混ぜるな危険
まだ肌寒さが残るニ月下旬の昼下がり、紅いスポーツカーを業務用トラックが追う。コンテナの全面には乃木坂46の広告が大々的に描かれていて、音楽こそ流さないがその存在感は都会の喧騒の中でも、埋もれることはなかった。
都心を抜けて会場である幕張メッセに二台が到着する。待ち構えていた竜恩寺を含む音響担当達はコンテナを開けると、晃汰の自前の機材を丁寧に運び出す。
「準備はどうだ?」
コートを羽織りながら、晃汰は竜恩寺に問う。
「順調、全て順調」
何度も頷きながら竜恩寺は答えた。
「さすが。ちょっと連中に挨拶してくるわ」
そう言うと晃汰は竜恩寺と分かれ、違う方向に進路を変えた。竜恩寺も右手を挙げるだけで返事をすると、歌謡祭が行われるの特設ステージに向かった。
「ハロー幕張」
布袋がライヴで必ずと言っていいほど使うセリフを引用し、晃汰はメンバーが集まる控室の扉を開けた。
「誰かが裸になってたらどうするんですか」
扉に最も近い場所に陣取っていた鈴木が、微笑みながら立ち上がる。
「そん時はそん時だな。誰かがうまくカバーしてくれんだろ」
メンバーやスタッフ達がごった返す控室とは別に、必ず着替え部屋が用意されている。それは晃汰が乃木坂に加入する前から一つの約束になっており、着替えは絶対にその部屋で行わなければならない。男性スタッフが気兼ねなく扉を開けられるよう、メンバー達からの要望で実現したと、晃汰は聞かされていた。
「あれ。バナナマンのお二人って、もういらっしゃってる?」
誰かが反応してくれるのを信じて、晃汰は部屋をグルリと見渡す。
「まだです」
「まだで〜す」
「まだだね」
「もう帰られましたけど?」
「…蓮加、テメェ後で覚えとけよ」
鋭い眼差しを向けるが、岩本には効果は今ひとつのようで、彼女は晃汰におどけて見せた。小さく肩を落として適当なところに荷物とコートを置くと、ケータリングスペースから常温の天然水を用意した。いつもならコーヒーなどを好むが、コーラスを含めて喉を使う前は、彼は決まって常温水を手にする。
「明梨は、本番前に来るってさ」
水をひと口ふた口飲む晃汰に、齋藤はスマホを片手に歩み寄る。同窓会から交友をすっかり再開させた彼女たちは、明梨の身体を考慮しながらではあるものの、二人で街に繰り出していた。
「じゃあ、もう竜介もいるんだな」
キャップを閉めて齋藤の顔を見上げる。まだメイク前のあどけなく小さな顔だ。
「夫がいきなりギターデビューなんて、生で見たらビックリするんじゃないかな」
晃汰は齋藤から目線をずらさずに、簡単な椅子の背もたれにもたれた。
「かもね。明梨、そういうの結構好きだから…」
そう言うと齋藤は、手に持っていた紅茶に口をつけた。彼女が持つと、ただの紙コップでもミニサイズに見えてしまう。晃汰は乃木坂に入ってから、あらゆるもののモノサシが狂ってしまった。
「なに、お友達の話?」
飲み物を取りに来たついでに、樋口が二人に絡む。
「そう、飛鳥の友達が結婚して。その旦那さんが今回のライヴで、俺と一緒にギター弾いてくれるんだよ」
「それ聞いてないよ〜、早く言ってよ〜」
樋口は紙コップを机に置き、齋藤の両肩を大きく揺すった。
「だって、前もって言ったら本人が変なプレッシャー感じちゃうと思って」
誰かと戯れる時に出すデレ飛鳥を発動した齋藤は、背後にいる樋口の背中に両手を回して、自身の方に引き寄せた。
「なにイチャついてんだよ」
鼻で笑った晃汰は、再び天然水のボトルを口にする。
「晃汰も混ざっていいよ」
樋口が齋藤の頭に顎をのせる。
「いつか混ざりたいもんですねぇ」
口元を緩めると晃汰は立ち上がった。そろそろ自前の機材達が竜恩寺の手によって、組み上がる頃合いだ。
「ステージ行ってくるな。また後で」
二人に断ってから荷物を持ち、ギタリストはステージへと向かった。