13
由依はどこへ行ってしまったのだろうか。
とにかく彼女に会いたい。
もう二度と会えないかも知れない。
樹はそんな不安に押し潰されそうになるも、負けじと廊下を疾走した。
しかし、どこへ行けば会えるのか。当てのないまま足と頭が忙しく動いた。
保健室で無駄な時間を過ごしたことが悔やまれた。
校医と話している間にも由依は樹から遠ざかっていた。今頃は校外にいるのかもしれない。
あの校医は一体どうしたのだろうか。
彼女は由依を知らないと言った。それどころか、ステージで倒れたのは樹だと言い張った。
(そんなわけない)
ステージで倒れたの由依。樹はそんな彼女を保健室まで運んだ。目撃者だって大勢いる。
あんな戯言に関わっていた時間が勿体なく感じられた。校医に構わず、さっさと追いかければよかった。
(どうしようか……)
由依が学校を出ていったのなら、これ以上校舎を探しても無駄。しかし、果たしてそう決めつけていいものだろうか。
「おい、樹!」
背後から誰かが名前を呼んだ。樹は転びそうな勢いで急停止した。
振り向くと一志の驚きを隠せない表情がそこにあった。
「もう大丈夫なのか?」
「何のことだよ?」
樹は悪い予感を抱かずにはいられなかった。
「いや、さっきステージでぶっ倒れた時はさすがに驚いたよ。んで、今から保健室へ行こうと思ってたとこなんだ」
不可解なことに彼も校医と同じことを言った。樹は反論するのが面倒に思われて、その言葉には答えず、一つだけ訊いた。
「由依を見なかったか?」
「ユイ? 誰?」
やはり悪い予感は的中した。一志も校医と寸分違わぬことを言う。明らかにこれはもう偶然とは思えなかった。
「俺と一緒にライブに出場した、小林由依だよ」
「は?」
一志は狐につままれたような顔をした。
またしても『小林由依』という名は響かないようだった。
しかし、そんなはずはない。一志には由依を紹介して、歌声まで聞かせている。あの時はその歌声を絶賛していた。
その点を質すも、一志は訳が分からないという複雑な表情を浮かべた。
「いやいや、最初からお前一人でギターを弾くって言い出したんだぞ」
「小林由依って名前に心当たりない、そう言うんだな?」
樹は強い調子で確認した。一志はやはり怪訝そうに頷いた。
どうも校医と同じ反応。これ以上議論を続けても時間の無駄だと判断し、由依の身に何か大変なことが起きていると直感した樹は何故か分からないが、自分に残された時間はさほどないような気がした。
(行動を起こすなら今しかない)
樹は自分自身に言い聞かせた。
どうやら由依の存在が人々の記憶から消えてしまっている。彼女がこの学校にいたという事実がすっかり失われている。
(そうだ、教室だ)
由依は隣の席に座っていた。あの場所に何か証拠が残っていてもおかしくはない。
(とにかく教室へ急ごう)
樹は一志を突き飛ばすようにして、教室への階段を駆け上がった。
肩で大きく息をしながら樹は教室の扉を開いた。中には誰もいない。
樹の自分の席に駆け寄った。
この隣に春からずっと由依が座っていた。机の中を覗いてみたが何も残されていなかった。
樹は突然ひらめいて、教室の後ろへ向かった。誰かの机の角で足を打ちつけたが痛みを感じている暇はない。
(名簿なら)
それはいつも教室の後ろに貼ってある提出物を管理するための一覧表である。
震える指を滑らせて由依の名前を探した。
(国崎、兒嶋、小西……、坂元)
驚くべきことに、何度見直しても小林由依という名は存在しなかった。
樹は戦慄した。
自分がここに立っていることすら信じられない。由依の存在がないのであれば、自分の存在はどう説明するのだ。
樹だって彼女同様、葬り去られてもおかしくはない。しかしどうやらそうなってはいないらしい。
(どういうことだよ)
由依の存在だけが跡形もなく消え去っている。この調子では、おそらく担任や同級生、あるいは由依をいじめていた連中でさえ、彼女を知らないと言い張るに違いない。
疑問はもう一つある。
どうして自分だけが彼女のことを記憶しているのか。
しかし、それも時間の問題かもしれない。
とにかく今すぐ行動を起こさなければならない。もたもたしている余裕などなかった。
(……由依の家)
彼女から暑中見舞いを貰っていた。それは机の上に立て掛けてある。そこには彼女の住所が記されていた。
まるで漆黒の靄が背後から迫ってくる恐怖感。
それは次々とあらゆるものを飲み込んでいく。この先、自分だって例外ではない。
もう一刻の猶予もない。
樹は自宅に向かって学校を飛び出した。