??曲目
「緊張してんのか?」
青のスリーピース・スーツにホワイトシャツ、赤地に白のドットが入ったネクタイを締めた晃汰は、センターコンソールの向こう側に座る齋藤をチラッと見た。
「うん、ちょっと」
流れていく都会のビル群を眺める齋藤は顔こそ向けないものの、本音を伝えた。運転席でハンドルを握るギタリストがいなければ不安はもっと大きかったが、彼のおかげで殆ど消えている。態度には出さないが齋藤は心底、晃汰がいてくれる事に感謝している。
◇
『同窓会について来てほしい』
バスタイムを終えてリビングに戻ってきた晃汰のスマホに、齋藤からメッセージが入っていた。
『この俺がか?何枠で?』
ふやけた指先でロックを解除してメッセージを返す。すぐに既読の文字が付いたから、齋藤もいま画面を見ているのだと晃汰は察した。
『いま電話していい?』
齋藤らしく文字だけのメッセージが届く。晃汰は画面の上部にある電話のアイコンを押して、先制して通話を開始した。数コールの後に出た声は、恐らく自宅にいるのであろう低く何の飾り気もないものだった。
「再来月に中学の同窓会があるんだけど、付き添いで来てくれないかな?」
抑揚のない声が電波越しに伝わる。無愛想にも聞こえるが、それは齋藤が心を許している人にする愛情表現だった。
「付き添いでって、送り迎えって事か?」
スマホを耳に当てたまま晃汰は立ち上がると、冷蔵庫から冷えたコーラを取り出して再びリビングに戻った。
「違う、そのまま参加してほしいの」
「ヤだね」
そのまま赤いボタンを押してスマホをテーブルに置き、水滴のついたコーラのプルタブを引いた。火照った身体にキンキンに冷えた炭酸が染みていく。もっと歳を取ればこれがビールになるのかな、そんな事を考えていた晃汰のスマホが鳴る。
「他中の全然知らない、しかも一個下の同窓会になんか行かないからな」
先制攻撃、晃汰は頑として齋藤の要求を受け入れるつもりはない。
「いや、それがね…?」
「…なんだよ」
語尾が濁る齋藤の返事に、晃汰は嫌な気がした。
「今野さんと運営委員長には、もう許可取っちゃってるんだよね…いち参加者として参加させるって…」
「お前らは今野さんに幾ら払ってんだよ」
ここまで良い加減な上司を責め立ててやりたかったが、決まってしまった事を覆すのには気が引けた。第一、齋藤の面子を潰すわけにもいかない。晃汰は齋藤に聞こえるようにわざとらしくため息を吐いた。
「日時と会場、送っとけよ」
それだけ言い残すと通話を終わらせてソファに腰掛けた。妙な事になった、晃汰は若干の不安を覚えるが、久しぶりにスーツを着れることに少しだけ心を弾ませた。
通話が終わって暗くなったスマホを胸に抱き込む。ハート・ビートが大きく、そして早く身体中を打ち続け、顔は熱でも出てるかのように熱くなっていた。同僚を業務として同窓会に誘っただけなのに、齋藤はヒドく身体中を紅くしていた。
同窓会の報せが郵送で送られてきた時、齋藤の頭には断るシナリオしか浮かんでいなかった。特別仲良くしていた友人が何人かいたが、今でも連絡を取り合っている訳ではなかったし、ましてや恋心を抱いた男の子が卒業アルバムの中にいる訳でもない。オーディションを勧めてくれた友人には悪いなとは思ったけど、齋藤は不参加を決め込んで葉書を棚にしまった。
それから数週間が経った頃、乃木坂事務局宛に一通のファンレターが届いた。規則として中身を運営陣が確認した後にメンバーに渡される事になっているから、当然のようにその日は竜恩寺と徳長が眼を通した。
「飛鳥、君の友人だって人からお手紙届いてるけど?」
綺麗に開封された封筒を持った竜恩寺は、ちょうど事務所に顔を出していた齋藤に声をかけた。
「私にですか?」
齋藤は自身の小さな顔を右の人差し指で示す。二度ほど頷いた竜恩寺から封筒を受け取ると、その場で手紙を読む。相手は、中学の時に乃木坂のオーディションを齋藤に勧めた本人からだった。
「どうやらホンモノみたいだな」
齋藤の眼が手紙を読み進めるうちに大きく開かれていくのを見て、竜恩寺は彼女に目配せをする。
「私に乃木坂のオーディションを勧めてくれた子なんです。中学卒業してからは、全く連絡とってなくて…」
中学を卒業してから何年も経っているのに、制服を着た彼女と楽しくお喋りをしている自分の姿が鮮明に思い出される。
友人の名はアカリと言った。何処にでもいる普通の女の子だったが、中学では既に形成されてしまう“陽“や“陰“のどちらにも属さない、不思議な存在だった。
「飛鳥、またお仕事!?頑張ってネ…」
授業が終わると一目散に帰路に着く齋藤に、アカリは普段と変わらない声色で声をかけた。彼女から勧められて受けたオーディションに見事引っ掛かる事ができた齋藤は、その年の夏に吹奏楽部に退部届を出していた。
「うん、今度落ち着いたら遊ぼうね」
どんなに時間に追われていても、アカリへの返事は欠かさなかった。彼女がオーディションに勧めてくれたから今の自分がある。卒業までの三年間、アカリとは常に同じクラスだった。
「覚えててくれたんだ…」
齋藤は胸が温かくなるのを感じた。忘れ去ってしまいそうだった断片的な思い出が、一通の手紙だけでまるでパズルのように組み上がっていく。
その時、齋藤は便箋の一番下、電話番号と住所の下の名前に視線を持っていった。アカリの苗字が変わっていたのだ。彼女も同じ23歳になる代、早い者はもう生涯の伴侶を見つけ出す頃だ。
「行って来なよ、同窓会。羽伸ばして来なよ」
そう言って竜恩寺は齋藤の肩を優しく叩いてその場を後にした。残された齋藤は何度も何度もその手紙を読み直し、出るかわからない書かれた番号に夢中で電話をかけた。