報酬
46時間テレビが大成功に終わった数日後、竜介の仕事終りに晃汰は彼をちょっとしたティータイムに誘った。場所は例によって六本木のアマンドで、竜介の勤務先もちょうど近くにあった。
「これ、今回のギャラ」
コーヒーとミルクティーが運ばれてくると、晃汰は分厚い封筒をカバンから取り出し、竜介の前に置いた。その厚さから、竜介は口に含んだコーヒーを咽せそうになった。
「こんなに貰えないですよ!?」
これほどの大金を現金で見たことがなかったから、竜介には金額を察するだけの知識も経験もない。だが、その中に収められている札束が大金と言うことだけは分かった。
「出演料にあと、少し早い出産祝いだ」
晃汰はズッとミルクティーを啜る。
「記録に残らないけど綺麗なお金だ、サラリーマンのお前さんに害が及ぶ事はない。俺たち乃木坂のほんの少しの想いだ、受け取ってほしい」
ニヤリと笑った晃汰は、改めて竜介を見た。
「こんなに、申し訳ない…」
竜介は震える両手で封筒を受け取ると、そのまま通勤用のリュックに押し込む。落とさないように、奥底深くに。
「もしかすると、ちょっと落ち着くまでマスゴミどもがお前さんの周りを嗅ぎ回るかもしれない。少しでも気になったらすぐに言ってくれ、一般人のお前さんに近づかせたくない。もちろん、奥さん達にもね」
その時、晃汰の眼が一瞬だけ冷たくなったのを竜介は見逃さなかった。
「芸能人って、大変ですね」
竜介は苦笑いで場をもたせる。
「信用できる人間とそうでない奴らを見分けないとならない。良くも悪くも、そういう嗅覚だけ育っちまったな」
捻くれた自身を嘲笑うように、晃汰は上半身を反らした。
「僕も、信用できない人間かもしれませんよ?」
竜介が冗談を混ぜる。
「かもしれないな。バンドやる奴なんか、信用しちゃいけねぇよ」
どの口が言うのか、竜介は晃汰とともに笑った。
「また、連絡しても良いですか?」
別れる間際、駅に向かおうとする晃汰の背中に竜介は尋ねた。
「いつでも来い。力になれる事なら、いくらでもなってやる」
改札を通る前にキチンと正対すると、真剣な眼で晃汰は答えた。竜介は嬉しくなって、首を何度も縦に振った。
「俺から連絡するかもしれない。お前さんがまた必要になるかもしれないからね」
それだけ言い残し、晃汰は後ろ手に左手を挙げて改札の奥に消えていった。
◇
家に帰った竜介は、真っ先に封筒を明梨に見せた。
「今回のギャラと、早い出産祝いだって」
落ち着いているように話したが、内心はまだ穏やかではない。
「こんなに!?凄いね…」
明梨も明梨でこんな大金を見たことがなかったから、思わず料理中のまな板をほったらかしにして、眼をひん剥く。
「うん。いくら入ってるんだろ」
竜介は封筒の中身を手に出すと、分厚い札束の一番上に小さな手紙が添えられていた。ギタリストと、小顔な乃木坂のエース直筆のものだった。
「楽しかったな…」
二人の手紙を読み、ステージの事を思い出した。自分の斜め前で憧れのギタリストが歌って弾き、自分の前で乃木坂が踊る。晃汰はあえて口にはしなかったが、竜介を“そっち“の世界に呼びたがった。
「また、会えると良いね」
明梨は優しい笑顔を夫に向ける。
「会えるよ、必ず」
竜介はもう一度必ず、晃汰に会う気がしてならなかった。
後日、二人は貰ったお金を使う事はなく、新しく口座を開設して全額預け入れた。金額は、ミリオネアを少し超えたぐらいだった。
◇
「明梨からLINE来たよ。こんなに貰ってありがとうって」
さらに数日が経ち、晃汰は齋藤と山下、それに梅澤の映像研トリオと仕事が一緒になる。
「俺もちょっとだけ足して渡したからね、結構な額になったかも」
珍しく社有車のアルファードを運転する晃汰は、助手席でキチンとシートベルトを身体に通す齋藤を横目で見る。特等席に座ると彼女は言って聞かなかったのだ。
「素敵な人でしたね、奥さんも。元気なお子さん、産まれるといいですね」
一番後ろの席に座る梅澤が、細長い身体を前のめりにするようにして、話に割り込む。
「そっか、梅も同い年か」
同級生ではあるが、先輩である齋藤に対して敬語を梅澤は使う。そのせいもあって二人が同い年と認識されるのは結構な割合で少ない。
「ヒトにはヒトの人生ってもんがあるんだなって、まじまじ思ったよ。俺の同級生でも、もう子どもいる奴もいるしね」
手持ち無沙汰な左手を握っては開いてを繰り返す晃汰の横顔は、何処か得意げに齋藤だけに見えた。同窓会に行く時、彼から直接考えを聞いていたから、なんとなくその表情も齋藤には理解できた。
「それで、晃汰さんはいつ結婚するんですか?」
空気を読まない山下が、絶妙なタイミングで会話に入り込む。
「さぁね、いつしようかね」
濁してはいるものの、二人の中でも答えは決まっていなかった。晃汰は晃汰で東京で仕事があり、森保は森保で九州を拠点にしている。晃汰はあえて、二人っきりでもその話題を避けてしまっていたのだ。
「タイミングってものがあるからネ…」
晃汰にしたらあまり踏み込んでほしくない話だった。あからさまに不機嫌になるのは彼女達に響いてしまうから、やんわりと会話を終えてカーステレオを少し大きくした。ロックンロールサーカスツアー期の、エフェクティヴなサウンドが車内に流れる。
三人の仕事が終わったのは、もう少しで日付を跨ごうとする頃だった。自宅まで送っていくと晃汰は提案したが、四人のうち三人が同じ所に帰るのに気を遣って齋藤は、今晩は三人の誰かの部屋に泊まると頑として受け入れなかった。
「ねぇ、お腹すいた」
またも助手席に座った齋藤は、リクライニングを目一杯に倒して身体の全てをシートに預ける。
「私も、お腹空きました」
甘えきった低い声で、山下も齋藤に加勢する。
「ラーメン食べたい、ラーメン」
「ラーメンねぇ…」
果たしてこの時間にラーメンをアイドルに食べさせて良いのか、彼女達を預かる晃汰は決断に苦しむ。
「女の子の日が近いから、食欲ヤバいんです」
真夜中なのに眼がガンギマッた山下が、運転席と助手席の間に前のめりに突っ込む。
「なるほどね。じゃ、とびっきりのヤツをお見舞いしてやるよ」
晃汰は周囲の車両を確認すると、進路を変えた。