04
樹はようやくそんな質問を発した。今はとにかく手がかりが必要だった。由依についてどんな小さなことでも知りたかった。
「妹が芸能人として成功したか、ということ?」
確かにそれも知りたい。
だが、一番の興味は彼女が今どこにいるのかということ。
しかし、それを説明するのが少々面倒に思われて、樹はそのまま頷いて見せた。
「デビューしたての頃はちょっとはチヤホヤされたんだと思うわ。誰だって最初は物珍しいものだから。でも、あの程度の歌唱力では生き残れない。売れるには才能よりもむしろ個性的なキャラクターが必要なの。あの子のように引っ込み思案で、人の目を気にするような性格では駄目ね。人を押し分けてでも、自分をアピールするような、そんな図々しさが必要なのだと思うの。とにかく他人より目立たなければ、売れやしないわ。所詮、妹には無理だったのよ。姉の私にはよく分かっていた。だから私は最後まで反対してたの」
由貴の軽いため息が漏れた。
「由依さんが死んだってのは本当なんですか?」
「さっきは勢いでそんなこと言ったけど、姉としてはもちろん信じたくはないわ」
その言葉に樹の心が動いた。やはり彼女は死んでない。絶望が希望に変わる瞬間だった。
(由依は生きている!)
当たり前のことを忘れていた。今日まで一緒に学校生活を過ごしてきたではないか、と。
「妹は芸能界で行き詰まって、相当悩んでいたみたい。どんどん仕事も減って、終いには自分の存在価値すら見い出せなくなっていたのだと思う。それで、ある時突然失踪した」
「失踪?」
「そう、行方不明。事務所の方からも何度も連絡があったけど、この家には戻ってきてないの。事務所の意向でYUIは芸能界を引退したことになってる。その方がどちらにも傷がつかなくていいらしいのね。でも、結局事務所は売れない歌手を一人芸能界から葬り去っただけのこと。後から聞いた話では、同じ事務所の無名タレントと駆け落ちしたという噂もあったみたい。けど、真偽の程は分からないわ。売れない者同士、どこか知らない町で密かに暮らしているのかもしれないし、一緒に自殺したのかもしれないし」
樹には言葉もなかった。
「でもバカよ。あの子も。一人で悩んだりせずに相談してくれればよかったのに」
いつしか由貴は涙声になっていた。
樹はうつむいて一人考えた。
そういうことなら、由依は自ら命を絶っているのかも知れない。自分の知っている由依は実は亡霊に過ぎなかった。由依の姿は幻だったということか。
それでも樹には信じることなど、到底できなかった。
(由依は確かに生きてた)
髪を揺らして笑う顔も歌う時の真剣な眼差しは樹の目の前にはっきりと存在していた。手を伸ばせば、彼女の温もりに触れ、重ね合わせた唇もしっとり潤っていた。
(やっぱり由依は幻なんかじゃない)
いや、それだけではない。教師や生徒らにも彼女の姿は見えていた。
死んでからも由依には人並みの高校生活を過ごしたいという強い願望があった。芸能界を急ぐあまり、経験できなかった高校時代が諦め切れなかった。
芸能界で挫折を味わい、自暴自棄になった時、置き忘れてきた普通の生活への憧れは、より一層強くなったことは想像に難くない。
その強い願いが、彼女の魂に命を吹き込んだのかもしれない。
春、新学期に合わせるように、由依は二年生のクラスに降り立った。偶然にも自分の隣の席に座ることになり、彼女の高校生活が始まった。
そして今日、突然学校を去っていった。それと同時に人々の記憶からも消えていった。
由依は二度目の高校生活をどんな気持ちで過ごしていたのだろうか。
今日のライブの失敗が芸能界での挫折と重なり合ったのかもしれない。それが第二の高校生活に幕を引くきっかけになったのだろうか。
(お姉さんの言う通りだよ)
(由依はバカだ。どうしていつも一人で悩んでるんだ?)
その昔、双子の姉がそうであったように、今度は樹が助けてやれたはずだった。どうして心の内を明かしてくれなかったのだろう。
(ああ、そうか)
樹は由依にとって頼りない存在だった。二度目の高校生活はそんな弱い人間ではなく、もっと強い人間が登場して、彼女を成功に導いてやるべきだった。
虐められ、無視され、自分の得意とする歌さえも聞かせることができなかった。
結局、そんな彼女を助けてやれなかった。
樹の目には自然と涙が湧いた。
(ごめんな由依。力になれなくて)
静かな応接間に由貴と樹の小さな涙声だけが響いていた。