五曲目 〜面会〜
晃汰が目覚めて数日が経った。相変わらず彼の記憶は一部が綺麗に飛んでおり、ギターをどうやって弾いていたのか、そして森保まどかという最愛の女性の存在をも消し去ってしまっている。こればかりは現代の技術を持ってしても治癒させることができず、時間が解決してくれることを祈るばかりであった。そして森保はと言うと、晃汰を混乱させてはいけないと気遣って連絡を一時絶ったのだった。
手足は自由に動かせるが移動には不便を要する為、晃汰は一日の殆どをベッドの上で過ごす。自力で起き上がるにも痛みが胸を襲う為、電動ベッドを操作して背中部分を起き上がらせる。そんな健全な怪我人生活を送っているものだから、当然退屈の極みである。
「なんか面白いことねえかな」
窓の外を睨みつけるようにして晃汰が呟いている頃、彼の診断書を持って竜恩寺は乃木坂46の幹部会に出席していた。
「現段階で記憶が消失しているのはギターのコード類、そして恋人のことです」
両手で数えられる程の幹部の前で、竜恩寺は淡々と診断を要約して話す。今野や徳長を始めとする幹部たちは、眉間にシワを寄せて難しい表情である。
「当分は怪我の治療の為、入院生活を送ります。そしてその後はリハビリと、数ヶ月は業務に復帰できないと思います。ですが復帰後ですが、ハッキリ言ってまた曲を作ったりギターを弾いたりは、期待できないでしょう」
遠くを見据えるような眼の竜恩寺は、言いたい事を全て言い放って席についた。用意していた珈琲を口に含む間、竜恩寺は自分を取り囲むように座る幹部たちの顔色を見渡した。腕を組む者、親指で目頭を押さえる者、組んだ手を見つめる者と反応は様々だった。だがその連中に共通しているのは、晃汰の“代替え品”などいないと言う事だった。
「ギターとか曲なんてどうだっていい。俺らはアイツが必要なんだ。アイツは危険を冒してまで乃木坂(こっち)に帰ってきてくれた。今度は、俺らがアイツを助けてやる番だな」
脚と腕を組んで背もたれに寄りかかっていた今野が、力強く眼を見開く。お前は独りなんかじゃないぞ、そんな言葉が今野から聞こえてくるようだと竜恩寺は感じる。隣の徳長も何度も頷き、そして立ち上がった。
「当面、メディアには晃汰のことは公表しません。ですがメンバーには、僕から伝えます。記憶の事も・・・」
今野は驚いた様子で徳長を見上げた。その辛い役割は本来は今野の役目だったが、後輩がもがき苦しんでいる様子を想像した徳長は思いつきで立ち上がったのだ。そして会議が終わった直後に、全メンバーに向けて徳長から悪い知らせが通達された。
「幸い、皆さんに関しての記憶は大丈夫のようです。また、病人ではないので面会も可能ですが、常識の範疇でお願いします」
メンバーに伝える頃にはすっかり一線を引いて冷静になった徳長は、いつものように淡々と連絡事項を周知した。絶句するメンバー達を横目に、たった今目の前で起きている事を竜恩寺は病室の晃汰に言葉で連絡した。
「さて、誰が一発目に顔見に来るかな・・・?」
ロック画面に表示されたメッセージを眺め、晃汰は大きく伸びた。退屈な入院生活に風穴を空けてくれる連中を探していた晃汰には好都合だった。
その日の午後、早速病室に来客があった。
「へぇ〜、豪華に一人部屋なんや。リッチやなぁ」
「こんな広いんだったら、まナースの衣装持ってくるんだった」
「真夏、それ誰も喜ばないよ」
「マルちゃん元気出して!ポジティブ!!」
「これ、私が使ってるのと同じタンブラーね」
静寂とはどういったものだったか、晃汰は一瞬にしてやかましくなった病室を見渡した。持ってきたお菓子にありつく生田と松村を皮切りに、ナース服に憧れる秋元と妙な励まし方をしてくる高山、そしていつでも水を飲んでいる新内に晃汰は何かを悟ったような眼を向ける。
「ここは日頃の疲れをぶちまける場所じゃないんですけども・・・」
自身を囲むようにして座る五人の顔を見渡し、晃汰は苦笑いを浮かべる。それもそのはずで、声量こそ病室内に適しているが、彼女らが話す内容はおよそ外部に漏れてはいけないものだった。仕事の愚痴やプライベートの愚痴、そして晃汰を前にしても運営に対する愚痴は止めどなく溢れる。
「なんでまちゅの第二弾の写真集の話がないん!?おかしいんちゃう!?」
「そんなこと言ったら、生ちゃん以外みんな第二弾出してないけど」
「ふふ〜ん、私はバカ売れしましたも〜ん」
「私の年齢を重ねた美貌が負けるなんて・・・」
「あ〜まいちゅん、ポジティブ!」
男性スタッフの前でも堂々と写真集の話をしてしまうあたり、晃汰はメンバーの中でも特別な存在になっているのは言うまでもないであろう。そんな当の本人も彼女らの会話を熱心に聞き入れる。
「え〜、でも同僚をやらしい目で見たくなんですよねぇ・・・だから写真集も買ってないんですよ。ほらやっぱ俺も男子なんで、意識しちゃうとこ意識しちゃうじゃないですか」
ドエロい写真集を出した五人を前に、晃汰は持論を展開する。それは彼が日常的に行なっていることとリンクした。48時代に森保に手を出した事はさておき、晃汰はメンバーとの距離感を大切にしている。少々行きすぎた瞬間は多々あるものの、肉体関係になることなど皆無だった。その行為は晃汰に対するメンバーの信頼を更に高めるものだった。だから写真集の撮影に、こぞって彼女達は晃汰を同行させた。気心知れ、そして胸の内も明かせる異性はアイドルをやっていく上で欠かせない存在だった。だから今だってスタッフの入院だと言うのに、一期生(?)の面々が先陣を切って晃汰の病室に乗り込んできたのだ。
散々お菓子を食べ、散々話し尽くした五人は面会時間の終了とともに病室を後にした。いつもの静寂に戻った空間に一人の晃汰は、なんとも言えぬ孤独感に襲われた。
「やっぱり、所々忘れちゃってたね・・・」
病院からの帰り道、芸能人の五人にとったら最寄り駅までタクシーに乗る事など容易だった。だがあえて彼女達は、誰が言うでもなく残暑が残る夕暮れを歩く事にした。
「忘れてる部分に関係する事は、頭から無くなっちゃってるみたいだったね」
病室では五人の中で一番元気だった高山が、今は最も元気がない。そんな彼女に秋元が同調する。
「彼女さんのことも禁句やけど、どれだけ伏線張っても応えないってことはホンマに忘れてしまっとるんやろな・・・」
松村も肩を落とす。
「こればっかりは、私たちがどうこうできる訳じゃないしね」
新内は溜め息を吐く。
「けど、もう晃汰以外のギターなんて考えられないよね」
五人の、メンバーの共通項を捉えた生田に、四人の後ろ姿は一層弱々しくなってしまった。他のメンバーにはどうやって彼の状態を説明したら良いのだろうか、五人は被疑者不明の難事件に直面するよりも深刻な、同僚の健康状態を案じては溜め息を吐くばかりだった。