歓喜
遠藤と晃汰の努力の結晶が配信されようとしている。ギタリストの部屋には所狭しと寮暮らしのメンバーが腰を落ち着け、その配信を今か今かと待ち望む。キッチンの水切りには綺麗に洗われた大皿が何枚も立てかけられていて、今宵も晃汰は彼女らに手料理を振る舞った。そんなギタリストは一人だけソファに身を委ね、コーラの缶を握る。未成年のメンバーを気遣って、今夜の大宴会はノンアルコールだった。
「さくらちゃんと晃汰がくっついてたのって、コレだったんだね」
寮生ではギタリストと唯一の同級生である佐藤が、スマホを弄りながら彼を見上げた。
「そうなんだよ。それなのに梅とか美月は人のこと、悪い事してるみたいに言ってきてよぉ。ホントあいつらは人じゃねえよ」
晃汰は不満たっぷりにコーラをあおる。
「人聞きの悪い事言わないでくださいよ!」
遠くの方から山下の声が聞こえた。
「そうですよ!私たち、何にもおかしい事言ってないですから」
梅澤も山下に加勢した。
「だから考えが短絡的なんだっての」
晃汰はもう一口コーラを喉に流し込んだ。
「ほれ、もうじきに始まるだろ」
プロジェクターで真っ白い壁に映し出された画面には、既にカウントダウンの数字が減っていっていた。三人は各々ソファと座布団に座り直して、画面と正対する。
時間にして7分に満たない動画だったが、生配信が終わっても誰も何も言わず、拍手すらも起こらなかった。出力元のiphoneのケーブルを引き抜いて部屋を明るくした晃汰が見たものは、圧倒されて口をポカンと開ける連中や、同期の努力に涙する連中の姿だった。
「これが遠藤と俺の“きっかけ“よ」
囁くように発した晃汰の言葉を“きっかけ“に、面々は端っこの方にいる遠藤に集まって労を労った。良い奴らだ、晃汰は再びコーラの缶に手を伸ばした。
◇
「まだですか?もう時間ですよ?」
10月初旬。ドアを開け放した玄関の外から、廊下のあっちこっちで見え隠れする晃汰に遠藤は声を大きくした。
「うるせぇな、いま帰ってきた所だっての」
予定よりも仕事が押してしまった為に、約束のディナーに晃汰は遅れそうになっている。遠藤の二十歳の誕生日を、近所のフランス料理屋で祝おうとしている。
「まあ遠藤、許してやれ。奴も悪気があって遅れてんじゃねぇよ」
遠藤たっての希望で召集された竜恩寺が、彼女と同じ目線で晃汰の部屋をドア越しに覗き込む。
「はいはいおまたせ、用意出来ましたよ」
朝のサラリーマンよりも早い時間でビシッとスーツを着こなした晃汰は、僅かな手荷物を持って部屋から出てきた。今回はしっかりと鍵をかけた。
「早かったな」
一足早く電車で来ていた竜恩寺が晃汰を見た。
「お姫さんが喚くもんでね」
晃汰はチラリと遠藤を見た。
「だって遅れそうだったんですもん」
小さな頬を膨らませた遠藤は、晃汰の横腹を突く。
店は寮からギリギリ歩いていける距離にあった。晃汰と竜恩寺で何度か訪ねていて、動画の正式な打ち上げと遠藤の二十歳の誕生会を兼ねるならココと、二人は決めていた。
小さな個室に通されて晃汰と竜恩寺はワイン、遠藤はカクテルをそれぞれ注文した。
「よくそんなの知ってるじゃん」
遠藤が口にするベリーニを見て、晃汰は少し驚いた。
「ネットで調べたのを飲んでみたら意外と美味しくて。アルコールもそんなに強くないので、メニューにある時はこれを飲んでます」
桃色のカクテルを小さな口で飲む。小動物のようだと晃汰は思い、自身の白ワインを舐めた。
「なんかかっこいいね、遠藤さ」
同じく白ワインを目の前に置く竜恩寺も、遠藤を見てはにかんだ。
やがてコース料理が次々と運ばれ、そのどれもが三人を唸らせる出来だった。
「蕎麦屋の方が良かったか?」
マリネを頬張った晃汰は遠藤におどけて見せた。
「何言ってるんですか。どっちにも失礼ですよ」
口元を手で覆いながら遠藤は小さく笑う。
「じゃあ、次は『えんそば』で飲み会だな」
決まったとばかりに、竜恩寺はニヤリと口元を緩めた。
「お前さんの二十歳のお祝いだから」
店を出てすぐに遠藤は二人に詰め寄った。会計をしようとレジに行った時、既に支払いが終わっている事を彼女は聞かされた。その背後を挨拶をしながら晃汰と竜恩寺が通り過ぎていったのだ。
「だからって、私ずっと奢ってもらってばかりじゃないですか!」
スーツの裾をつまんで離さない遠藤は、彼らに合わせて少し歩調を早める。
「んな事いちいち気にするなよ。お前さんに後輩ができた時にこうやって奢ってやりな。今夜のディナーは俺たちから、ささやかな二十歳のプレゼントだ」
そう言い、晃汰は左手をポケットに突っ込んで肘を曲げた。左側を歩く竜恩寺も同様に、右の脇をあけた。
「大好き!」
二人の腕に両腕を絡めた遠藤は、力一杯彼らを引き寄せて叫んだ。
「二十歳のお祝いは遠藤だけだからな。他の連中には秘密な」
竜恩寺は白い歯を見せると、隣の晃汰も苦笑いをしてウンウンと頷く。
「わかりました!誰にも言いません!」
果たして、遠藤がその約束を守ることはなかった。
『昨日ね、晃汰さんと京介さんと二十歳のお祝いしてもらったんだ!』