乃木坂46のスタッフ兼ギタリスト


















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12 フィンガークロス
??曲目
 目覚めると、見慣れない真っ白な天井が真っ先に眼に入る。

「起きたか」

 声のする方に身体を起こすと、例によって白衣姿の山室が紙媒体のカルテを眺めている。

「そこはアナログなんですね」

 晃汰はカルテを指さす。

「病院て意外と、デジタル化が進んでないもんでね」

 山室は紙面を患者に見せた。

「疲労とストレスから来る貧血、による卒倒。脳卒中やメニエール症候群の可能性は極めて低い。…働き過ぎだ」

 そう言って眼鏡を頭にずらすと、山室は丸椅子に腰を落とした。疲労困憊といった具合に、首や肩を入念に揉み始めた。

「働き過ぎは良くないスよ」

 酸素マスクを取り外した晃汰は山室を見る。

「キミに言われたくないよ」

 山室は苦笑して、カルテを晃汰の足元に放り投げた。

「聞いたよ、キミの“同僚“に?オーバーワークと色んな人の卒業が重なっちゃったんだってね。倒れたくなる気持ちも分からんでもないが」

 山室の言う“同僚“とやらが誰に該当するのか調べる必要がある、晃汰は無言で心に誓った。

「好きで倒れてる訳じゃないけど…良かったなって、限界越える前で。行くとこ行ってたら死んでたかもしれないですね」

 ヘラヘラと笑う晃汰につられ、鋭かった主治医の眼光も幾らか和らいだ。

「けど、ほんと抜くとこ抜かないと身体もたないぞ?同世代の誰よりも激務だし特殊な環境なのは分かってるけどさ」

「それは分かってるんですけど、自分、不器用ですから…」

 高倉健を彷彿とさせる不器用さに、山室はまたも苦笑いをする。この男を止めるのは不可能だ、主治医はやっと解が見つかった気がした。彼の元に晃汰が担ぎ込まれた三回のうち、実に二回が過労による転落である。人の為なら平気で自分の限界に挑む、そんな人間だからその後ろに人がついてくる。

「そうでもしないとキミの性格上、何も面白くないもんな」

 そう言って山室は立ち上がった。

「明日の昼には退院してもらうよ、いつまでも長居されて困るんでね」

 カルテを脇に携え、山室は病室を後にしていった。



「大袈裟なんだよ」

 退院の日、竜恩寺のみならずメンバーも退院に駆けつけた。トドメを刺した松村は誰よりも責任を感じ、夜通し泣き明かしていた事を、生田からの連絡で晃汰は知っていた。

「そう言うなって。誰もいないよりかは嬉しいだろ?」

 手荷物を受け取った竜恩寺は、社有車のミニバンに晃汰を誘導する。

「まぁな。ただ、人選はこちらに任せて欲しかった」

 キラキラな笑顔でこちらを見つめてくる山下を例にとって、晃汰は不満そうな表情をした。

「あ、晃汰さんひどい!絶対私の事言ってますよね?」

 晃汰は笑って誤魔化したが、内心は嬉しかった。乃木坂のメンバーは皆が頑張っているが、その3期生の中でも山下と梅澤の努力は光っている。そして彼女らは特に晃汰に懐いているから、晃汰本人も自然と彼女らに精神的な部分を求めるようになっていた。

「そんな事ないよ。山下を邪険にしようだなんて、そんな恐れ多い事できるわけないじゃん」

 ぷっくりむくれた山下の頭を撫で、晃汰はスライドドアからミニバンに乗り込んだ。三列シートのうち真ん中のシート、それも運転席側に乗り込んだ晃汰の隣に山下、梅澤の順で乗り込むと、既に最後列のシートには松村と生田が乗っていた。晃汰が乗り込むと真っ先に松村は彼に後ろから抱きつき、泣いて詫びを入れた。だが、その理由は本人たちと生田以外は知らない。松村の卒業はまだトップシークレットである。

「今度、焼肉奢ってください」

 そう松村に返すと、晃汰は背もたれを倒して腕を組み、眼を閉じた。あと数十分で乃木坂本部に着くことは分かっていたが、メンバーが周りにいる安堵感の中で晃汰はうたた寝をしたかった。


「誰が起こすん?コレ」

 本部の地下駐車場に到着しても寝ている晃汰を、竜恩寺は指さす。お互いを見合わせる面々だが、思い切って山下は大きく手を挙げた。

「私に任せてください!」

「何を基準にそんな自信過剰になれるんだよ」

 晃汰にも劣らない皮肉を吐く竜恩寺を通り過ぎ、山下は再びミニバンに乗り込み晃汰の近くまで行く。そして、何の躊躇いもなしに頬へKISSをした。ギョロリと眼を開けた晃汰は、そのまま山下を睨みつけた。

「テメェ、今KISSしたろ?」

「しましたけど、ダメでした?」

「ダメじゃねぇけど…いや、ダメだよ」

 山下にかかれば、晃汰でさえもペースを乱すことができる。つくづく小悪魔だなと、周りで見ている連中は身震いをした。


「よくもまぁ、彼氏でもない男のホッペにチューができるよ」

 迎えに行ったのが午前の遅い時間だったから、5人は本部に少しだけ顔を出してからランチに出かけた。行き先は決まって近くの洋食屋だ。

「今日は同伴か?」

 元はテレビ局内にあったカフェのマスターで、この洋食屋の店長である福田がいつものジョークで一行を迎える。

「そう、なかなかレベル高いでしょ?」

 テレビ局で何度も仕事をしていると言うのに、福田がここに店を構えてから晃汰は彼と知り合った。無論、メンバー達はそれよりも先にマスターを知っていた。

 奥に位置するテーブル席を囲うように座った五人は、各々好きな物を注文した。何を注文してもハズレがないと評判だが、晃汰と竜恩寺は決まった物しか頼んだことがない。

 ランチ代は全て松村が払った。こんな事になったのは自分のせいだからと、年下達が財布を出すのを力強く止めた。

「今度は焼肉やな!」

 ニヤリとハート型の口で松村は笑う。

「やだよ。りんごさん、馬鹿みたいに食うじゃん」

 彼女の胃袋を知っている晃汰はすぐに断る。

「ん〜ケチぃ〜」

 松村は晃汰の左腕に悪戯っぽく巻きついた。いつもは嫌がる晃汰だが、今回ばかりは拒まなかった。もう少しで彼女がいなくなってしまう、そう思うと晃汰は松村の身体を抱きしめたくなってしまった。

 もう誰ももう何も傷付かなくていい、ただの一人も消えなくていい。何故アイドルには卒業という選択肢があるのか、晃汰はいつも疑問に思う。ただそれは、自身のわがままなのだと思う瞬間もある。卒業していったOG達の活躍を見ると、乃木坂をステップアップの踏み台にしていく事への重要さも分かっている。

 考え事をしている浮かない顔をしている晃汰を見かね、松村は彼の左手と自身の右手を恋人繋ぎにした。

「やめてや、そんな顔…ウチの決意が揺らいでまう…」

 前を歩く他の連中には聞こえないよう、松村は小声で晃汰に囁いた。チッと舌打ちをすると、晃汰は強く松村の手を握りしめた。どいつもこいつも覚悟を決めると、真っ直ぐな眼をしやがる。

「卒業ソングは任せてくださいよ」

 晃汰は弱々しい眼で松村を見る。

「当たり前やん」

 満面の笑顔になった松村は、握りしめている腕をブンブン振って元気良く歩き始めた。尊い…晃汰は眩いくらいの松村の笑顔を眺めた。


■筆者メッセージ
まちゅを焦点にした回が少ないような気がしました、これから増やします
Zodiac ( 2021/06/20(日) 10:52 )