07
 数日後の昼過ぎ、美玲の家にあった自転車を借りた美穂は海沿いの道を走った。

 堤防に沿ってしばらく走れば、すぐに隣の集落に着く。

 美玲の店の前の浜は遊泳禁止になっているが、こちらの浜は海水浴場だ。

 この時期、観光客もぱらぱらと来ていて、浜には海の家が数件建ち、美玲の住む集落より賑わっている印象だった。

(こっちに店を出せばよかったのに)

 余計なお世話だと思いながらも、そんなことを考えつつ、美穂は自転車を止める。

 目の前に続く長い階段。それを上ると大きな木に覆われた神社がある。

 階段を上り切り振り返る。すると一番下から優羽が駆け上ってくるのが見えた。



「んだよ急に。一緒に飯食おうとかよ」


 昨日の夕方、陽世と店に寄った優羽を誘った。『明日一緒に、お昼食べない?』と。


「いいじゃん。たまには」


 そう言って、浜辺を見下ろせる階段の一番上に座り美穂は優羽に紙袋を差し出す。


「パン食べる? 私が作ったの」

「げ? それ食えんの?」

「失礼なっ」


 美穂が紙袋を押し付けると白い歯を見せて優羽が笑う。

(こうやって見たら、幼いよなぁ)

 田舎町には似合わないピアスをあけた優羽の耳元を見ながら美穂は思った。


「お、カレーパンじゃん。いただきますっ」


 そんな美穂の隣で優羽がパンにかじりつく。サクッという音とともに、香ばしい香りが美穂の鼻先まで届く。

 しかし、二口目を食べた優羽が悲鳴のような声を上げた。


「わっ、なんだよ、これ。辛れぇぇ!」

「激辛カレー入れてみた」

「バカか、お前はっ! 余計な事すんなよ! お茶くれ、お茶っ」


 美穂が飲みかけのペットボトルを差し出すと、優羽は躊躇うことなく、喉を鳴らしてそれを飲んだ。


「はぁぁっ、死ぬかと思った」

「大袈裟だよ。優羽は」

「辛いの、めっちゃ苦手」

「カレーパンは好きなのに?」

「美玲さんのは辛くないからな」


 差し出されたペットボトルを受け取りながら、優羽の顔を見る。


「なんだよ?」

「べつに」


 優羽から顔を逸らした美穂をよそに、再びカレーパンを口にして優羽は一人騒いでいる。


(本当は聞きたいことあったんだけどな)

 だけど、何から聞いたらいいのかわからなくて、美穂は少し俯き、袋の中か美玲の作ってくれたパンを取り出す。

 すると美穂の隣で優羽がぼそっと呟いた。


「なぁ、美穂って……なんでこの町に来たんだ?」

「え?」


思わず顔を上げて優羽を見る。優羽はずっと遠くの水平線を見つめている。


「家出でもして来たとか?」

「違うよっ」


 美穂は慌てて首を横に振る。


「夏休み中、ヒマだったらうちに来ないかって、美玲ちゃんに誘われて……ちゃんと親にも言ってあるもん」

「ふうん?」


 曖昧な返事をし、優羽はまた一口パンをかじる。そしてそれを飲みこむと、独り言のようにぽつりと呟いた。


「オレのことも……誰か誘ってくんねぇかな」


 少し額に汗をにじませた優羽の横顔を美穂がじっと見る。


「誰でもいいから誘ってくれたら……オレ、どこへだって行くのにさ」


 日差しを遮る木の枝から、蝉の声が降り注ぐ。吹く風はほんの少し涼しいけれど、それでも汗がにじんでくる。


「あ、でも、できれば都会がいいな。こんな年寄りばっかの潮臭い田舎はもう嫌だ。何もかも捨てて、知らない街に行って暮らしたい」

「そんなの出来るわけないじゃん。陽世ちゃんはどうするの?」


 思わず口から出た言葉は意地悪だっただろうか。

 自分は逃げ出してきたくせに。美玲の言葉にどっぷり甘えて。優羽の置かれている場所よりも、ずっと楽な場所にいたはずなのに。


「わかってんよ。んなこと」


 ふっと笑った優羽が空になった紙袋をくしゃっと丸める。


「オレ、陽世のこと好きだし。父親は違うけどさ、生まれた時から面倒みてるから、可愛いんだよ、結構な」


 そう言って美穂に振り向き、丸めた紙袋を押し付ける。


「それにあいつは、オレがいないとダメだしな」

「優羽……」

「オレ、あいつの『お母さん』みたいなもんだしさっ」


 美穂の隣で優羽が立ち上がり、にっと笑った。


「じゃ、オレ、もう行くわ。ごちそうさん」

「え、もういいの? サンドイッチがあるけど?」

「また帰りに寄る!」


 そう言って優羽は美穂に背中を向ける。


「あ、あのさっ……優羽!」


 階段を降りかけた優羽に向かって、何を言えばいいのだろう。

 自分をあの場所から、連れ出してくれた美玲。優羽にとってのそんな存在になりたいけれど、美穂にはまだまだなれそうにはない。


「バイト……頑張って!」


 振り返った優羽が階段の途中から美穂を見上げる。

 そして、空に右手を高く突き上げると、親指を立て、笑顔を見せた。




希乃咲穏仙 ( 2022/03/24(木) 15:30 )