乱入者
「上出来だな」
リハーサルを終えて戻ってきた控室で、晃汰は開口一番に評価をした。
「でも、本番で失敗しちゃったら意味がないです…」
遠藤が弱く答える。
「出る前に負ける事考える奴(バカ)いるかよ」
アントニオ猪木の名言を晃汰はそのまま流用したが、大凡その元ネタを知らない遠藤はキッと眼を鋭くさせるだけだ。
「トチったら、その時はその時だ。お前さんはただ真っ直ぐに歌い上げればいいんだ。それしかできないだろ」
儚げな少女にもお構いなく、晃汰は厳しい言葉を放つ。甘やかしなど一切しない、乃木坂というブランドを考えれば当然のことである。
それからの時間、晃汰はスポーツでもするかのようにストレッチや軽い有酸素運動をした。そんな彼の様子を気にする余裕のない遠藤は、マスクの中で声を出さずに『きっかけ』を何度も歌って過ごした。
本番10分前、晃汰は一足先に控室を出てスタジオに向かった。いつものようにジャケットの裾をはためかせながら歩くその姿は、髪型も相まってギタリストそのものである。定位置に着くと椅子に腰掛けてアコースティックギターを手にし、最後のチューニングを始める。調整が済めばウォーミングアップとして、CLOUDY HEARTのイントロを軽やかに弾き始めた。
本番5分前、遠藤もスタジオに向かう。軽いシャツにジーンズというラフな出立ちが、彼女のスタイルの良さを充分に表現している。
遠藤がスタジオの入り口に着いたというスタッフの声で、晃汰は弾き語りにまで発展してしまった一人リサイタルを終わりにした。それを見守るスタッフの中には、遠藤の歌唱よりもソチラを続けてほしかった連中もいた。
一気に静寂に包まれたスタジオの中を、ど真ん中に置かれたマイクスタンド目掛けて遠藤は静かに歩く。ヘッドフォンを左右反対に付けてしまうというアクシデントを除けば、収録自体は無事に終わった。晃汰のミスタッチも遠藤の音程ミスもなく、二人が丁寧に作り上げた作品は公開される日まで束の間のお蔵入りとなる。
「晃汰さん」
全てを終えて戻ってきた控室、遠藤はギターケースを持った晃汰を弱々しく呼んだ。
「なんだ?」
ケースを置いて手を叩いた晃汰は答える。
「ハグしてください」
遠藤の眼には、今にも溢れんばかりの涙が溜まっていた。
「いいよ、ほら」
広げられた長い腕を見て、遠藤は彼に駆け寄ってその胸に顔を埋めた。
「よく頑張ったな、褒めてやる」
胸のシャツがだんだんと涙に滲んでいくのがわかるが、晃汰は優しく遠藤の後頭部を撫でる。
「晃汰さんがいなかったら、怖くて逃げてました」
「だろうな。ただ、俺に助けを求めてきたのは良かったんじゃねぇか?しかも、お前さんの歌を上達させてくれたのは、俺じゃねぇしな」
晃汰のその言葉に、遠藤はハッとして彼から離れた。
「JILLさんに電話してきますね!」
遠藤はパタパタと控室の外に駆けて行った。すっかり濡れてしまったシャツを何回か仰いで、晃汰は帰り支度を始めた。と言っても、持ってきたものは手荷物と一本のギターだけだから、ほんの少しの時間で終わってしまう。
「電話してきました。励ましてくださって、また改めてお礼に行かなきゃ…」
興奮状態の遠藤が控室に戻ってきた。
「あぁ、俺ももっと会って話してみたいからな」
BOØWYと同じ時代を生きたパワフルな女性ボーカリストと知り合えた事が、今回で一番晃汰にとっては嬉しかった。
◇
二人はスーパーに寄ってから寮に戻った。無論、二人だけのパーティーをする用意を整える為だ。メガネにマスク、さらには帽子といった変装姿のペアは惣菜コーナーをスルーして精肉ブース、鮮魚ブース、野菜コーナーをさんざん物色した。車に戻る頃には、パンパンになったレジ袋が二人の片手にそれぞれ提げられていた。
「さて、始めるか」
部屋に着くなり、例によってダサい部屋着に着替えた晃汰は腕まくりをした。眼の前に広がる食材たちをどう料理してやろうか、ワクワクといった表現がしっくりくる感情を抱きながら晃汰はレジ袋を抱き上げた。
「遅くなりました!」
ゆったりとした服になって部屋にやってきた遠藤だが、まだ化粧は落としてはいない。同僚であるが異性として見てもらいたいという、遠藤の儚い想いからだった。
「焦んな、まだ時間はたっぷりあるから」
そう言う晃汰だったが、既に彼は腕まくりをして鍋を振っている。左手にはバドワイザーが握られている。
「じゃあ、私はお刺身切りますね!」
晃汰の指示が下る前に遠藤は率先して動く。
「良いセンスだ」
短いが、晃汰は遠藤を評価した。彼の遠藤に対する見方は、今回の一件でガラリと変わっていた。
「良い匂い〜」
突如として、玄関から声が聞こえた。声色だけで誰だか分かってしまう二人だから反応は様々で、晃汰は舌打ちをして遠藤は返事をした上に玄関に出て行った。
「岩本さんと梅澤さんが来てくれましたぁ!」
パッと明るい笑顔の遠藤に続いて、クソガキの岩本とデカい梅澤がリビングに入ってきた。
「晃汰さん、とうとう四期生ともイチャイチャし始めたんだね」
岩本は悪気のこもった笑顔を、キッチンの晃汰に向ける。その後ろをキャピキャピな梅澤が続いてくる。
「うるせぇな、イチャイチャして悪いかよ」
キッと睨みつけただけで、晃汰はそれ以上のリアクションはしなかった。そんな事よりも目の前の料理を成立させる為に必死なのである。
「お前らどうすんだ。メシ、食ってくのかよ!?」
右手に青椒肉絲、左手に麻婆豆腐の大皿を持った晃汰が三人の間を通り過ぎた。そのあまりにも美味しそうな匂いと見た目に、岩本と梅澤は茶化しに来たことを忘れて首を何度も縦に振った。
「いいのか?“さくら“、コイツらとテーブル囲んでも」
いきなりの呼び捨てに、遠藤は返答に困った。
「え?え、だ、大丈夫です!私も、皆さんと晃汰さんのご飯食べたいです!」
不自然極まりない返事になってしまったと思ったが、晃汰は気にする素振りを見せないまま自分の眼の前を通り過ぎていった。遠藤は早くなった胸を両手で押さえると、すぐに彼の後を追ってキッチンに戻った。
「じゃあ、他の子たちも呼んできますね!」
梅澤と岩本はパーティーを始めるつもりになり、楽しくなって他の連中を集めに出ていった。
「良かったか?二人だけじゃなくて」
静かになったキッチンで、晃汰は遠藤に尋ねた。
「…できれば、二人だけが良かったです」
やってしまったと、晃汰は苦い顔をした。
「でも、初めて名前で呼んでくれたので許します」
そう言うと、遠藤はニッコリと笑って晃汰の眼を見た。
「あんがとな。また今度、お前さんの好きなところ、連れてってやるよ」
晃汰はバドワイザーに手を伸ばし、グイッと喉に通す。
「それ、山下さんに前にも同じこと言ってましたよね」
思わずシンクにビールを吹き出した晃汰は、口元を拭いながら遠藤を見た。笑顔の裏に怒りが共存する遠藤がそこにはいた。
「わかったよ。もう予定入れようぜ」
そう言って晃汰はスマホを取り出し、スケジュールを確認する。遠藤も自身の予定を確認した。
「来週の金曜ですね、空けときます」
こっちはお構いなしかよ、晃汰は思うだけで口にすることはなかった。
「あぁ、空けとく。場所、決めといてな」
今度こそ機嫌がなおった遠藤は、ニコニコ顔でスマホを胸に抱き込んだ。
「乃木坂の奴らは、どいつもこいつも気が強いぜ」
ケッと吐き捨て、晃汰は再びバドワイザーと鍋をつかんだ。遠藤もその隣でお手伝いを再開する。