく、これからを生きる患者の為の施設が故に、至る所から活気ある声が漏れ出る。晃汰は更に歩を進め、患者名に「掛橋」と書かれた部屋へと入った。
部屋に入ると、大きく口を開け閉めして平仮名の発音をトレーナーと繰り返す掛橋の姿があった。あの事故以来、晃汰は月に何度もこうして彼女を見舞いに来ていた。時には竜恩寺と、時にはメンバーと共に。
ただ、今回ばかりは明るい話題だけを持ってくる事はできなかった。
「お久しぶりです、晃汰さん!」
リハビリがひと段落した所で、トレーナーは気を使って長めの休憩を設定した。申し訳ないなと思いつつも晃汰は礼を言って、掛橋が待つテーブルにつく。
「久しぶりって言ったって、先々週も来たじゃねえかよ」
土産のケーキを渡しながら晃汰は鼻で笑う。
「いえ、私の中じゃお久しぶりです!」
ヘラヘラとしながらも、キチンと礼を言ってケーキを受け取る。何も変わってないなと晃汰は掛橋を見た。
珈琲とケーキでちょっとしたティータイムを過ごすが、イマイチ晃汰はショートケーキの味をしっかりと味わうことはできない。これから掛橋に話さなければならない事を考えると、どうしても堪能なんてできなかった。
「何か考えてる顔ですね」
ケーキを半分ほど食べ終えた掛橋が、フォークをお皿の淵にかけた。
「そんな風に見えるか?」
晃汰は眼だけを彼女に向ける。
「見えます、すぐ表情に出ますから」
ポーカーフェイスを自称しているが、どのメンバーにもその効果は薄い。珈琲を一口啜ると、咳払いを一つして晃汰は掛橋の眼を見た。
「前まで乃木坂のライヴで演出やってた先生、覚えてるか?その人のこと、教えて欲しいんだ」
掛橋の笑顔が消えるのを、晃汰はしっかりと眼に焼き付けた。コイツは真っ黒で乃木坂が壊れてしまう、まだ掛橋が一言も話してはいないが晃汰はそう確信した。
「…イヤな人です。言葉の暴力です、先生のせいでライヴが嫌いになるかもしれませんでした」
「やっぱりな…」
面会時間をいっぱいに使って、掛橋からかなり有力な情報を聞くことができた。リハビリを受ける者に更に無理強いをさせるのには気が引けたが、彼女の強い思いが晃汰をそうさせた。
帰り際、晃汰は掛橋の手を強く握りしめた。
「焦る必要はない、お前さんの席はいつでもある。ただ、なるべく早く、ステージで輝くお前さんを見たいんだ」
その手を強く、強く握り返すのが掛橋の答えだった。ニヤリと笑うと彼女の頭を撫でて、晃汰は病棟を後にした。