絶望の翼
「晃汰さんと京介さんに誘ってもらえるなんて、光栄やわぁ」
意外にも生ビールを舐めながら、早川は眼を細める。それに対し、囲む二人は浮かない顔をしている。
「…何かあった顔ですね」
尚も早川は涼しい顔でビールを飲み進める。
「次のライヴで演出家が復帰するんだけど、それがSHINGOさんなんだ」
晃汰の言葉で、文字通りに時が止まった。顔色こそ変えないが早川の手が震え始め、それを竜恩寺がそっと握った。
「DOUBT【ダウト】か…」
演出家の悪名を賀喜から聞き出していた二人は、思い切って一番の被害者である早川に探りを入れてみた。どんな過去も受け止める覚悟はできていた二人だったが、彼女から漏れ出る苦悩は凡そ計り知れないものだった。
「物理的な暴力はありませんが、言葉の暴力は日常的です…」
やっとの思いで絞り出した早川の言葉に、晃汰と竜恩寺はゾッとした。まるで元号を遡ったかのような感覚に陥り、それをか弱き乙女たちが必死に受け止めていたと考えると、晃汰も竜恩寺も気が気でなくなった。
「…それで、運営の人達に告発しなかったのか!?」
怒りに震える手を握りしめながら、竜恩寺が早川に問う。
「言いました、何度も…それでも、先生はやっぱり変わらなくて。先生に注意したのかさえも、今じゃ分からないですね」
取り繕った顔でヘラヘラと答える早川を見て、晃汰は頭を抱えた。同僚が闇を抱えていたなんて、信じたくなかった。
3人は乾杯のドリンクとワンフードだけで店を出ると、2台のマシンをかっ飛ばしてマンションへと戻った。そして、既に帰って来て寛いでいる連中をお構いなしに、片っ端から晃汰の部屋に召集をかけた。
「集まってもらったのは他でもない」
部屋に充満する重たい空気と、それを裏付ける晃汰の暗い顔。内容こそわからないが、良い話でない事は集められた全員が察していた。
「飛鳥の卒業ライヴに、前までいた演出家の先生が復帰する事が決まった」
まさか、と言った面々の表情を見る限り、日常的に惨劇【ソレ】が繰り広げられていたのだろうと、晃汰も竜恩寺も感じ取った。
「真っ黒だな」
聞き取りを終えて連中を帰した部屋で、竜恩寺に晃汰が吐き捨てた。
「平成終わって令和だぞ、時代錯誤もいい所だ」
竜恩寺も頷き、淹れてもらった珈琲を啜る。
今夜彼女達から聞き取ったものは、演出家・シンゴ【SHINGO】の悪事を曝け出したものだった。証拠に残らない言葉の暴力、早川をあそこまで追いやったやり口をである。
「こんな事許されねぇよ」
竜恩寺が語気を強めた。
「当たり前だ。俺らの同僚が苦しむ所なんて、見たくねぇ」
飲み干したマグカップをテーブルに置いた晃汰は、壁時計を見る。もう既に日付はとっくに変わっていた。