五十六曲目 〜ギャップ〜
食事を終えた二人は、一息つく間もなく食器をシンクに運んで皿洗いを始めた。綺麗好きな彼女達だったから、すぐにテーブルの上を綺麗にしたいという思いと、これからの永い夜を彩るであろう様々なゲームを置く為でもあった。
「なにやる?桃鉄?」
ニンテンドーSwitch本体と、幾つものソフトを出してきた白石は、晃汰にそれらを見せた。
「麻衣ちゃんがやりたいヤツでいいよ」
狂ったようにコントローラーを握っていた学生の頃を思い出したが、最近はめっきり。噂こそいろんなメンバーから聞いてはいたが、晃汰がハードウェアを買い求めることはなかった。
「晃汰は『ほてい社長』にするんでしょ?どうせ」
考えを見透かしたかのように、白石は晃汰が選ぼうとしている文字列を予言する。
「いや、今日は『ひむろ社長』の気分だな」
同じハ行であるが、惜しい所を突いている。晃汰は白石の予測に笑みを浮かべた。どうするつもりでもないが、彼女が自分色に染まりつつあることが、少しだけ嬉しかった。
5年を2時間で遊び終えた。ひむろ社長が圧倒的な資産で一位に君臨し、その後をまいやん社長が必死に追っかけ続けた。
「カリスマとはこう言う事を言うんですヨ」
晃汰はホクホク顔で白ワインのグラスを傾ける。
「悔しい〜」
白石が悔しそうに下唇を突き出す。
早めに食事を始めたから、ゲームを一通りやり終えてもまだゴールデンタイムの中にいる。ゲーム機の電源を切ってから入力切替をしていない画面からは、音と光が発せられることはない。どちらともなく、先ほどまでの熱量から一変して、静寂を求めた。
「卒業してからの予定、どうしてんの」
先に口を開いたのは晃汰だった。グラスに二杯目のワインを注ぐのをキッカケに、白石に尋ねた。
「今のところ、何件かCMは決まってるかな。でも、私がやりたい事はまだなんにも…」
「まぁ、いきなりドンピシャってのも無理あるしな。一年とかそこらはお試し期間って感じなんだろ」
晃汰の言葉にも運営の采配にも納得のいかない様子で、白石はあからさまに肩を思いっきり落とした。
「それを分かって卒業するんでしょうが」
フッと鼻で笑うと、晃汰はグラスに手を伸ばす。今夜は気分が良く、何杯でも飲めるようだった。
「まだ呑む?」
白石は空になった晃汰のグラスを指さす。
「あと一杯だけね、今夜はこれで終わり」
人差し指を立てて晃汰は白石に返事をする。すっかり笑顔に戻った白石は慣れた手つきで白ワインを注ぎ、お返しにと晃汰も彼女のお猪口に日本酒をいれた。入力信号を失っていたテレビは既に電源が切られており、引き続き二人の会話だけが部屋の中に響く。
「箱根を思い出すね」
沈黙を破る事に躊躇せず、白石は晃汰に微笑んでみせた。
「事あるごとに箱根を引き合いに出してくるのネ。確かに、楽しかったけども」
晃汰にとったら少しだけ苦い思い出だった。森保がいながら乃木坂のエースを抱いたという罪深さから、晃汰はどうしてもあの二日間を美化する事ができない。
「そんな顔しないでよ。私から迫ったんだし」
「そういう問題じゃねえよ」
口元に笑みを浮かべながらも晃汰はかぶりを振る。
「俺のプライドの問題」
メンバーの要望に応えるスタッフとしては最高だが、彼女を持つ彼氏としては最低。晃汰はあの夜以降、十字架を自ら課していた。
「でも、最高だったでしょ?」
熱っぽい視線を白石から向けられ、晃汰は思わず視線を逸らす。酒が入っているせいで上気した彼女の頬が、やけに色っぽく見えてしまったのだ。
「あぁ、もし俺の眼で見たものを映像にできる技術があるなら、真っ先に使いたいくらいだったよ」
グラスに残っていた最後のワインを飲み干し、晃汰は絨毯に寝転がった。アルコールのせいだけではない酔いが回ったように、頭の中を血が駆け巡るのがわかる。ほんのりと火照った白石の肌が、脳裏に焼き付いて離れない。
すると、白石は平然と横たわる晃汰の上に跨り、唇を重ねた。
「なに、溜まってんの?」
上体だけを起こしながら晃汰は言った。
「うん、すっごく。だって、箱根からシてないんだよ…?」
白石はわざとらしく上目遣いになると、いつもよりも多めに瞬きをした。その眼は完全にメスになっている。
「彼女がいなかったら今すぐ襲ってるよ」
片方の口角だけを上げ、悪い笑みを晃汰は浮かべる。
「知ってる。だからいつも私の家に上げるんだよ」
この人といると調子が狂う。だけれどもキチンと芯が通っているから、浮ついた話などいくら張り込んでも出てこない。そんな彼女との時間が残り少ない事を改めると、晃汰は自然と彼女を抱きしめていた。
「どうしたの急に」
耳元で白石は呟く。
「いや、なんか寂しくなっちまって」
「今日は素直じゃん」
そう言って白石も晃汰を抱き返した。
不意に彼女から香る髪の匂いは、熱海の夜と同じシャンプーの香りで、晃汰はせり上がってくるオスの欲望を抑えるのに必死になった。
「我慢しないで…」
晃汰のそんな様子を察した白石は、人差し指を彼の唇にそっと添えた。白く細長い指、それはまさしくあの夜に晃汰を悦ばせた指だった。
「そういうのは、将来の“本当の“彼氏にとっておきな」
床と白石との間からスルリと抜け、晃汰は既の所で彼女から距離をとった。あと少しでも甘い匂いを吸い続けていたら、いよいよ彼女を押し倒していたかもしれない…晃汰は森保の横顔を必死に想いながら白石から逃れた。
「そう言うと思ったよ」
白石はとびっきりの微笑みを見せた。
日付が変わろうとする頃、同じ鏡に姿を映しながら仲良く歯を磨いて晃汰は床に、白石は自身のベットルームで眼を閉じた。先程までの熱々な展開が嘘のように、アラームが鳴り響くまで二人が目覚めることはなかった。
「おはよう、ギタリストさん」
まだ起きたくはなかったが、晃汰は渋々と言った具合に重たい瞼を開く。すると、真っ白い天井は見えず、代わりに白石の透き通った両眼が視界を埋め尽くす。
「お寝坊さんね」
吐息が顔面で感じられる距離まで近づく白石は、静かにKISSをして晃汰から離れた。
「かなり過激な起こし方だな」
歯磨き粉の味が残る唇を人差し指で擦る晃汰は起き上がり、今の今まで包まっていた毛布を畳む。
「朝ご飯の番組で、よくこういう起こし方するじゃん」
既にキッチンに移動した白石は、髪を後ろで結んでポニーテールにし、エプロンを巻いている。
「あれは新婚さんでしょ、俺らはカップルどころか罪人(オフェンダー)だぜ?」
畳んだ毛布をソファに置いた晃汰は、調理を始める白石を見る。
「バレたら、世間に抹殺されるね」
恐ろしい事を口走っていると言うのに、白石は何処か嬉しそうだった。
「そうしたら、俺は片田舎でまどかと隠居生活を送るよ」
そう言って晃汰は歯磨きをするために洗面所へと消えた。ひとりキッチンに残った白石は二人分の朝食を用意する。野菜室から取り出したキャベツやレタスを切り、卵をフライパンに落とす。そしてオーブントースターに放り込んだ食パンが焼けた頃、身支度を終えて眼元にほんのりメイクを施した晃汰が戻ってきた。
「結婚は考えてるの?」
さっきまでの話を白石は続ける。
「ゆくゆくはね。でも、まだ卒業なんて概念はアイツには無いし、時期は未定だヨ」
手伝うよ、と晃汰は付け加えながらキッチンに入る。
「特殊な職業だからね、伸び伸びになっちゃうよね」
既に完成形になりつつあった為に晃汰をリビングに追い返した白石は、自身と同じ職に就いている森保を案じる。既に何人かのOGが生涯の伴侶と籍を入れている事もあり、白石なりに結婚という二文字は薄々意識はしていた。
「まぁ、それを承知でその世界に飛び込んだんだろうけどね」
ソファにもたれた晃汰は、視線を目の前の液晶から逸らさない。
やがて白石手製の朝食が出来上がると、小さなテーブルを仲良く囲んだ。ありふれたもの、と白石は謙遜したが、乃木坂のエースの手料理を食べられる喜びを晃汰は噛み締めた。
綺麗に平らげられた食器は晃汰が洗い、各々が出勤に向けて支度をした。
「来たみたい、行こうか」
マネージャーからの連絡を受け、白石は晃汰に玄関を親指で指す。ひとつ晃汰が頷くと白石は、両腕を彼の首に絡めてKISSをせがんだ。晃汰は何も言わず、比較的に軽い口付けをお見舞いして白石から離れた。
「あと残り、宜しくね」
さっきまでの威勢が嘘のように白石は、先に部屋を出る晃汰の背中に呟いた。決心と後悔の間で揺れ動く彼女が見せた弱い部分だったが、晃汰は一度立ち止まっただけで返事はしなかった。
もう誰ももう何も傷付かなくていい。
白石のマネージャーが待つミニバンに乗り込むと、晃汰は徐にイヤホンを取り出して音楽を流した。こんな時にピッタリの曲を。