幻か、現実か
出会ったのは春だった。進級と共に行われたクラス替えにより同じクラスになった二人。飛鳥は休み時間には常に文庫本を開いている物静かな大人しい少女だった。顔が小さくて可愛いと噂で一部の男子からは人気があり、学校行事の時などでは一緒に写真を撮ってほしいと頼まれる事も度々あった。しかし、その性格からか人付き合いは上手ではなく、友達といえる間柄の生徒は少ない。時には同級生から陰湿ないじめを受けた過去もあった。対する彼は明るく社交的な性格で交友関係は広く、学年の廊下を歩いていれば男女に関わらず必ず声をかけられる。そんな明るい性格で運動も得意だが、飛鳥とたった一つだけ共通点があったのは彼も本が好きだったという事。

新しい学年になってから1ヵ月が経った頃の事だった。席替えが行われ、そこで飛鳥と彼はくじの結果、隣の席に座る事になった。休み時間、飛鳥は彼の事など気にも留めずにいつも通り本を読んでいた。飛鳥は家の近くの古本屋で買った文庫本に書店のカバーを自分で付けていた。何読んでるの、という彼の突然の問いに飛鳥は小説、とぶっきらぼうに返す。飛鳥の返答が不満だったのか、彼は席を立った。そしてわざわざ飛鳥の机の前に立ち直すと飛鳥の手からするりと文庫本を抜き取る。あっ、と声を漏らした時には本は既に彼の手の上にあり、座っている飛鳥では取り返す事も出来なかった。この本、俺も読んだ事あるよ、と爽やかな笑顔を見せながら飛鳥の元へと本を返す彼。飛鳥はそう、とまたぶっきらぼうに返すと本を受け取る。そして、何事もなかったかのように再び本を読み始める。だが、飛鳥は心の中で少しだけ焦っていた。よりによって今日読んでいる本は珍しく青春小説なのだ。普段ならミステリーや歴史小説ばかり読むのに今日に限ってこれだった。しかも、この本は一度読み終わっている。朝、準備している時にぱっと目に入ったから持ってきただけでこの本を好きというわけではない。飛鳥は動揺を悟られぬように視線を文章から逸らさなかった。しかし、内容が一切頭に入ってこない。それどころか、さっきから同じ行ばかりを読んでしまう。落ち着け、と自分に言い聞かせてみても背中には冷や汗をかいた。さらに彼女から平静を奪ったのは彼が目の前に立ったまま動かない事だった。視界の端にずっといる存在は飛鳥に焦燥感を与えた。その本読み終わったら意味が分かると思う、突然そう告げて彼が飛鳥の前から立ち去っていった。

飛鳥は安堵から胸を撫で下ろし、彼が教室から出ていく事を確認するとそっと本を閉じた。すると、飛鳥の机の上に切れた白と黒のミサンガが置いてあった。飛鳥の脳裏で彼の言葉が文字になる。飛鳥はミサンガを手に取ると以前読んだ記憶を頼りに急いでページを捲った。ぱらぱらとページが流れていき、飛鳥は小説の中のとある場面から読み始める。一文字、一文字読むごとに記憶の中にあるこの場面が鮮明になってくる。それと同時に自分の胸が締め付けられるような感覚が起こり、鼓動が早くなっていく。物語が進んでいく。高校生の二人は互いに惹かれながらもお互い、何も言い出せずにいた。そんな時、小説の主人公である少年はヒロインである少女に切れたミサンガを渡す。少女がそれを受け取ると少年は思いの丈を打ち明ける。少女は少しの沈黙の後、自分の思いを告げ二人は付き合う事になる。飛鳥は告白の場面を読み終わった瞬間に本を勢いよく閉じた。少しだけ音がしたが周りの喧騒に紛れた。飛鳥は手の中の切れたミサンガを見た。緊張に似た感覚が体を襲う。居ても立っても居られなくなった飛鳥は行方の知らない彼を追って教室を出た。

ライ ( 2016/08/27(土) 01:55 )