ファースト・コンタクト
「ちょっとお時間いいですか?」
何気ない昼下がり、仕事で一緒になったうちの一人である遠藤が声をかけてきた。
「おう、いいぜ」
“まだ“四期生を認めていないとは言え、拒む理由も無いから、晃汰は親指を立てて返事をした。
「いや、待ってくれ。ランチでも行こう」
腕時計はもう少しでお昼を指そうとしていた。親指だけ立てた手をパーにして遠藤に示すと、晃汰はスマホを左手で操作し始める。
「近くに行ってみたかった洋食屋さんがあんだよ。付き合ってくれるか?」
断られる理由がないと晃汰は思っていたが、その通りに遠藤は大きく首を縦に振った。その様子を見ていた山下があからさまに、晃汰にヒップアタックをお見舞いした。
「なんでさくちゃんだけなんですか!?」
自分が誘われなかったことに対して、山下は大層腹を立てている。
「遠藤が俺に直接言いに来てるんだから、お前さん誘ったら遠藤の立場が無くなるだろう」
正論で返され、山下は口を紡ぐしかなくなった。
「また今度な。お前さんの好きなところ、連れてってやるよ」
◇
現場から歩いてすぐの所に、目を付けていた洋食屋はあった。結局あの後に予約の電話を入れるも繋がらなかった為に、二人は昼を待たずして店に駆け出したのだ。その甲斐あってか、何組かを待っただけで席に着く事ができた。
「で、俺に改まって何の話だよ」
注文をした直後に一口水を含んだ晃汰は、対面で座る遠藤に尋ねた。
「実は、ある依頼が私だけにありまして…勿論、事務所は通ってるんですけど…」
そう言うと、遠藤は自身のスマホを晃汰の前に置いた。
「これなんですけど…」
それはYouTubeチャンネルの一つ、THE FIRST TAKE(以下TFT)の画面だった。ここ最近勢力を伸ばしている歌ものチャンネルで、晃汰は数日前に郷ひろみが老化もなんのそので歌っている動画を見ていた。
「これに出るってのか?」
まさかな、と晃汰はおちゃらけたが、当の遠藤は真面目な表情のままである。
「なんてこったい…」
晃汰は腕をYの字に広げた。苦手と本人も言うように、決して遠藤の歌はうまいとは言えなかった。そんな彼女にオファーを出してくるTFTに対し、晃汰はイタズラではないかと思うほどだった。
「なんでお前さんなんだろな」
座ってすぐに出された水のグラスに口をつけ、晃汰はうわ言のように呟いた。歌の巧い奴なら他にも…と晃汰は考えるだけに留めたが、どうしてTFTは遠藤を単独指名したのか気になった。
「なんでなんですかね…」
不安が口調に色濃く表れた。そこへ、二つの料理が運ばれて来た。晃汰はナポリタン、遠藤はオムライスをそれぞれオーダーした。
「ところで…」
料理を半分ほど食べ進めた時分、晃汰は一度口元を拭ってから遠藤の眼を見た。
「“そんな報告“で俺を呼んだ訳じゃないだろ?何か別件があるんだろ?」
たとえあまり親交のない4期生でも、自身を指名して話し合いの場を設けるには訳がある。晃汰はその事を察していたから、自ら話の糸口を遠藤の為に作り出してやった。
「実は…」
遠藤もスプーンを置いて紙ナプキンで口を拭った。
「伴奏を、晃汰さんにお願いしたいんです」
両手を太ももで挟むような畏まった体勢で、遠藤は眼の前にいるギタリストを真っ直ぐに見つめる。晃汰は何度か視線の両端を往復すると、グラスに手を伸ばして水を口に含む。
「何を歌うのサ?」
晃汰はまた一口パスタを頬張る。
「『きっかけ』です。しかも、ギターだけです」
「なんてこったい」
またしても晃汰は両手をYの字に広げて天井を仰いだ。
◇
仕事が終わると、晃汰は遠藤を連れて都内のスタジオに入った。部屋のプライベートスタジオでも事は足りるが、まだトップシークレットなこの“案件“を考えると、どうしても別の場所で晃汰は作業がしたかった。変装した姿で受付を済ませると、アコースティックギターを一本だけ借りた。
「まずは、歌ってみなよ」
マイクのセッティングを終えた晃汰は、練習用に配布されている『きっかけ』のカラオケを、スタジオのスピーカーから流した。丸椅子に座っていた遠藤は立ち上がると、スタンドに取り付けられたマイクを外して握った。
「…なるほどね」
ドラムセットの椅子に座る晃汰は、歌い終わって再び丸椅子に座る遠藤を見た。彼なりの納得をして何度か頷くと、紙のスケジュール帳をカバンから取り出した。
「収録はいつだ?」
遠藤に問う。
「1ヶ月半後ぐらいです」
スマホでスケジュールを確認した遠藤は答えた。
「ハッキリ言うけど、いいか?」
パタンと手帳を閉じた晃汰は、少し強く遠藤の眼を見た。対する遠藤は口を真一文字に結んで頷く。
「“今のまま“じゃカラオケだな。高音が苦手なのを誤魔化そうと喉で歌ってるけど、全くもって歌手のやる事じゃない。1ヶ月後にこの状態じゃ荒れるのは眼に見えてるから、キャンセルした方がいい」
楽器を盛大に鳴らす為の空間だと言うのに、晃汰の言葉だけが防音壁に吸い込まれる。
「進むのも仕事だけど、引くのも仕事だ」
そう言ってスタンドに立てかけていたギターを手にすると、晃汰はB・BLUEのBメロをアルペジオで弾き始めた。
「私に、歌が上手くなる方法を教えてください」
2回目のAメロが終わろうとする頃、力のこもった眼をした遠藤が突如として立ち上がった。華奢な両手には拳が握られていて、彼女の本気度が晃汰には見てとれた。
「俺はボーカリストじゃない。だけど、ツテはあるはず」
晃汰は胸を反らして勝ち気な眼を遠藤に向けた。これほどに心強いギタリストはいない。まだデビューして間もないのに遠藤は、音楽界には晃汰とそうでない人しかいないものだと、ある種の錯覚さえ覚えてしまった。