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(由依、どこへ行ったんだ? 俺を置いていかないでくれ!)
樹の魂が叫ぶ。
このまま離ればなれになるのは嫌だ。
どうしてもっと早く自分の気持ちに気づかなかったのだろうか。
由依のことが大好きだったのに、その感情を抑えていた。本当の気持ちを素直に伝えられなかった。歌の才能を生かし、芸能界へ進む彼女が自分とはあまりにもかけ離れた存在に思えたから。
(でも、今は違う)
どれだけ不釣り合いであろうと構わない。
この世で誰よりも由依が好きだ。ただずっと隣に居たい、そんな気持ちが樹の魂を揺さぶる。
樹は自宅のドアを乱暴に開くと、靴を脱ぐのももどかしく、階段を駆け上がった。
自分の部屋に飛び込み、息を切らしながら、机の上を見る。
「あった」
由依からの暑中見舞いは確かに存在していた。
樹は救われた気持ちになった。もしかすると、このハガキさえも消滅したのではないかと一抹の不安があった。
彼女の住所も確かに書いてある。とにかくここへ急ごう。そして由依に会おう。
住所を調べると電車で数駅先だと分かった。いつか由依と一緒に海へ行ったことがある。そこから少し先に彼女の自宅があるらしい。
樹はタクシーを呼び、駅まで走らせた。
どうしても心が焦る。まるで見えない敵と戦っているように。
今日中に会っておかないと、このまま二度と会えないような気がする。
夕方の駅前は学生や会社帰りの人たちでごった返していた。その人波をかき分けるようにして、ホームへ上がった。
そう言えば、夏の初め頃に由依を追って、駅に来たことを思い出した。あの時、由依はここに立っていた。樹にはひどく昔の出来事のように感じられた。
混雑した列車に乗り込む。
つり革に掴まり、揺れる車両に身を任せ、車窓を眺めた。
街を出て、しばらくすると視界一面に海が広がった。夕日が水面を赤く染めている。砂浜に打ち寄せる波が白いカーテンのようにひらひら舞う。
由依と一緒に砂浜を歩いたことも思い出す。
彼女は波と戯れて、楽しそうにくるくる踊っていた。
あの姿はもう見ることができないのだろうか。
樹は列車を降りた。
思ったよりもはるかに小さな駅だったが、それでもこんな時間帯には降りる人も意外に多かった。
駅舎を出ると、すぐ目の前にタクシーが停まっていた。
樹は吸い込まれるように乗り込んだ。ハガキの住所を伝えると、運転手はすぐさま車を発車させた。
心臓の鼓動が高鳴る。
顔のそっくりな双子の姉がいると言っていた。自宅にその姉と一緒に住んでいるのだろうか。
(まてよ……)
由依から双子の姉の存在を聞いた時、彼女から発散される不思議な雰囲気は、それで全て説明できるような気がした。
顔の見分けがつかないほどよく似た姉が実は一緒に学校に通っていて、二人が要所要所で交代して自分の前に現れるのではないかと考えた。
今回の由依が突然消えてしまったのも、それでうまく説明ができるのではないだろうか。
(そんな訳ないか……)
ふと気づくと、エンジンが悲鳴を上げていた。タクシーは人気のない坂道を登っていた。
そして、車が停まったのは山の斜面を切り開いて立つマンションの前だった。
樹はゆっくりとエントランスに入った。
部屋番号を押すとブザーが鳴って、インターホン越しに喋れるようになる。
『どなたですか?』
由依ではない声がした。声の感じから母親かもしれない。
「突然すみません。江坂樹と申します。由依さんの同級生です」
『えっ?』
一瞬不穏な空気が流れた。由依につきまとう不審者と疑われたか。
しかし、おそらく自分の姿は室内からモニターで確認出来るはず。学生服を着た姿は決して怪しい人物には映らないだろう。
「由依さんは帰っていますか?」
わざと落ち着いた声で訊いた。
『……由依ですか?』
応対する声の主は一層怪訝さを増したようだ。感嘆とも絶望ともつかぬ複雑な抑揚がそこには感じられた。
『分かりました。どうぞお上がりください』
それでもしばらく沈黙した後、エントランスのロックを解錠する音が聞こえた。
樹はエレベーターで目的の階まで一気に上がり、ドアの前に立つ。
緊張がピークに達した。
由依は帰っているのだろうか。
呼び鈴を押すと、ドアがゆっくりと開かれた。
そこには中年と思われる女性が優しい物腰で立っていた。
(由依の母親かな)
「初めまして、江坂樹と言います。由依さんにお会いしたいのですが」
それを聞いた女性の顔は一瞬歪んだように見えた。
いや、それよりも次に彼女の発した言葉が樹を放心させた。
この世のあらゆる道理が一瞬に音を立てて崩れ始める予感。
これまで自分は一体何を根拠に生きてきたのか、激しく頭が混乱した。
「初めまして、私は由依の双子の姉の由貴です」
その女性はそう言って頭を下げた。