01
樹の目の前には中年の女性が立っている。狭い廊下で行く手を阻むように立ちはだかっている。照明がやや逆光となり、はっきり表情は読み取れない。
それでも明らかに一回りは上の年齢に見える。その上、品性の感じられる顔立ちに思える。生きる世代の違う者同士が今、玄関で睨み合っていた。
今しがた彼女は双子の姉だと名乗った。少なくとも樹の耳にはそう聞こえた。
(聞き違い、だよな)
「どうぞ、お上がりください」
思考が停止してしまった樹を揺り動かす声。校医や一志と同じように、まさかこの由貴という女性も由依のことを葬り去るつもりだろうか。
この世の中で樹一人だけが騙されている、そんな気分になって自然と身体が硬くなった。
身内であるはずのこの女性までも由依の存在を隠そうとしたら、どう反論すればよいだろうか、樹は靴を脱ぎながら考えた。
しかし、樹に打つ手がなかった。まずは一刻も早く由依と再会したい。そのためにはこの女性の言葉に素直に従うしかない。
「こちらへ」
樹は導かれるまま、家の中へと進んだ。
そこは暖色の照明が充満する応接間。樹はソファーに腰を掛けた。
思わず周りを見回す。ここに由依が住んでいるはず。きっと彼女が暮している証しがある。
「ちょうどコーヒーを淹れるところだったの。あなたもいかがですか?」
由貴は樹のただならぬ緊張に気づいたのか、わざとのんびりした調子で訊いた。
樹はそれには何も答えず、由貴の顔をまじまじと見た。
彼女の顔に由依の面影が感じ取れる。由依が歳を重ねていくと、ちょうどこの女性のような顔になりそうだった。由貴が由依と血の繋がった家族であることは、どうやら間違いなさそうだった。
しかし、双子の姉というのは、まるで納得できない。歳の差という問題がある。もしも由貴が自分を騙そうとしているのなら、そんな策略に乗ってはならない。樹はきつく拳を握りしめた。
「あの、由依さんはどちらに?」
どんな答えが返ってきても驚かないという心の準備はできている。
「残念ながら、妹はここへはもう何年も帰ってきていないのですよ」
由貴は笑みを浮かべ言った。
(くそっ)
それでは由依は一体どこに暮しているというのか。毎日どこから学校へ通っているというのか。
なぜ家族であるはずの由貴までも、由依のことを隠そうとする?
みんなで口裏を合わせて、自分を欺こうとしている。
一体何のために?
悪い夢を見ている。
頭の中が濃い霧に包まれるようだった。もはや自分の居場所も、そして自分がどこへ向かおうとしているのかも分からない。
とにかく今は由依と会うことしか考えられなかった。
「それにしても、ふふ、由依なんて名前。久しぶりに聞いたわ」
由貴は感慨深げに言った。樹にはその言葉の意味が分からなかった。
彼女の目には樹の顔は映っていないようだった。どこか遠くを見るような目で、懐かしさに身を委ねている。そんな目をしていた。
「茶化さないで正直に答えて下さい」
樹はもどかしくなって、ぴしゃりと言った。
由貴はふと我に返ったように視線を戻すと静かに答えた。
「もう、随分前に妹は死にました」