??曲目 〜鉄鋼プラント〜
東から登る朝日を受けながら、真っ赤な86は首都高をやや抑え気味に走る。その後ろには数台の観光バスが追うように走り、車列の最後尾にはそれらを護衛するかのように、1977年式の通称“イーグルマスク“と呼ばれる漆黒のトランザムが文字通りに、鷹のデカールをボンネットに輝かせている。
平日でも早朝となると、渋滞は全くと言っていいほど無い。霞ヶ関から首都高に乗った一行はそのまま江戸橋、堀切、小菅といった交通ラジオでは常連のジャンクションを難なく過ぎていく。
「朝ごはん食べたい」
常磐自動車道入って快調に飛ばしていると突如、松村から晃汰へ電話が入った。もう少しで到着と言う所だったが、食いしん坊の彼女に勝つことは出来なかった。やむなしにすぐさまバスの運転手達と竜恩寺にコンタクトをとり、晃汰は友部SAに入った。
「どうせバスの中で、おにぎりとか食ってたんじゃないんですか?朝食休憩なんて予定に入れてないんで、手短にしてくださいよ」
スケジュール表を眺めてから晃汰は、いかにも迷惑そうに松村を見た。対する本人は涼しい顔で、ブランド物の財布を片手に他のメンバー達とフードコーナーへと消えていった。
「…ったく、こうなるから朝飯ちゃんと食ってこいって言ったんだよ…」
大きく舌打ちをすると晃汰は、フロアに足を上げないまま運転席に腰掛けた。こうなる事も想定してスケジュールを組んではいるが、それにしても松村の食い意地には恐れいる。
「ほら、晃汰の分やで」
車内には乗り込まずに地に足をつけてシートに座っていた晃汰に、朝食を食べ終えた松村が近づく。手には某有名カフェ店の紙袋が提げられている。
「俺に?」
松村の眼を見上げると、晃汰はスマホをセンターコンソールに置いて紙袋を受け取った。中にはお気に入りのキャラメルフラペチーノが入っている。
「迷惑かけちゃったんな、お詫びやで」
ニッコリと笑う松村をこれ以上責め立てる事などできなかった。晃汰は礼を言って受け取ると、その紙袋を持ったまま数台のバスとトランザムに声をかけて回る。出発だ。
広大な鉄鋼プラントを丸2日借り切って、新曲のMV撮影は敢行される。何台ものモンスターマシンが白煙を撒き散らしながら走り、吠える姿を想像するだけで晃汰は、武者震いがするようだった。もともとそういうシチュエーションを描いていた訳だが、いざ本当にその光景が現実のものとなると、話は別だった。
「着替えとメイク終えて1時間後に集合!ダンスシーン、頭から撮るよ!」
スケジュール表を挟んだバインダーを持つ竜恩寺が、バスから降りてきたメンバーに大きく声をかけた。晃汰を含む男連中達の手によって建てられたテントには、既に撮影で使われる全部の衣装が収められている。
「よし、俺も始めるか」
そう言って晃汰は愛車のトランクをスイッチで開け、中からタイヤを4本とジャッキなどなどを取り出した。彼は今からレース用のタイヤに履き替えようとしているのだ。今回ばかりは竜恩寺が手伝う事はなく、一人で黙々と作業を始めた。
トルクレンチで締め付けの確認、エアゲージで空気圧の確認を終える頃には、衣装に着替えたメンバー達がテントからワサワサと出てきた。昼間のシーンを撮る為、最初は私服に似た衣装をそれぞれが纏う。
「出てきたか」
油圧ジャッキをゆっくりと解除しながら、晃汰は自身を好奇の眼で見つめる同僚達を見渡す。
「何してるんですか?」
今回もセンターに抜擢された遠藤が、晃汰の近くにしゃがみながら問う。
「タイヤ変えたんだよ、レース用のタイヤにサ」
短く答えると、晃汰はガレージジャッキを引っ張り出した。ローダウン車対応のジャッキはどこにも干渉することなく、甲高い音を発しながら車の下から姿を現す。
「ノーマルタイヤのまま走れないだろ、グリップ力もドライ性能もベツモンだよ」
ペシペシと叩くタイヤは、ポテンザの最上級品。異様な模様のタイヤパタンがそれを物語っている。誇らしげに見つめる晃汰の頬は、緩みっぱなしである。
MV撮影が始まると同時に、晃汰は先ほどまでメンバー達が使っていた衣装テントに潜り込み、自身の着替えを済ませた。オークションやネットで買い漁ったワッペンが所狭しと刺繍された、自前のレーシングスーツである。迫力ある走行シーンを演出する為、わざわざタイヤもスーツも持ってくるほどに、晃汰の今回の作品に対する熱は相当なものだ。
自分が作った楽曲に合わせて踊るメンバー達を、晃汰はスタッフ陣の中から見守る。普通の人から見れば異常な光景も、もう何年もこの世界に足をつけてしまっている晃汰にすれば、日常的な光景になってしまっている。
そんなエモーショナルに浸っている時、遠くの方から派手なマフラー音が聞こえてくる。レーシングカーのような甲高いサウンドや、大排気量の大爆音まで。
「来たか」
晃汰はニヤリと笑みを浮かべると、メンバー達に背中を向けて客人を迎え入れに行った。