??曲目
数コールの後に出た声は、紛れもなくアカリの声だった。ギリギリマイクが音を拾う範囲で、洗濯機が回る音と何かを炒める音とが聞こえる。齋藤はそこで改めてアカリが結婚したのだと、実感した。
「覚えててくれたんだね!」
全くと言っていいほど、声色も言葉選びも変わっていなかった。齋藤は何故だか嬉しくなって、早口で自分の近況をアカリに話した。乃木坂をやっている事、モデルをやっている事、そして芸能界に染まってしまった事。愚痴っぽいかなと思ったけど、アカリならと齋藤は続けた。そのどれを取っても、アカリは画面を通して知っていた。
「私の眼は間違ってなかった訳だ」
顔は見えないけれども、アカリがどんな表情をしているか手にとるように分かる。
それから二人は同窓会での再会を誓って電話を終えた。お互いにもう少し話していたかったけれど、主婦であるアカリにはやらなければならない事が山積みだった。齋藤もその辺の気遣いを持ち合わせていたから、アカリが言い出す前に通話を終えようと言い出した。
◇
「なるほどね。ステキじゃん、中学校の時の親友だなんて」
晃汰は赤信号で停まると同時にギアをニュートラルに入れ、クラッチから足を離す。それから視線の端で助手席を見れるくらいまで、顔を動かす。
「うん、まさか覚えててくれるなんてね」
齋藤自身も、まさかと今でも思っている。事実、乃木坂に入ってから一般人と連絡を取り合ったことなどない。当時はまだ中学生でケータイを持つ者の方が珍しく、学校でのお喋りが最高の連絡ツールだった。おかげで齋藤はアカリの家はおろか、連絡先すらも知らずに中学生活を終えてしまった。
「そういう友達は、大事にした方がいいぜ」
信号が青になる。シフトノブが左上に入ったと思えばゆっくりと周りの景色が動き出す。免許こそ持っていないが、こういう“余計な操作“が、男心をくすぐるんだと齋藤は自分なりの理解をしている。事実、ライヴでギターを弾いている時と同じくらい、車を運転している時の晃汰の横顔が生き生きとしているように、彼女の眼には映っていた。
「晃汰は、同窓会とかないの?」
少し気になって、齋藤は訊いてみた。ちょうど乃木坂に加入した頃に、彼がこの業界に足を踏み入れてるのは本人から聞いていたから、それからの晃汰の学生にまつわるエピソードを知りたくなった。
「あるけど、なんやかんや俺も京介も行けてないな。何かと仕事が被ったり、予定がわからないから欠席で出してみたり」
ゴクっと5速のゲートがシフトノブを飲み込む。
「この世界に入ってからは、テスト受けに学校行くようなもんになっちまったから、友達っていう友達もいなかったな。それでも、たまに連絡する奴は何人かいるけど」
忙しなく動かされる晃汰の左腕の向こうで、齋藤はまん丸な眼を向ける。少し捻くれた言動はあるが基本的に仲間思いな彼には、数え切れないほどの友人がいるものだと、彼女は想像していた。彼もまた、自分と同じ学生生活の美味しいところを吸えなかった身なのだ。そう考えるとやけに齋藤の心臓は強く鼓動した。
「後悔はない。寧ろ、凡そ普通の学生には体験することの無い事ばかり経験してきてるし。こんな可愛い奴の同窓会にも駆り出されるし」
再度の赤信号で、晃汰は齋藤の眼をチラリと見た。どこにあるのかわからないくらい小さな顔の、儚げな瞳をだ。
「そう考えると、他人と違う事をやっていたい俺の性格とも合うし。なんなら、いつも君たちと接してると何ら学校と変わらないんじゃないかって。一応上下関係あるしね」
フッと鼻で笑って見せた晃汰だったが、青になっていることに気づかず慌ててギアとクラッチを操作した。少しだけ強くGがかかり、齋藤は頭をヘッドレストにくっつけた。同窓会に行くよりも、このまま彼の運転を楽しむのも悪くないかな、齋藤は高そうな時計を通した晃汰の左腕を遠い眼で眺めた。
「そろそろ着くぞ」
ナビを見ずに晃汰は言った。もう何年も都内を駆け回っているから、今回の会場となるホテルにも彼は案内なしで運転している。
時間にして三十分を少し過ぎたくらいだったが、齋藤はもっと永いこと晃汰の隣にいたような気がした。自分がはめている時計が狂ってるのかとも思ったが、スマホの時刻もカーナビの時刻も同じである。
やがて真っ赤なマシンは充分に速度を落としてホテルの敷地へと入ったが、高級ホテル代名詞の車寄せへは向かわずに地下駐車場へとノーズ(鼻)を向けた。言葉にはしない晃汰の意図が、なんとなく齋藤には分かった。この車の運転席に座るのは、晃汰以外では竜恩寺ぐらいだ。その事を知っているから、齋藤は彼がホテルならではの“サービス“を受けたくないのだと踏んだ。二人を乗せたマシンは妖しく光りながらゆっくり、ゆっくりと地下へ堕ちていった。