AKBの執事兼スタッフ 2 Chapters











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第11章 Generation
95 Storys 〜復帰の裏で〜
「やっぱドーム球場は反響がすごいね」

 特設のステージに駆け上がりながら、晃汰はガランとしたヤフオク!ドームを見渡す。まるで異空間にいるのではないかと錯覚してしまうほど、空間がなんとも言えない圧迫感で晃汰を、メンバーを包み込む。ふと、彼は一番最初に屋内会場でライヴをやった時を思い出した。厳密に言えば、AKB48のスタッフとして初めて人前に出た時のことを。

「自分の音が全く出なくて、帰ってから布団に当たり散らしたっけな」

 過去の失敗を懐かしむかのように、晃汰は彼の独り言のように、苦笑いを浮かべる。その時は晃汰には未知の会場での初めての演奏だった。屋内会場、特にドーム球場ともなるとやまびこのように音があちこちに跳ね返ってくる。それを加味した音を作らなければ、歌い手も聞き手も全くと言っていいほど音が聞き辛くなってしまう。その失敗を、晃汰はギタリストとして歩み始めた矢先に身を持って体験した。その失敗があったらこそ、彼は人一倍音質に関して拘りを持つようになった。

 午前中を目一杯使ってのリハーサルは、特段の留意点もなく終わった。名古屋から始まったツアーの二場所目なだけあり、演者も含めて経験がモノを言っている。細かなミスは数えるほどではあるが、演出監督の晃汰には及第点と受け取られた。

「リハではクオリティを、本番ではノリ、スリル、スピードを」

 それが演出監督に就任してからの、晃汰の口癖だった。横文字を多用する彼らしく、辞書を引かないと分からないような言葉が並べられるものの、ニュアンスはメンバーのみならずスタッフやバックバンドも理解できていた。それはなにより、晃汰自身がそれを体現しているからである。

 リハ後の軽いミーティングを終え、晃汰は専用の控室へと引き上げた。デオドラントシートでこれでもかと顔と上半身を拭き、ケータリング会場へと向かう。たくさんの料理が並ぶブースには、既に長蛇の列が出来上がっている。晃汰もトレイを持ってその列に紛れた。すると、晃汰の背中にトレイの感覚が走った。誰かがちょっかいを出してきたんだろうと背後を見ると、ニコニコ顔の北野がいた。

「前にいたから、ちょっかいだしただけだよ」

 療養をしていたとは思えないほど屈託のない笑顔を、北野は晃汰に向ける。その後、食事を持ってテーブルについた晃汰の横に、何故か北野も座った。

「どうですか?体調の方は」

 食事を取り始めて早々、晃汰は真先に口を開いた。それは療養のことなのか、はたまた名古屋講演でトロッコから落ちたことなのか、北野は困惑した。

「トロッコの方ですよ。療養の事なんて、もう顔色みれば分かりますよ」

 晃汰は白い歯を見せた。なあんだ、と北野もつられて笑顔になる。思えば、休養中に親しいエンバーと同じくらいメッセージをくれていたのは、間違いなく隣のギタリストだった。それも単に励ましの薄っぺらいものなんかではない。あくまでも乃木坂46全体が、日々どのように動いているのかという業務的な連絡だった。だが、その裏に隠れた自信を案じる言葉たちが北野の胸に響いた。そしてそれは、彼女の復帰を加速させるものだった。

「まだあの時のLINE、残してるんだよ」

 器用にフォークで巻くパスタを見ながら、北野は嬉しそうに言った。

「消してくださいよ、恥ずかしいなぁ」

 晃汰は苦い顔をして北野を見る。自分よりも一つ年上なのにまるで年下のような彼女が、とびっきりの微笑みを浮かべている。

 「でも、復帰した当初は本当に辛くてさ。晃汰が毎日送り迎えしてくれて愚痴聞いてくれたのが、本当に良い薬だったみたい」

 食事を食べ終え、二人は揃ってスタジアムのシートに空席を一つ開けて座った。

「そんなことないですよ。きいちゃんさんが頑張った何よりの証拠です」

 晃汰はかぶりを振った。それは社交辞令などではなく、腹の底からの本音だった。北野が休養を発表してからというもの、時間を作っては北野と親しいメンバーとともに会食を重ねた。その甲斐あってか、回数を重ねるごとに俯き気味だった北野の顔が、徐々に上を向き始めた。

「いまだから言えるけど、ファンの人達の為に復帰しなきゃってよりかは、晃汰に恩返ししなきゃって思って復帰を目指してた。だからファンの前で歌って踊るよりも、晃汰の隣で歌って踊りたかったの」

 色とりどりのライトが行き交うステージを見つめ、北野は普段とは違うトーンで話し始めた。晃汰はただ黙って、北野の話に耳を傾ける。

「復帰してすぐに写真集の話が上がって、最初私は断ったの。でもどうしてもって言われたのもあったし、復帰して自分としての目標も欲しかったからよく考えて受けたの。でも、ひとつだけ条件をつけてね」

「それが、俺を帯同させる事だったんですね。北野さんのご指名って言われて、俺なんか悪いことしたかなぁって思って」

 晃汰は鼻を鳴らした。脳裏には、撮影の時の光景が昨日の様に焼き付いている。
 
 復帰早々の人間を撮ることに、晃汰は当初反対をした。慣れない海外の撮影に北野が耐えられぬ事ぐらい、近くで彼女を見続けた晃汰には百も分かっていたからだ。だが、当の本人が首を縦に振ったのだった。それも、条件付きで。晃汰は不安を抱えたまま北野とともにスウェーデンへと発った。現地で、晃汰はギタリストではなかった。公認執事としての技量を惜しげなく披露した。そして、晃汰は撮影現場にだけは顔を出さなかった。

「忘れないでください。俺も男なんですよ。メンバーの裸は、写真集だけで充分です」

 二人っきりの夕食の時、ビールを片手にした晃汰が明かした。その時、自分の抱く感情が男女であるのだと北野は気づいた。慣れないビールを煽る目の前の晃汰は、執事でもギタリストでも同僚でもなく、どこにでもいる年下の男の子に北野は見えた。

 しかし、二人は過ちを犯さずにスウェーデンから帰国した。そのことがより一層、晃汰への北野の気持ちを増幅させた。そして日が経つにつれ、北野はそれが自身のワガママであると悟る様になった。晃汰の評判は様々なメンバーから聞いていたし、彼に本気で告白をしようとするメンバーがいることも彼女は知っていた。だがその面々が恋人よりもアイドルとギタリストという関係を選ぶことに、北野は激しく同感した。そして今に至る。

「もう一回、スウェーデン行きたいなぁ」

 ドームの天井を見上げ、北野はつぶやいた。

「もうあんな寒い所はゴメンです」

 晃汰は両肩を抱き込む様に、寒がるジェスチャーをとった。

「でも・・・・」

 晃汰はまっすぐに北野を見つめた。

「今の元気いっぱいの日奈子さんとなら、もう一回行っても良いかなって思います」

 日奈子は大きく胸が跳ねるのを感じた。

「日奈子さんにまたビール奢ってもらいたいんで」

 そう、北野は思い出した。あの時晃汰が飲んだビール代は、ジャンケンに負けた自分が出したのだと。

「次は負けないんだから」

 北野は右の拳を晃汰に見せつけた。

「力勝負なら、俺に勝ち目なんかないですよ」

 晃汰は肩をすくめて北野を見た。鼻筋に皺を集め、北野は持ち味の元気いっぱいな笑顔を彼に向けたのだった。

Zodiac ( 2019/11/22(金) 23:11 )