お手伝い
晃汰と遠藤はマンションのエレベーターまで一緒に帰ってきた。彼女の部屋は晃汰の一個下の階にあったから、二人はエレベーター内で分かれた。箱が動き出す前に晃汰はふぅっと息を吹いた。一ヶ月の付け焼き刃で、果たして遠藤の歌声が“電波にのせられる“レベルにまで到達するのか、晃汰は不安でしかなかった。ツテに頼るしかない、晃汰は自分の無力さを痛感しながら玄関のドアを開ける。いつものように、鍵はかかってはいなかった。
「疲れて帰ってきて、こんな三人のシェフが夜ご飯用意してくれてるなんて、俺は幸せ者だな」
途中にあるベッドルームには寄らずにそのままリビングに行くと梅澤と山下、与田がエプロンをつけてキッチンに並んでいた。
「今度の乃木中で料理対決があるので、その毒見になってもらおうと思って」
いつになく真剣な眼差しの山下は、手元から眼を離さずに言った。
「ちゃんと食べれる物にしてくれよ」
ソファに落ちた晃汰はフンと鼻を鳴らし、腕時計を見た。日本とロンドンの時差はマイナス9時間、逆算すると現地は日中である。晃汰はそれを確認すると、迷わず布袋に電話をかけた。
「出来ましたぁ」
わざと滑舌を悪くして語尾を伸ばした梅澤が、山下と料理を持ってキッチンから出てきた。誰かに甘える時の彼女の癖である。
「お、美味そうだネ」
手帳とスマホを片付けた晃汰は、更にテーブルの上を整頓して料理を置くスペースを作る。
「お仕事ですか?」
与田が気を遣う。
「うん、そんなところ。お、ボリューム満点だな」
答えつつ、晃汰は目の前に置かれたプレートを凝視する。オムライスにカレーとハンバーグ、焼いた野菜が添えられたわんぱくなワンプレートだ。
「まだあるとよ」
そう言って与田は、サシの入った馬刺しを別皿で持ってきた。
「いやいや…なに、今夜誘ってんの?」
頭上に「?」が浮かぶ与田の背後から猛スピードで梅澤は走り込むと、晃汰の背中に力一杯の平手打ちをお見舞いした。
「ジョークだろうよ…」
晃汰はヒリヒリと言うよりズキズキする背中を摩る。
「年頃の女の子に言うジョークじゃありません」
右手を広げながら、梅澤は晃汰を一喝する。
「年頃って言ったってお前達、一個ずつしか違わねえじゃん」
晃汰は年下の順に梅澤、山下、与田と顔を見渡した。もう少し上下関係を、と晃汰はこれっぽっちも思ってはいないが。
「まぁまぁ。ほら、早く食べよ?」
何故かまとめ役に回った山下が、エプロンを外して床に腰を下ろした。それを見た晃汰は、違う部屋から人数分のクッションを持ってきてやった。
「ん、美味いじゃん」
「でしょ?」
一口頬張って眼を見開く晃汰を、山下は少し心配そうに見上げた。
「これなら、設楽さんと日村さんも参っちゃうと思うヨ」
「晃汰さんがそう言ってくれるなら、勝てそう」
与田は眼を細めると、手を合わせて食べ始めた。
「どれが一番美味しいですか?」
聞かなくてもいいのに、梅澤は二人をライバル視する質問を投げた。
「この中で一番なんて選べねぇよ。お前さん達が作ってくれたもの、みんな美味しいよ」
空気を読んで、晃汰は当たり障りのない答えを返した。実際、甲乙つけ難いのは本当だった。
「悪いな、後片付けまでやってもらっちまって…」
手際よく空いた食器をキッチンに運ぶ三人を見ながら、晃汰は申し訳なさそうに顔を歪める。
「いいんですよ、私たちが勝手に用意したんですから」
気を遣わないで、梅澤は再びエプロン姿になって袖を捲った。
「でも、なんかお酒が飲みたい気分になっちゃいました」
テーブルを拭く山下は、とろんとした眼で晃汰を見た。
「ウチも、ビール飲みたくなってきたと」
何かの配信で高山が言っていた言葉を、晃汰は思い出した。なんでも、与田は滝に打たれている女の子を見るとビールが飲みたくなるのだとか。
「あ、ビールあるよ。しかも、泡が出てくるやつ」
そう言って晃汰は立ち上がると、洗い物をする梅澤と山下の背後をすり抜けて冷蔵庫の前に立った。中には缶ビールと酎ハイがキンキンに冷えている。
「んま〜い」
口の周りを泡だらけにしながら、与田は眼を細める。山下はカシスビア、梅澤と晃汰はカシスオレンジをそれぞれ舐める。
「お酒弱いくせに、お酒は常備してるんですね」
紅い泡を指で拭うセクシーな仕草を見せながら、山下は晃汰をせせら笑う。
「うるせぇな、嗜む程度だろうよ」
晃汰は山下をキッと睨んで、梅澤のものよりも黄色に近いカシスオレンジを味わう。
「晃汰さんの、やけにオレンジ強くないですか?」
梅澤は自分のものと見比べ、晃汰のグラスに手を伸ばす。
「ほぼオレンジジュースじゃないですか!」
グラスを置いた梅澤は晃汰に突っ込む。
「だって俺、弱いからサ」
晃汰は苦笑いをして、ツマミのビーフジャーキーを頬張る。
「つか、間接キスだろ」
口の中の肉を噛み切る前に、モゴモゴと自身のグラスを指差す。
「ダメでした?」
あっけらかんと梅澤は問うた。
「俺は別にいいけど…」
悪い気はしなかったが形上、少し嫌がる素ぶりを晃汰は見せた。
「晃汰さんがいいならいいです。だって写真集撮影の時に…」
「それはほっぺだっただろ!?」
晃汰はグイッとカシスオレンジを飲み干した。
「人の眼のない所で、熱々ラブラブの時間をお過ごしのようで」
冷ややかな眼の山下は、冷蔵庫から冷ややかな二本目のビールを持ってきた。
「そういや、お前さん達の写真集には呼ばれなかったな」
ハッとした顔つきに晃汰はなった。
「だって、晃汰さん呼べるオプションがあるなんて、知りませんでしたから」
「ウチも、呼びたかったけん…」
山下と与田は不満そうな表情で晃汰を見た。
「そんなの知らねぇよ、呼べばよかったじゃんそんなの」
どうする事もできない事を責められては、晃汰としてもあまり気分がいいものではないが、それでも同僚から欲されるのは嬉しかった。
「ところで」
口調はそのまま、山下は話題を変えた。
「さくらちゃんと何処に行ってたんですか」
山下の眼がギラリと光る。
「お前さん達には関係ないだろ」
「関係ありますよ、もし可愛い後輩に変な虫でもついたら…」
「勝手に男の部屋に上がり込んでよく言うぜ」
晃汰は肩をすくめた。
「仕事、とだけ言っておくよ。まだ他に漏らしちゃいけない内容なんでね」
空にしたグラスを持って立ち上がると、キッチンにそれを置いて大きく伸びた。晃汰のそんな動きを察して、三人も残りのアルコールを空けた。晃汰はそのまま洗面所に移り、歯を磨き始める。
「歯磨きに一回帰りますね」
すっかりテーブルを片付けた面々は、鏡に向かう晃汰を覗く。
「そのまま帰れよ」
口の中の泡をぺっと晃汰は吐き出して、鏡越しに三人を見た。そんな彼女らが言うことを聞く訳はなく、部屋に戻って寝巻きに着替え、 て枕を持参した。
「じゃあ俺は部屋で寝るかr」
「何言ってんですか、みんなで川の字で寝るんですよ」
寝室に逃げようとする晃汰の部屋着を山下は引っ張った。もう何を言っても無理なのだと悟りを開くと晃汰は、物入れから緊急事態用の布団を取り出してリビングに敷いた。大人四人が大の字で寝ても余裕のある空間は、隣接する音楽スタジオとも相まって相当な広さである。
「もうこれ以上俺の心身を削るなよ。電気消したら発言禁止な」
晃汰は部屋の電気をリモコンで消した。右には与田の背中とスマホの明かりで浮かび上がる梅澤の顔。左には山下のまん丸な眼がある。
「なに見つめてんだよ、寝ろ」
「あ、喋った」
山下は暗闇の中で、晃汰の両頬を両手で挟んだ。
「罰ポイントです」
晃汰の向こうに二人に気づかれぬよう、山下は静かに晃汰のおでこにKISSをした。
「罰ポイント返し」
晃汰も山下の額にKISSをして、眼を閉じた。アラームはいつもの時刻に設定している、寝過ごすことはない。
翌朝、予定通りにアラームの音で晃汰は眼を覚ました。1988年のDREAMIN'のイントロで、ヒムロのMCも含まれている。
「最後に夢を見ている奴らに送るゼ!」
あまりにも有名なこのMCを聴いて晃汰の1日は始まるのだが、今 今朝は訳が違う。リビングには既に朝ごはんの良い匂いが充満していて、キッチンのエプロン三人娘が忙しなく働いている。
「アイドルよりも家政婦さんの方が向いてるんじゃないか?」
冴えないジョークを振りまいて、晃汰の1日が始まった。