アマンド
「アンプはどれ使う?メサとJCのミックス?」
ステージに上がると、定位置である下手(しもて)側に晃汰自前の機材が組み上げられている。その近くで竜恩寺が手招くから、晃汰は彼に近づく。
「そだね、ミックスにしよう。ラスギグ(LAST GIGS)の音にしたいからね」
愛してやまないギターサウンドに近づける為、アンプの複数台使いも厭わない。BOØWYサウンドの中でも特に文献の少ないLAST GIGSは、映像の中で垣間見える瞬間やネットの情報を頼りにする他ない。晃汰もそうして“似ている“サウンドを作り上げてはいるが、まだ満足が入ってはいない。
組み付けが完了したシステムから音を出すと、やはり“似ている“音が空間に充満する。1988年の東京ドームと遜色ないサウンドがステージを支配するがこれでも尚、晃汰はそれ以上を望んでいる。
「じゃあ、通してみようか」
バンドリーダーである晃汰が右手を上げると、カウントが始まってピタリと楽器の音色が重なる。この瞬間に気を遣うミュージシャンも少なくはない。
「どうよ調子は?」
楽器隊のみでセットリスト全曲のリハーサルを終え、センターを基準にして反対側の上手(かみて)にいる新田に、晃汰は近づきながら声をかけた。
「まあまあですね」
ギターをスタンドにかけ、今日はメガネを外したコンタクト姿の新田は口元を緩める。
「普通が一番だな」
彼の肩を叩いて、親指をクイっと立てた。コーヒーでも飲もうという晃汰の意思を読み取り、新田は快く返事をして彼の背中を追った。
◇
いつものGIGやツアーはシンプルにギター、ベース、ドラムスにキーボードを一人追加した四人で演奏している。それが今回、晃汰にとっては初となるギター二人体制を敷いた。
46時間テレビの話を貰った当初、晃汰はいつもの通りに楽器隊は四人編成で敢行しようと考えていた。だが、そのプログラムの中に彼が思いもよらないコーナーが用意されていた。その内容を加味すると、どうしてもギター1本だけでは補えない部分が出てくる。
それからと言うもの、晃汰は悩んだ。キーボードはいるもののコード楽器はギタリスト一人のみで、そのコード貧乏さをエフェクターやプレイで補うのが彼の美学だった。それはBOØWY時代の布袋がそうだったように、彼もそのスタイルに狂酔しきっていた。それを覆すような一つの分岐点に立たされた。
それでも晃汰はとりあえず、今回だけはと試験的なメンバリング(人選的な)を試みた。それからすぐ、齋藤の同窓会ですっかり仲良くなってしまった、ブランクのある新田に連絡を取ったのは数ヶ月前の話だ。
「一時的なものか継続的なものかは、約束できない。ただ、今回だけは一緒に演ってくれないか?」
六本木のアマンドで開口一番、電話では真相を話さなかった晃汰が真剣な眼を新田に向けた。
「俺がですか!?」
新田は当初、驚きを隠せなかった。一度は共にプレイしてみたいと思っていた。そんな相手からオファーが来るとは思っていなかったし、電波を介して世界に音を響かせられるレベルでは無いことも痛感している。
「…一度、持ち帰っていいですか?」
頼んだミルクティーはまだ、持って来られた時と同じ量がカップに入っている。
「うん、いいよ。答えがどっちになっても、俺とお前の関係が崩れることはない」
晃汰はグイッとカフェオレを飲み干すと、紙ナプキンで口元を拭った。
「本当!?ずっと前から『アノ人とギター弾いてみたい』って言ってたじゃん!こんなチャンス、ないよ?」
晃汰と別れた竜介は真っ直ぐ家に帰り、妻である明梨に先ほどの出来事を包み隠さず話した。自分の本音だけを除いては。
「そりゃあそうだけど…」
竜介は言葉を濁したまま、ソファに座って大きなため息を吐いた。
正直なところ、彼は今すぐにでも返事を出してしまいたいほどに嬉しかった。憧れていたギタリストと同じステージに立つ事が、どれほどギターをやっている人間にとって名誉なことか。
少なくとも、純粋な高校生の頃ならそうしていただろう。だが今の彼には、背負いきれないほどの責任が両肩にのし掛かっている。
身重な妻を残してリハーサルに出かけられるのか、会社は出演を許してくれるのか。数えきれない疑問が竜介を襲い、YESとNOの間を永遠に彷徨わせる。
「もしかして私のこと?」
温かいミルクティーを置いた明梨が、心配そうな表情で竜介の顔を覗き込む。
「そんなんじゃないよ」
苦笑いを浮かべたが、半分は当たっていた。
「顔に書いてあるよ。隠しても無駄だよ」
明梨は夫の頬を人差し指で突く。
「やってみなさいよ。何か新しい自分が見つかるかもよ?」
自分の意思は無いのかと問われてしまうと厳しいところはあったが、妻の言葉で決心した竜介は早速次の日、上司に話を通してしまった。そして晃汰にも連絡を入れ、次の週末に再び会う約束をした。
「これ、全部のスコア(楽譜)ね。あと、スタジオ入ってのリハーサルは、お前さんの予定に合わせるから」
二度目のアマンド、前回と今回の二人の表情は違っていた。朗らかな晃汰に覚悟を決めた眼の竜介。一時的なものでもなんでもいい、この瞬間が竜介にとっては大きな意味をもっていた。
「ここはこんな感じで…」
「いや、こっちの方がカッコいいですよ…」
リハーサルを重ねる毎に、竜介は晃汰に対して意見するようになった。それは決して不快なものではなく、バンドが良い形に近づく近道を示したものであった。コイツを入れて正解だった、晃汰は彼に意見される度にそう感じていた。
◇
珈琲タイムを終えてステージに二人が戻ると、メンバー達が全体リハーサルに備えてストレッチや軽い運動をしていた。
「気合入ってんね」
そんなメンバー達の間を、二人はすり抜ける。
「アイドルのライヴなんて初めてだから…」
律儀にも竜介は、すれ違うメンバー一人ひとりに会釈をしていく。
「テレビの中の連中といきなり演り合うんだからな、人生面白いだろ」
楽器隊のブースまで辿り着くと、晃汰は竜介に振り返る。
「人生、何があるかわかりませんね」
ニヤリと竜介は笑って返した。悪戯を思いついた子どものような、無邪気な笑みを。