08
 神社の階段の一番下、優羽と陽世に見守られるようにして美穂は腰かけた。

 夜店から漂う食欲を誘うような匂いも、盆踊りの懐かしい音も、今の美穂にとっては煩わしいものになってしまっていた。

 大丈夫、と笑う空元気もなくなってきて、じっと顔をうずめて座っていると、店の軽自動車がウインカーを出して美玲たちの前に止まった。


「最初から具合悪かったくせに、こんなになるまで言わないから。ったく子どもより世話が焼けるっすよ」


 文句を言っている優羽の声が聞こえる。


「立てるか?」

「うん……」


 優羽に腕を捕まれ、強引に車の中へ押し込まれた。


「それじゃ、遼さん。後お願いします」


 窓越しに優羽よ声を聞きながら、美穂は俯いた。運転席にいる遼の顔を見ることも出来ない。


「お前らも乗ってくか?」

「いや、オレたちはもう少し遊んでから。チャリだし。な? 陽世」

「うん。美穂ちゃん、バイバイ」


 美穂はほんの少し顔を上げ、窓の外の陽世へ小さく手を振る。


「そうか、気をつけてな」

「はーい」


 優羽と陽世が背中を向け、階段を小走りで駆けていく。

(誘ったのは自分なのに。陽世ちゃんもあんなに喜んでくれてたのに)

 こんなことになってしまった自分が情けなくて嫌になる。


 遼の運転する車は海沿いの道を走り出す。提灯の灯りが、太鼓の音が遠ざかる。


「泣くなよ」


 俯いてぎゅっと唇を噛みしめていたら、遼の声が聞こえた。


「……泣いてないもん」

「しんどいなら、このまま病院行くか?」

「病院嫌い」

「子どもみたいなこと言うな」

「子どもだもん。まだ」


 真昼の眩しく輝く青い空も海も、今は何も見えなくて、ただ海なのか陸なのかわからない闇がただただ続いている。


「遼くんは大人だよね。こんな子どもの面倒みさせちゃって、ごめんね?」


 隣で遼がため息をつく。なんだか涙が出そうになる。


「私……邪魔してるかな? 私がいなかったら遼くん、美玲ちゃんと仲直りできてたかな?」


 体が熱くて、頭がぼうっとする。本当は目を閉じて眠ってしまいたいのに言葉が勝手に溢れ出す。


「別に喧嘩してるわけじゃないし、仲悪いわけでもないさ」

「だったら、もっと優しくしてあげてよ。美玲ちゃんのこと。大人なんだから」


 数少ない信号で車が停まった。赤信号の灯りがフロントガラスに映っている。


「美穂。一つ教えてやろう」


 思考能力のない美穂の頭に遼の声だけが聞こえる。


「大人だってな、逃げ出したくなる時があるんだよ。仕事も生活も、すべて捨ててな。でも普通の人はそんなことしない。逃げたいって思うだけで、本当に逃げたりはしない」


 静かに顔を上げ、暗闇の中で遼を見る。じっと赤信号を見つめていた遼の視線がゆっくりと美穂に移る。


「だけど、俺は逃げた。誰でもよかった、美玲じゃなくても。てっとり早く、あの場所から逃げ出せるなら」

「ウソだ」

「ウソじゃないさ」


 ふっと口元をゆるませた遼の顔が、少しづつ滲んでいく。


「最低な大人なんだよ。俺は」




希乃咲穏仙 ( 2022/06/05(日) 20:06 )