六曲目 〜入室拒否〜
起き上がらせたベッドに身を委ね、晃汰は心静かに読書を楽しむ。病室の外には相変わらずの太陽が睨みを利かせ、残暑もなんのそのといった具合に街中を焦がしている。お気に入りの著、東野圭吾によるガリレオシリーズは、もう晃汰が小学生の頃から愛読しているものだった。自身の部屋に置かれてあったものを、竜恩寺に頼んで持ってきてもらったのだ。
しかしいくら読書に没頭しても、一日の殆どをベッドの上で過ごすにはあまりにも退屈が過ぎている。運動はおろか歩くことさえも痛みが伴う身体を要して、どうやってこの地獄のような一日を過ごせというのか。晃汰はいつだってそんな愚痴を、毎日見舞いに来る竜恩寺に尾崎豊のような台詞を投げつける。そんな晃汰の愚痴を、竜恩寺は決まって頷きながら耳を傾けるのであった。
章を読み終え、晃汰は一度本を閉じた。そして恐る恐る背伸びをしてあくびを一つ。まだ胸に痛みは残るが、主治医の話によれば予想よりも早く骨がくっつき始めているのだとか。当たり前だろ、と晃汰は頭の中だけでツバを吐いたが、実際は治癒の状況が気がかりだった。自身にとって初めての大怪我ということもあり、彼なりにかなり気を使っていた。
そんな怪我人に、またもや見舞客が訪れた。
「そんなに大人しい晃汰さんなんて、初めてかもしれないです」
乃木坂一の長身女は、ルンルン気分で持ってきた花を花瓶にいける。
「元々大人しいわい」
そんな彼女の後ろ姿に、晃汰は苦笑いを返す。
第二弾の見舞客は梅澤であった。アポ無しで病院を訪れたが、前もって竜恩寺に部屋番号を聞いていたおかげですんありと病室までたどり着いた。予想よりも晃汰が元気な上に、他の見舞客も今時点ではいないという事も手伝って、梅澤は上機嫌である。
「今日はもうお仕事がないので、面会時間ギリギリまでいますね」
梅澤の言葉に、晃汰は時計を見ずに粗方の時間を計算することができた。それは何より、少し前に食べた昼食によって膨れているお腹が物語っているからだ。
「どう?乃木坂の連中は。さぞかし俺がいなくてのびのびとやってんだろ」
「その逆です。みんな消沈しきってますよ」
梅澤はガックリと肩を落とした。
「やっぱりな。こんなとこで寝てる場合じゃないんだよな」
そう言って立ち上がろうとする晃汰だが、痛みに顔をしかめる。
「だから、焦らずに早く治してください」
「梅、お前さん自分が矛盾してることご存知?」
「はい、百も承知です」
「だめだこりゃ」
晃汰は苦笑いをして仰向けになった。
「なあ、梅?」
天井を拝んだまま、晃汰は梅澤に話しかける。
「知ってると思うけど俺、記憶飛んでるのよ。ギターのコードと、あと、俺と付き合ってたっていう女の子のことさ・・・ずっと記憶戻んないままなのなか・・・」
まさか晃汰の口から弱音が出るとは思わず、梅澤は驚いた様子で晃汰の横顔を見る。
「もしその付き合ってたのが私だったら、どうします?」
あまりにも驚いた梅澤は、正常な思考回路で物事を考えられない。
「それもありかもな。俺、割と梅の事、嫌いじゃないぜ」
何が引き金だったのか、晃汰にはわからなかった。まさか自身の両脚を跨ぐようにして梅澤がベッドに上がり、そして急所の胸に泣きついてこようとは。
「ずっと不安だったんです、晃汰さんが死んじゃったらどうしようって。無事って聞いてホッとしたんですけど、記憶が一部だけ忘れちゃってるって聞いてどうしようって思って・・・」
わんわん泣く梅澤の後頭部に、晃汰はそっと手を置く。
「だから今日も来るのが怖くて・・・もし私のこと忘れちゃってたらどうしようって・・・」
「大丈夫だよ、梅がジュピターやったのも、高校の時にヤンキーだったのもちゃんと覚えてるよ」
「あ?」
晃汰はこの時、豹変という言葉を身をもって体感した。
梅澤はそれ以来すっかり落ち着き、再び穏やかな表情を晃汰に見せる。そんな長身の同世代の美女が自身の下半身を跨ぐものだから、晃汰は気が気ではない。
「あのさ、梅?そろそろ下りてくんない?」
厚い掛け布団のおかげで誤魔化せてはいるが、長引く入院生活にWi-Fiが使えないという事もあり、晃汰は鬱憤をため込んでいた。
「嫌です。」
梅澤は食い気味に答える。
「あのね、まず俺男ね?でね、男って彼女にこうやって跨がられると興奮するのね?もうそろそろ分かってくれな?」
そこまで聞くと、梅澤は顔を真っ赤にしてそそくさとベッドから下りて丸椅子に座った。
「なんだよそのウブな反応は。“まだ”なんです何て言っても信じないからな」
すっかりシワクチャになった布団を伸ばしながら、晃汰は俯く梅澤を見る。
「いや、“まだ”ではないですけど、晃汰さんが良い意味でそういう事言うとは思いませんでした」
まだ顔の火照りは収まらない梅澤である。
「元は俺と君は一個しか違わないんだからね。そういう話は嫌いじゃないだろ?」
晃汰の質問に、梅澤は何とも言えない笑顔でうなずく。
その後、どちらともなくそれぞの時間を過ごす。晃汰は読書をしながらベッドで寝落ちをし、梅澤は一生懸命にブログを書く。晃汰お手製の入室禁止カードのおかげで、梅澤以降の入室者はなかった。それが要因なのか晃汰が昼寝から目覚めた時、指を絡めて自身に突っ伏して眠る梅澤の姿があった。晃汰は口元に笑みを浮かべると、長くて綺麗な梅澤の髪を撫でた。その感覚が、遠い昔に感じたような指先の触り心地だったが、今の晃汰にはそれがなんなのか思い出すことはできなかった。